最終更新日 2020年3月4日
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こうしたご質問を田舎の患者さんから戴くことがあります。とくに最近「後期高齢者」医療や保険が論じられるため、心臓手術を受けるべきかどうしましょうか、というご質問も増えました。
その答えは個々の患者さんの人生観や哲学によってさまざまでしょう。しかし私は「しっかりと生きて」戴きたいと個人的に希望します。
たとえばもう寝たきりで、家族もなく、友人もみな他界され、楽しみもない、という状況の方 でしたら、患者さんがそっと皆の待つ天国へ行きたいと希望されれば手術などせずに、苦痛のみ和らげ、その範囲内で一日でも長く快適に生きられる道を探し、またそのお手伝いをするのも良いと思います。
しかしただ年齢がやや高齢というだけで、心臓さえ治せばまた楽しく過ごせる患者さんを手術せず死なせるというのは私は反対です。というのは病気によっては心臓手術によってすっかり元気になり、その後、他の病気がそれほど重くない状況なら数年以上(あるいは10数年以上)、人間らしく過ごせる可能性が高いからです。たとえば狭心症・冠動脈疾患や大動脈弁狭窄症、胸部大動脈瘤・腹部大動脈瘤や症状の強い弁膜症その他ですね。
こうした議論は心臓血管外科が高齢者でもかなり救命できるようになった20年以上前から話題になることが増えました。そのとき私の恩師 Tirone E. David デービット先生は次のように言われました。
「世の中には、老人はもう役に立たないという理由で老人の医療とくに心臓手術を無駄と言う人もいる。しかしその患者さんが数十年にわたって仕事をし、社会貢献をなし、税金を払って来たという事実をどう考えるのか。」
これはその患者さんの現役時代の収入の多少にかかわらず尊い社会貢献という意味であり、女性とくに主婦業の方の場合は一見無収入でも旦那さんやご家族を介しての社会貢献という意味ではやはり尊いものがあるという意味です。
年老いて役に立たなくなったからもう不要だなどという社会は、身体障害者やハンディキャップを負った人たちを排除する社会と同じで、中国の古典・孔子の言うケダモノ社会です。そういう社会になってほしくはありません。
もちろん日本の医療を支えるのは日本の経済であり、その日本経済はこれから徐々に低落することが識者から指摘されている現在、医療もまたそれに対応して無駄遣いのない、効果的なものを追求する必要があります。しかしだからと言って、恩人とも言える老人を捨てて良いということにはなりません。
日本はいろんな意味で遅れた未発達国家ですが、国民皆保険とくにご老人に対する手厚い支援は世界に誇るべきものです。近年それが崩されつつあることを懸念します。
ベトナムや中国、タイ、その他の国々で心臓手術させていただくとき、日本の保険制度のありがたさを実感します。アジア諸国では医療費をねん出するために、患者さんがご家族を売るなどもまだあると聞きます。日本で後期高齢者の患者さんを守ることは人間的な社会を守ることでもあるのです。(ご参考:三笠宮さま(96歳)の僧帽弁形成術)
ちょっと余談ですが、ベトナムのホーチミン市の病院で弁膜症と心房細動の手術をしたときに、関係者から同じ手術でもなぜ先生の手術(強化したメイズ手術)はシンガポールの先生の手術より安価なのですか?と聞かれたことがあります。
それは高価な使い捨て器機を使わずに、術式で工夫して確実に治すからですと答えました。これからの時代にはこうした考え方は大切と思っています。
いささか話が大きくなり、かつ余談になってしまいましたが、後期高齢者だから治療を受けないというお考えよりは、皆で人間らしい社会を造ろうという方向で、ご自分もしっかり元気になるように治療を受けるというように考えられるのがよろしいかと思います。
なおご高齢の患者さんにつきまして、より医学的観点からのご説明は、この質問集の次のセクション「医学的なこと」のQ4に記載いたしました。また世の中では平均寿命と平均余命が混乱して使われていることがあります。平均余命のページもご参考になるでしょう。
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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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