母校・京都大学との泥沼のたたかい

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HP用◎カバー+帯米田正始― 母校・京都大学との泥沼のたたかい

帰国した米田を待ち受けていたのは、海外とはおよそかけ離れた、旧態依然とした大学病院のシステムだった。彼を最も驚かせたのは、心臓手術の回数について「枠」があてられていたことだった。週三日、一日一件しか手術室を使えないというのだ。

心臓に限らず、手術を行うには、手術室、看護師、麻酔科、ICU、病棟などのスタッフの協力が不可欠だ。彼らに負担がかかりすぎると、安全管理面にも支障をきたす、との理由から設定されたものだったのだが、大学病院という重症患者が多く集まる医療機関において、果たしてこれが妥当な「枠」なのだろうか。

米田は言う。

「症例数を絞ることが、安全確保につながるとは一概には言えません。それよりも、いくら頑張って仕事をしても報酬は一緒、という国公立病院の制度に問題があると言えます。海外では規程以上の仕事をすれば、それなりの手当ても出るし、評価もされます。努力しても報われないような環境だから、患者さんに対する気持ちより、公務員としての意識の方が強まってしまうのでしょう」

一人でも多くの患者に治療を施したい。またそうすることで、チームとしての「熟練度」と「スキル」がアップし、さらに多くの患者の命が救える。そう考える米田は、「枠」を増やすことに奔走する。各部門に頭を下げ、「枠」外の緊急手術を行ったこともしばしばあった。

だが、彼が扱うオペは難易度が高いこともあり、スタッフの負担や疲労度も大きい。他の科との手術室の調整も、頻度が増えるほど大変になる。病院の「調和を乱す医師」として、次第に浮いた存在となっていった。

手術前の患者に、自身の実績や情報をオープンにして細かく紹介する米田のやり方に対しても、院内からは「自己宣伝が過ぎる」と批判の声が上がったという。

当の患者やその家族からは、「執刀医のことがよくわかって助かる」と好評なのにも関わらず…。

そんな折、一つの事件が起こる。

二〇〇六年三月に京都大学病院で脳死肺移植手術を受けた三〇歳の女性が、手術中に脳障害を起こして意識不明となり、その後も意識が回復することなく、同年一〇月二四日に死亡したのである。

手術は、呼吸器外科を主担当に、心臓血管外科と麻酔科が協力する形で行われたが、病院はサポート役として立ち会っていた米田だけに、突如「手術停止」を宣告したのである。患者の死から二ヶ月後、一二月二六日のことだった。

理由は「安全上の問題」とされたが、EBM(evidence-based medicine:根拠(臨床結果)に基づいた医療)の視点からみても、それまでに彼が行ってきた心臓手術が「危険」なレベルにあるはずがなかった。到底納得することなどできない。

だが病院は、さらに追い打ちをかける。翌年四月より、心臓血管外科長のポストまで米田からはく奪することを決めたのである。

それを知った米田もさすがに黙っていなかった。

三月六日、「不当な降格人事で、手術できなくなる恐れがある」などとして、大学を相手取り地位保全を求める仮処分を京都地裁に申請する。

同日、米田の治療を受けている患者や家族らのグループもこの動きに呼応。二五〇一名の署名(註:その後2万5千に達しました)を添えて、手術の早期再開を求める嘆願書を病院側に提出した。

彼らは、この処分を「医療の安全の問題ではなく、病院側によるいじめのようなものだ」だと訴えた。

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