医師の一分

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  HP用◎カバー+帯米田正始― 医師の一分

米田をトップから外した京都大学病院の心臓血管外科は、OBの医師を呼び寄せ、四月一六日からなんとか手術を再開したものの、八月までの実績がたったの四件というお粗末な結果だった。患者たちは、「米田の手術再開」を待ち望んでいるのだ。

泥沼の様相を呈するかにみえた京都大学とのいざこざも、八月二四日、急遽解決をみることとなる。

「米田がいったん診療科長に復職した後で退職し、その後も病院の外部調査委員会による心臓血管外科の調査、検証に協力する」といった内容で和解したのである。

九月一四日、病院側に大学での手術実績を十分に認めさせた上で、診療科長に返り咲くと、翌日、辞任。母校を離れることにはなったが、結果として、心臓外科医としての面目を保つことになった。

米田は、この訴訟は「医師の一分」であったと、和解前に行われた『新潮四五』(二〇〇七年一〇月号「『神の手』心臓外科医辞任へ どこへ行く京大病院」)の石岡荘十によるインタビューの中で答えている。

「黙って辞めたら『あいつ手術成績が悪いから辞めたに違いない』と言われますから、訴訟で自分の筋を通したいのです。『武士の一分』というか、『医師の一分』みたいなものです」

世界が認めた外科医としての並々ならぬプライドが垣間見える。そして、同インタビューは以下の言葉で締めくくられる。

「九年間、京大病院を世界に誇れる高度で理想的な病院にしようと頑張ってきましたが、ダメでした。でも、努力を続けます。今度は京大の外に出て、患者を救うことに集中します。(中略)京大スピリットを忘れずに、二つの民間の心臓病専門病院を拠点に京大ではできなかった仕事をしていこうと思っています」

海外で当たり前のようにやってきたことが、一般に日本で最も信頼できる医療機関と思われている大学病院では、さまざまな構造的要因もあり、通用しなかった。

そこで米田は、「京大ではできなかった仕事」を実現するため、「二つの民間の心臓専門病院」に向かう。

一つが、米田同様に海外で修業を積み、多くの著書や、人気マンガのモデルとしても知られる南淵明弘(現・東京ハートセンター 心臓血管外科センター長)が心臓病センター長を務める大和成和病院。そして、もう一つが豊橋ハートセンターだった。いずれも、二四時間、常時患者を受入れられる体制を整えており、年間三〇〇例近くの心臓手術の実績もあった。

二〇〇七年末、自身にとって理想的な環境を持つこの両病院で、スーパーバイザーとして再スタートを切った米田。神奈川県と愛知県を行き来しながらも、臨床の現場で心臓手術を行える日々が帰ってきたのである。

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