京都大学医学部心臓血管外科 ――優れた研究機関

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京都大学医学部(京都大学病院)心臓血管外科では1998年から2007年までの約10年間教授として勤務した。

教授および一人の外科医の視点からこの施設を振り返ってみた。

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教授の守備範囲は臨床・研究・教育とそれぞれに関連して医学部や病院全体のさまざまな仕事や約30ある関連病院のサポートその他多岐にわたった。
京都大学医学部および付属病院は研究とくに実験研究をやるには極めて恵まれた環境であった。

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基礎医学、内科系、外科系の教室をはじめ、再生医工学研究所や理学部・工学部さらには他大学やセンター研究部門との連携が容易で、

さまざまな方法論、材料、経験を活用させていただき、単に大学院生が医学博士号を取得するための研究にとどまらず、心臓血管外科の新しい治療法とくに術式を開発したり、検証するという方向性の研究が多数できた。

この10年弱で約180本近い英語論文それも臨床または臨床に近いものを仕上げることができた。臨床主体の方針からは過剰達成と思えるほどの業績となった。

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教育では現在の研修制度がまだ実施される以前のことで、多数の学生や研修医が学内はもとより全国から参加し賑やかで夢のある時代であった。

学生の海外病院実習では150名以上の諸君を欧米豪の大学病院で学んで戴くことができた。

学生時代にしっかり指導やお世話をすれば卒業後、入局してくれる人が多いという素朴な時代で、毎年平均8名の研修医が京大を含めた全国の大学から京都に参集してくれた。

この数字は心臓血管外科のような少数精鋭の科では突出して大きなものと言われた。

彼らはまもなく全国の関連施設へ赴任して行き、医師・外科医として活躍し腕を磨いて行った。

多数の仲間の活躍のおかげて京都大学心臓血管外科同門会は発展し、年間4000例(全国の約10%)の開心術を行い、結果的に10名の教授を輩出した。

もともと教授職に関心のない臨床人が多かったことを考えるとこれは意外に大きな数だったかも知れない。

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臨床は研究と比べるとかなり回しづらいところで、症例数を約2倍弱に増やし、通常例をほぼ全例元気にし、重症例を一人でも多く救命するのが精一杯で、

病棟・ICU・手術室・麻酔科その他さまざまな制約を解決できず、社会・患者さんへの貢献や教室員の教育の観点から考えた目標数の半分にも届かなかった。

当初から京都大学病院で多数の心臓手術をすることは難しいというのが京大病院内外での大方の意見・忠告であり、常識的にも結果的にもそのとおりであった。

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独立行政法人化が手術数を倍増させる基盤を造ると予測し、実際そのようになった大学病院は旧帝大にも複数あるが、京大病院ではそのような方向性が生まれなかったのは著者の読み違いであった。

ある腕利きの心臓外科医が言われた。「先生、京都大学(病院)はやはり研究機関ですよ」。

研究機関でしっかり臨床をやろうとするのは場違い、それが結論なのだろう。

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新研修制度に関連したメジャー科離れや国公立病院に顕著にみられる医療崩壊、あるいは医学博士や専門医への社会的評価の逆転現象、さらには若手医師の人生観の変化から大学病院の位置づけに揺れが見られる。

大学を離れた臨床現場の盛り上がりをみて、一層それを感じる。

海外の大学病院で見られるように本来大学病院は研究のみならず臨床の実力をつけるためにも重要拠点であり、大切な役割を持った病院であるべきなのであるが。

ただしこうしたジレンマは心臓外科に比較的特異的であり、研究主体の領域の方々には大学は住み心地良い場であるため共感も理解も得にくいと考えられた。

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個人的には、より改良洗練した手術でより多数の患者を救うには循環器専門施設とくに足腰が強く理解も深い私立病院、あるいはそうした方向性を持てる専門施設がこの国ではやはり適していると考えるこの頃であるし、数字はそれを物語っている。

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ともあれ私立の専門施設の良さが本当に理解できるのは、国立大学病院で10年間努力した賜物であり、若手中堅の先生方の行く末だけはまだまだ心配だが、私自身については多くを学べた点で大学病院での努力と経験は無駄ではなかったと思うのである。

ある優秀な医局員がかつて言ってくれた言葉にそれが凝縮されている。「関連病院では心臓外科を学べたが、京大病院では人生を学べました(苦笑)」。

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追記:

その後、京大病院はどうであろうか。

さまざまな事故がその後も起こり、2011年には肺移植や肝移植で死亡事故が起こっている。

大変遺憾なことである。

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しかしかつて京大病院で滅私奉公で医学医療や母校の発展を願い毎週90時間以上仕事し、臨床に力を入れたものとして残念なのは、何か事故が起これば、医師にその解決を押し付けて解決としていることである。少なくともそのように聞いているし医師専用サイトにそうした書き込みが多数なされている。

たとえば透析や血液浄化の回路組み立てを素人同然の若手医師に義務づけたり、ベンチレーターの回路交換を医師が行うことでナースの協力をとりつけたり、世界の標準からはおよそ考えられない形で「解決」が図られていることである。

こうしたルーチンワークこそ熟練コメディカルがチーム全体の責任と検証のもとで行うべきもので、医師はたとえ頭脳は明晰でも熟練度はゼロに近く、まして大学病院では毎年のようにメンバーが変わるため、熟練度の維持ができないのである。

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ちなみに民間専門病院では熟練コメディカルがすべてやってくれて、医師はチェックしたり意見を聴くだけで安全なルーチンができている。これは世界の標準と言える姿である。

労働組合や公務員気質におもねらない、患者中心の、世界に誇れる道を歩んでほしいと思うのは私だけではないのだが、ますますずれて行っているように見える。

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その上、事故のたびに警察署に届け出るのは一見潔いことだが、現実には刑事事件として扱われることとなり、現場で直接関与した人たちが送検されたり、運が悪ければ起訴されるのである。

たとえ事故がシステムエラーであっても刑事事件では現場の個人の罪となるのが決まりなのである。大学病院のこうした現状を聞くにつれ、ただ残念に思うのである。

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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