お便り73 リウマチ性連合弁膜症と心房細動をミックス法手術で克服

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リウマチ性弁膜症は通常の年齢性の弁膜症と比べて弁の変化・変形が強く起こります。そのため弁形成にもそれ相応の経験と戦略が必要となります。

Suzuran患者さんは69歳の女性で、的確な心臓手術をもとめて千葉県から来られました。

リウマチによる僧帽弁膜症のため弁が石のように硬くなり僧帽弁狭窄症と閉鎖不全症の両方をもつタイプでした。こうした硬い弁は形成に適さないのですが、私たちはパッチなどを駆使して形成することが近年増えました。

ただこうした複雑な僧帽弁形成術は時間がかかり、重症患者さんの体への負担が少なくありません。70歳近いご年齢からは、むしろ確実に短時間で完了する生体弁による弁置換が安全で、しかも生体弁の耐久性もこのご年齢なら20年近いため、この点でも生体弁が選択肢と考えられました。むしろ時間的余裕をつくって心房細動に対するメイズ手術等をしっかり行うメリットが大きいと言える状況でした。

さらに高度の変化をともなう三尖弁閉鎖不全症があり、そして強い肺高血圧つまり肺の動脈圧が高く危険な状態で、てきぱきとポイントを押さえたコンパクトな手術が望まれる状況でした。

こうしたことを考慮し、手術は記録にこだわりなく患者さんにもっとも益する手術を行いました。まず生体弁で僧帽弁置換術(MVR)を行い、ついで三尖弁には弁の異常が強く通常の弁輪形成だけでは逆流が残るタイプでしたので、確実に生体弁で弁置換(TVR)しました。せっかく生体弁を使うのですから、何とかワーファリンの不要な生活をと、両心メイズで徹底的に除細動しました。

これらを皮膚切開10㎝の小さい創で、MICS法(ミックス法、小さい切開で患者さんに優しい手術です)にて行いました。

術後経過は良好で、弁機能、心臓の機能とも良好で、手術前の肺高血圧症も治り、リズムも正常化してまもなくワーファリン不要の状態となられました。

以下はその患者さんからの礼状です。大きな手術をよく決意し頑張って下さったと思います。


***********患者さんからのお便り*******

 

先生、その節はありがとうございました!

これまで他では一度も経験したことのない病院のやさしさとあたたかさにはじめは却って戸惑うほどでしたが、いつしか安心とリラックスの中で病院生活をさせていただきました。

本来なら、今ごろはなかったかもしれないいのち、歩くことお茶わんを洗うこと、すべてがいとおしく大切に過させていただいております。

無言で教えていただきました「愛」を私もこれから出会う人や周りの人達に対して実践できたらと思っております。

只、入院中に一度と、退院した日に強いストレスを受けることがございました。そのために治していただいたばかりの身体に何らかのショックを与えたかもしれません。

脈拍が突然はやくなったり、色が突然変わったようにゆっくりになったりということをときどき経験致しております。

自身を持って焦らず治癒する日を待たなければと思っておりました。

先生に出会わせていただけました幸運とともにいのちのあることをかみしめております。
心よりありがとうございました。ありがとうございました。

****
米田正始先生
三月二十八日


患者さんのお母様からも礼状を頂きました。

*********患者さんのお母様からのお手紙******


突然のお手紙で失礼を申し上げます。

私は****の母親でございます。

この度、私の娘****が元気で私の元へ帰って参りました事に先生にお目にかかって御礼申し上げたいと願っても年を取っていてかないません。

 
尊い先生という事も娘から聞き遠くから手を合わせさせて頂いて居ります。

沢山の御礼を申し上げます。

 

その後外来にてお元気なお姿を拝見し、うれしく思っています。

患者さんの会社で発行している新聞に手記を掲載されました。皆様のご参考になるかもと考え、以下に許可をえて掲載します。

 

************ 新聞の手記 ***********


「50歳になる頃には心臓の手術をすることになるでしょう」と子供の頃から言われつづけていたその50歳を越え、更に20年近い歳月が経ちました。

5・6年前から心房細動という発作が起こり初めていたので、5月(23年)になって「心不全です。だから手術が必要」と言われた時も、さして驚くこともなく、3歳から背負ってきた人生にいよいよ決別するときが来たのだと思いました。

 

「本当に奇跡を起こしていたのね。心臓の寿命を予定より20年近くも延ばしたなんて…」Aさんがそう言いました。

そのあと呼吸法の会を催すことになったのです。

みんなで呼吸法や瞑想、そしてアファメーションなどを行って、お互いに気を送り合いました。

宇宙空間にあずけた魂は超然として心底休息をとりました。

心臓の機能が落ちれば苦しい筈ですが、新鮮な酸素をいっぱいに吸って、アファメーションでは「元気だ」と言い聞かせられている身体は、思うほどの症状はなく、会社の仕事をはじめとして、2ケ月に及ぶ、床暖房の修復工事をしたりして、私はすべきことを着々と果たして行きました。

病気がなくても病気の人もいれば、病気はあるけれど元気に暮らしている人もいる。

病気のあるなしに関わらず、最期のときまで元気で生きられるかどうか、それが重要なことだと思うのです。

昔の人たちは神に与えられた生命を自然に全うしました。

 
オムツで世話になり屍のように生かされつづけてしまう、現代特有の長寿を考えるとき、つくづく執着しない自然な“生”でありたいと願うのです。

仮にもし、私がここで死ぬことになれば、ぎりぎりまで元気に生きて、昔の人たちに近い死に方をすることになるのではないか、これから老いる一方である筈の自分の年齢を考えました。

けれども親がいて、何よりも、私にはしたいことが沢山ありました。この期におよんで、“生きたい”という思いが手術への期待感を募らせました。
手術の宣告を受けた同じ23年の11月初旬、私は自転車で出かけて転倒しました。血液さらさらのお薬のせいか出血をして救急車で運ばれました。

4針ばかりの縫合手術をしました。

「病気になってもお転婆が治らない。それでは怪我でもさせて安静にさせようという、神様の計らいだったんだと思う」とTさんは言いました。

 
懐石料理を作ってくれるという人に出会ったのもその頃のことでした。懐石料理のお店を開いていたけれど、彼女はそのお店を閉じざるを得なくなったのです。

初めの日は、鯛の昆布〆や茶わん蒸しなどを作ってくれました。

私は、若いころからずっと食事を作りつづけてきたので、いよいよ作って貰える番がめぐってきたのだと思いました。

名古屋の病院では、先生や看護師さんばかりでなく、事務の方たちやお掃除の方々にいたるまで明るい愛の気が発信されていました。

病院であるにもかかわらず緊張を必要としない、安定感のあるゆるぎないやさしさに少なからず驚きました。

同じことを感じているらしい、付添のTさんは「もともと人格や人柄に素質のある人か採用されているのでしょう。

ただ教育されたのとは違う、包容力のあるやさしさに、ホッとしますね。」と言いました。

“神の手”と呼ばれるK先生からは、少しでも多くの患者さんを治したいという、やむにやまれぬ思いが大きなオーラとなって伝わってきて、伺った私達4人皆が感動をしました。

検査の結果が出たあと、先生の表情はあきらかに曇っていました。「重症です。安静にして、このまま手術の日まで名古屋にとどまって下さい」
けれども、まだ残っている“すべきもの”を果たすために決心をして、-時、市川に戻りました。

病気は、“憎帽弁閉鎖不全症”の上に、いつの間にか狭窄も起こしていて、逆流で行き場を失った血液が三尖弁にまで流れ込み、そこでも血液の逆流を起こし、あふれた血液が肺を水浸し(血浸し)にしているというのです。

昔の人なら正にこれが生き切った状態といえたでしょう。

大学教員で普段は多忙な妹が春休みになり、入院に付き添ってくれることになりました。

病院のベッドで、彼女から名古屋の街の探検話を聞きながら、私は、随分長い間ショッピングをしていないことに気づきました。

元気になって、再び街を歩けるという新たな励みを貰ったのです。

手術当日の朝、K先生を除く先生方と手術室の看護師さんたちが、ストレッチャーをにぎやかに引っ張って病室に迎えに来てくれました。

青空のように明るくてやさしさに満ちていて、大勢で手術室の扉をくぐった時には、私はすでに安心の境地にありました。

安定剤をまったく必要とせず、ぐっすり眠った心身はとても平和で静かでした。

 

手術が終わって起こされた時、眠りとは違う、“虚”というべきか、私は、麻酔というものの不思議な感覚の中にいました。

眠りには、時間の経過の記憶が身体に残っているけれど、麻酔には時間がなく、肉体が、自分から遮断されていたという強烈な感覚がありました。

起こされた時、一挙に肉体が戻ってきたといった実感に少なからずショックを覚えました。

そして私は「いま何時なの?何日なの?」と、今おかれている自分の位置を確認しなければなりませんでした。

 

「5時間半という時間、待っている身には長くて耐え難い時間だった」そういう従兄弟のK君には、子供の頃、お風呂に入れたり遊んだり可愛い思い出がいっぱいあるのです。幼かったそ彼が今は、私の身元引受人となって、忙しい会社経営の仕事の合間に面倒をみてくれました。

そして手術が終わった時、たちまちその成功が身内に知らされたそうです。知らない間に私はみんなに心配をかけていたのです。

覚醒からしばらくして車椅子まで歩きました。手術直後からリハビリが始まっていたのです。

 

静養室に移ってうとうとしているとき、廊下から、誰かが、私に自分の存在を気づかせようとしていることに気づきました。

それは母の弟の叔父でした。

私は「近くに来て頂戴」と無言で頼みました。けれども彼は温かい表情を残したままそれ切り消えてしまったのです。

短い時間だったけど、私は、叔父の姿をみて安心を覚えました。

叔父は後で「面会は病室の外から5分だけと言われたのだよ。私は、あの時バイキンだったからね」と言いました。

妹は、春休み中にすべき仕事をごまんと抱えていて、そのため、手術後3日目の朝には東京に発たなければなりませんでした。

妹がいなくなった後、身体に沢山の管をつけたまま車椅子でナースステーションに移動し、そこで励まされながら食事をしました。

食べることは戦いでした。

そしてすべての管がとれた元気な姿を再び戻った妹に見せることができたのです。

リハビリに励んでいるとき、ひとりの男性が私の前を歩いていました。そのうしろ姿は肩を落としてうなだれ、力をすっかりなくしているように思われました。

昔、刀で切られた人は力を失くして恐れや不安などの感情に支配されただろうと思います。

「心臓の手術は他の臓器の手術とは違うのよ」と言った人がいました。
 

前を歩く人の背中を見ながら、私も、彼と同じであることに気づきました。そうだ。いつものアレをしよう!いつものアレとはと呼吸法のことです。

呼吸法のときの姿勢は満ち足りていてうつくしい。頭のてっぺんを宇宙から吊り下げて、顎を引き、鼻とお臍をまつすぐに結びます。

そして腰椎を立てました。すると自然に胸が出てきます。

健康な姿が出来あがり、次は、鏡の前で思い切り笑顔を作ってみました。

愉快になって来ました。いつもの自分の姿がそこにはありました。

痛みもつらいことも何もないのだから、畢寛、うなだれる理由もないということなのです。
 

私は、いま作ったばかりの姿勢のまま部屋を出て行き、病棟のロビーの椅子にシャンと腰を下ろしました。

かばう姿勢よりも自由になれて自信がもてて、血液の循環にも良いのです。

 

心のことをハートと言い、心臓のこともハートと言う。

ある看護師さんは、心臓はその人の心そのもの、というよりもその人自身だというのです。

「身体を救うために、そのこころに傷をつけなければならない」その言葉を、手術が終わった直後から、私は実感することになりました。

身体は痛みもなく何ともなかったけれど、心を、そして心臓を切られてしまった叫びなのか、かなしみとも違うハッとするような感情が私を支配していました。

日頃の自分の“根っこ”はどこに行ってしまったのか、不安定すぎる自分の心を支え切れず、胎内のような絶対の愛と安心を求めて誰かにハグしてほしいと思いました。

そんなときに、従姉妹のSちゃんが「お姉様、よく頑張ったわね」と言って、しっかりと抱きしめてくれました。涙があふれました。’

支障が生じる人や用事のある人以外には極秘で入院しましたが、場所か名古屋だったおかげで、友達や従姉妹たちや、普段には決して会えない遠い地の人たちにも逢うことができました。

お見舞いにいただいたお花が、傷ついた心身に思ってもみないほど大きな慰めとなりました。

それに、初めてと言ってよいほど沢山のメールをいただき、それにはどんなに励まされたか分かりません。

こうした体験の後だったからこその力づけでした。

 

退院後のお見舞いでは驚かされることがありました。中でも感動したのは、Kさんが夕方訪れて、音楽室の灯りを消し、天井から壁・床に至るまで部屋中にお星様を散りばめて見せてくれたことです。

いつまでも見ていたいと思うほど幻想的で美しい光のページェントでした。

 

彼女は材料を持参してテーブルの上で釜めしを炊いてくれました。

デザートも用意されていて、温かで素朴ですばらしいパーティでした。

釜めしはアツアツでおいしくて彼女のぬくもりそのものでした。

手術の一連がくれたこうした豊かなものを家族共々一生忘れることはないだろうと思います。

 

退院すると、母は、あずけられていた施設から飛ぶように戻ってきました。

会社では大きな仕事が待っていて、私は手術後2ケ月で復帰することになりました。

壊れていない心臓は、私に生まれて初めてと言ってよいほど幸せな日々をもたらしました。

F先生は「腎臓にしても胃袋にしても、普通、その臓器の一部をなくした状態で“治った”と言うことが多いけど、心臓だけは完璧なかたちで治るんですよ」とおっしゃいました。

 
後半の人生に向かって新たな夢がひろがっています。それでいて、“生きること”それが人生の目的なのだと、単純で、かつ当たり前のことを、初めて悟ったような気もしています。

「手術をおえて、いま、どんな気持ち?」

「新しくなった気持ちよ。何でも素敵に見える。今まで見過ごしていたようなことまでみんな素敵に見えるわ」

「ふ-ん。私もどこか切らなくちゃ」…。

 

お見舞いを直接はいただかない方の心も伝わって来ました。

忙しい日々折々の中、ご心配いただいたことを本当に感謝しています。

本格的な始動は9月からです。宜しくお願い致します。  

    

24年7月  

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執筆:米田 正始
医誠会病院スーパーバイザー 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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