お便り73 リウマチ性連合弁膜症と心房細動をミックス法手術で克服

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リウマチ性弁膜症は通常の年齢性の弁膜症と比べて弁の変化・変形が強く起こります。そのため弁形成にもそれ相応の経験と戦略が必要となります。

Suzuran患者さんは69歳の女性で、的確な心臓手術をもとめて千葉県から来られました。

リウマチによる僧帽弁膜症のため弁が石のように硬くなり僧帽弁狭窄症と閉鎖不全症の両方をもつタイプでした。こうした硬い弁は形成に適さないのですが、私たちはパッチなどを駆使して形成することが近年増えました。

ただこうした複雑な僧帽弁形成術は時間がかかり、重症患者さんの体への負担が少なくありません。70歳近いご年齢からは、むしろ確実に短時間で完了する生体弁による弁置換が安全で、しかも生体弁の耐久性もこのご年齢なら20年近いため、この点でも生体弁が選択肢と考えられました。むしろ時間的余裕をつくって心房細動に対するメイズ手術等をしっかり行うメリットが大きいと言える状況でした。

さらに高度の変化をともなう三尖弁閉鎖不全症があり、そして強い肺高血圧つまり肺の動脈圧が高く危険な状態で、てきぱきとポイントを押さえたコンパクトな手術が望まれる状況でした。

こうしたことを考慮し、手術は記録にこだわりなく患者さんにもっとも益する手術を行いました。まず生体弁で僧帽弁置換術(MVR)を行い、ついで三尖弁には弁の異常が強く通常の弁輪形成だけでは逆流が残るタイプでしたので、確実に生体弁で弁置換(TVR)しました。せっかく生体弁を使うのですから、何とかワーファリンの不要な生活をと、両心メイズで徹底的に除細動しました。

これらを皮膚切開10㎝の小さい創で、MICS法(ミックス法、小さい切開で患者さんに優しい手術です)にて行いました。

術後経過は良好で、弁機能、心臓の機能とも良好で、手術前の肺高血圧症も治り、リズムも正常化してまもなくワーファリン不要の状態となられました。

以下はその患者さんからの礼状です。大きな手術をよく決意し頑張って下さったと思います。


***********患者さんからのお便り*******

 

先生、その節はありがとうございました!

これまで他では一度も経験したことのない病院のやさしさとあたたかさにはじめは却って戸惑うほどでしたが、いつしか安心とリラックスの中で病院生活をさせていただきました。

本来なら、今ごろはなかったかもしれないいのち、歩くことお茶わんを洗うこと、すべてがいとおしく大切に過させていただいております。

無言で教えていただきました「愛」を私もこれから出会う人や周りの人達に対して実践できたらと思っております。

只、入院中に一度と、退院した日に強いストレスを受けることがございました。そのために治していただいたばかりの身体に何らかのショックを与えたかもしれません。

脈拍が突然はやくなったり、色が突然変わったようにゆっくりになったりということをときどき経験致しております。

自身を持って焦らず治癒する日を待たなければと思っておりました。

先生に出会わせていただけました幸運とともにいのちのあることをかみしめております。
心よりありがとうございました。ありがとうございました。

****
米田正始先生
三月二十八日


患者さんのお母様からも礼状を頂きました。

*********患者さんのお母様からのお手紙******


突然のお手紙で失礼を申し上げます。

私は****の母親でございます。

この度、私の娘****が元気で私の元へ帰って参りました事に先生にお目にかかって御礼申し上げたいと願っても年を取っていてかないません。

 
尊い先生という事も娘から聞き遠くから手を合わせさせて頂いて居ります。

沢山の御礼を申し上げます。

 

その後外来にてお元気なお姿を拝見し、うれしく思っています。

患者さんの会社で発行している新聞に手記を掲載されました。皆様のご参考になるかもと考え、以下に許可をえて掲載します。

 

************ 新聞の手記 ***********


「50歳になる頃には心臓の手術をすることになるでしょう」と子供の頃から言われつづけていたその50歳を越え、更に20年近い歳月が経ちました。

5・6年前から心房細動という発作が起こり初めていたので、5月(23年)になって「心不全です。だから手術が必要」と言われた時も、さして驚くこともなく、3歳から背負ってきた人生にいよいよ決別するときが来たのだと思いました。

 

「本当に奇跡を起こしていたのね。心臓の寿命を予定より20年近くも延ばしたなんて…」Aさんがそう言いました。

そのあと呼吸法の会を催すことになったのです。

みんなで呼吸法や瞑想、そしてアファメーションなどを行って、お互いに気を送り合いました。

宇宙空間にあずけた魂は超然として心底休息をとりました。

心臓の機能が落ちれば苦しい筈ですが、新鮮な酸素をいっぱいに吸って、アファメーションでは「元気だ」と言い聞かせられている身体は、思うほどの症状はなく、会社の仕事をはじめとして、2ケ月に及ぶ、床暖房の修復工事をしたりして、私はすべきことを着々と果たして行きました。

病気がなくても病気の人もいれば、病気はあるけれど元気に暮らしている人もいる。

病気のあるなしに関わらず、最期のときまで元気で生きられるかどうか、それが重要なことだと思うのです。

昔の人たちは神に与えられた生命を自然に全うしました。

 
オムツで世話になり屍のように生かされつづけてしまう、現代特有の長寿を考えるとき、つくづく執着しない自然な“生”でありたいと願うのです。

仮にもし、私がここで死ぬことになれば、ぎりぎりまで元気に生きて、昔の人たちに近い死に方をすることになるのではないか、これから老いる一方である筈の自分の年齢を考えました。

けれども親がいて、何よりも、私にはしたいことが沢山ありました。この期におよんで、“生きたい”という思いが手術への期待感を募らせました。
手術の宣告を受けた同じ23年の11月初旬、私は自転車で出かけて転倒しました。血液さらさらのお薬のせいか出血をして救急車で運ばれました。

4針ばかりの縫合手術をしました。

「病気になってもお転婆が治らない。それでは怪我でもさせて安静にさせようという、神様の計らいだったんだと思う」とTさんは言いました。

 
懐石料理を作ってくれるという人に出会ったのもその頃のことでした。懐石料理のお店を開いていたけれど、彼女はそのお店を閉じざるを得なくなったのです。

初めの日は、鯛の昆布〆や茶わん蒸しなどを作ってくれました。

私は、若いころからずっと食事を作りつづけてきたので、いよいよ作って貰える番がめぐってきたのだと思いました。

名古屋の病院では、先生や看護師さんばかりでなく、事務の方たちやお掃除の方々にいたるまで明るい愛の気が発信されていました。

病院であるにもかかわらず緊張を必要としない、安定感のあるゆるぎないやさしさに少なからず驚きました。

同じことを感じているらしい、付添のTさんは「もともと人格や人柄に素質のある人か採用されているのでしょう。

ただ教育されたのとは違う、包容力のあるやさしさに、ホッとしますね。」と言いました。

“神の手”と呼ばれるK先生からは、少しでも多くの患者さんを治したいという、やむにやまれぬ思いが大きなオーラとなって伝わってきて、伺った私達4人皆が感動をしました。

検査の結果が出たあと、先生の表情はあきらかに曇っていました。「重症です。安静にして、このまま手術の日まで名古屋にとどまって下さい」
けれども、まだ残っている“すべきもの”を果たすために決心をして、-時、市川に戻りました。

病気は、“憎帽弁閉鎖不全症”の上に、いつの間にか狭窄も起こしていて、逆流で行き場を失った血液が三尖弁にまで流れ込み、そこでも血液の逆流を起こし、あふれた血液が肺を水浸し(血浸し)にしているというのです。

昔の人なら正にこれが生き切った状態といえたでしょう。

大学教員で普段は多忙な妹が春休みになり、入院に付き添ってくれることになりました。

病院のベッドで、彼女から名古屋の街の探検話を聞きながら、私は、随分長い間ショッピングをしていないことに気づきました。

元気になって、再び街を歩けるという新たな励みを貰ったのです。

手術当日の朝、K先生を除く先生方と手術室の看護師さんたちが、ストレッチャーをにぎやかに引っ張って病室に迎えに来てくれました。

青空のように明るくてやさしさに満ちていて、大勢で手術室の扉をくぐった時には、私はすでに安心の境地にありました。

安定剤をまったく必要とせず、ぐっすり眠った心身はとても平和で静かでした。

 

手術が終わって起こされた時、眠りとは違う、“虚”というべきか、私は、麻酔というものの不思議な感覚の中にいました。

眠りには、時間の経過の記憶が身体に残っているけれど、麻酔には時間がなく、肉体が、自分から遮断されていたという強烈な感覚がありました。

起こされた時、一挙に肉体が戻ってきたといった実感に少なからずショックを覚えました。

そして私は「いま何時なの?何日なの?」と、今おかれている自分の位置を確認しなければなりませんでした。

 

「5時間半という時間、待っている身には長くて耐え難い時間だった」そういう従兄弟のK君には、子供の頃、お風呂に入れたり遊んだり可愛い思い出がいっぱいあるのです。幼かったそ彼が今は、私の身元引受人となって、忙しい会社経営の仕事の合間に面倒をみてくれました。

そして手術が終わった時、たちまちその成功が身内に知らされたそうです。知らない間に私はみんなに心配をかけていたのです。

覚醒からしばらくして車椅子まで歩きました。手術直後からリハビリが始まっていたのです。

 

静養室に移ってうとうとしているとき、廊下から、誰かが、私に自分の存在を気づかせようとしていることに気づきました。

それは母の弟の叔父でした。

私は「近くに来て頂戴」と無言で頼みました。けれども彼は温かい表情を残したままそれ切り消えてしまったのです。

短い時間だったけど、私は、叔父の姿をみて安心を覚えました。

叔父は後で「面会は病室の外から5分だけと言われたのだよ。私は、あの時バイキンだったからね」と言いました。

妹は、春休み中にすべき仕事をごまんと抱えていて、そのため、手術後3日目の朝には東京に発たなければなりませんでした。

妹がいなくなった後、身体に沢山の管をつけたまま車椅子でナースステーションに移動し、そこで励まされながら食事をしました。

食べることは戦いでした。

そしてすべての管がとれた元気な姿を再び戻った妹に見せることができたのです。

リハビリに励んでいるとき、ひとりの男性が私の前を歩いていました。そのうしろ姿は肩を落としてうなだれ、力をすっかりなくしているように思われました。

昔、刀で切られた人は力を失くして恐れや不安などの感情に支配されただろうと思います。

「心臓の手術は他の臓器の手術とは違うのよ」と言った人がいました。
 

前を歩く人の背中を見ながら、私も、彼と同じであることに気づきました。そうだ。いつものアレをしよう!いつものアレとはと呼吸法のことです。

呼吸法のときの姿勢は満ち足りていてうつくしい。頭のてっぺんを宇宙から吊り下げて、顎を引き、鼻とお臍をまつすぐに結びます。

そして腰椎を立てました。すると自然に胸が出てきます。

健康な姿が出来あがり、次は、鏡の前で思い切り笑顔を作ってみました。

愉快になって来ました。いつもの自分の姿がそこにはありました。

痛みもつらいことも何もないのだから、畢寛、うなだれる理由もないということなのです。
 

私は、いま作ったばかりの姿勢のまま部屋を出て行き、病棟のロビーの椅子にシャンと腰を下ろしました。

かばう姿勢よりも自由になれて自信がもてて、血液の循環にも良いのです。

 

心のことをハートと言い、心臓のこともハートと言う。

ある看護師さんは、心臓はその人の心そのもの、というよりもその人自身だというのです。

「身体を救うために、そのこころに傷をつけなければならない」その言葉を、手術が終わった直後から、私は実感することになりました。

身体は痛みもなく何ともなかったけれど、心を、そして心臓を切られてしまった叫びなのか、かなしみとも違うハッとするような感情が私を支配していました。

日頃の自分の“根っこ”はどこに行ってしまったのか、不安定すぎる自分の心を支え切れず、胎内のような絶対の愛と安心を求めて誰かにハグしてほしいと思いました。

そんなときに、従姉妹のSちゃんが「お姉様、よく頑張ったわね」と言って、しっかりと抱きしめてくれました。涙があふれました。’

支障が生じる人や用事のある人以外には極秘で入院しましたが、場所か名古屋だったおかげで、友達や従姉妹たちや、普段には決して会えない遠い地の人たちにも逢うことができました。

お見舞いにいただいたお花が、傷ついた心身に思ってもみないほど大きな慰めとなりました。

それに、初めてと言ってよいほど沢山のメールをいただき、それにはどんなに励まされたか分かりません。

こうした体験の後だったからこその力づけでした。

 

退院後のお見舞いでは驚かされることがありました。中でも感動したのは、Kさんが夕方訪れて、音楽室の灯りを消し、天井から壁・床に至るまで部屋中にお星様を散りばめて見せてくれたことです。

いつまでも見ていたいと思うほど幻想的で美しい光のページェントでした。

 

彼女は材料を持参してテーブルの上で釜めしを炊いてくれました。

デザートも用意されていて、温かで素朴ですばらしいパーティでした。

釜めしはアツアツでおいしくて彼女のぬくもりそのものでした。

手術の一連がくれたこうした豊かなものを家族共々一生忘れることはないだろうと思います。

 

退院すると、母は、あずけられていた施設から飛ぶように戻ってきました。

会社では大きな仕事が待っていて、私は手術後2ケ月で復帰することになりました。

壊れていない心臓は、私に生まれて初めてと言ってよいほど幸せな日々をもたらしました。

F先生は「腎臓にしても胃袋にしても、普通、その臓器の一部をなくした状態で“治った”と言うことが多いけど、心臓だけは完璧なかたちで治るんですよ」とおっしゃいました。

 
後半の人生に向かって新たな夢がひろがっています。それでいて、“生きること”それが人生の目的なのだと、単純で、かつ当たり前のことを、初めて悟ったような気もしています。

「手術をおえて、いま、どんな気持ち?」

「新しくなった気持ちよ。何でも素敵に見える。今まで見過ごしていたようなことまでみんな素敵に見えるわ」

「ふ-ん。私もどこか切らなくちゃ」…。

 

お見舞いを直接はいただかない方の心も伝わって来ました。

忙しい日々折々の中、ご心配いただいたことを本当に感謝しています。

本格的な始動は9月からです。宜しくお願い致します。  

    

24年7月  

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り72 二弁置換とメイズ手術をミックス法で受けた患者さん

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ミックス手術つまり小さい皮膚の創で患者さんへの負担が少ない、小切開低侵襲手術はこれまでのところ、限られた数の病院で、しかも一部の比較的簡単な心臓手術にしか使われていないという傾向があります。

IMG_5568bたしかにミックス手術は視野が限られるため、あまり大きな手術には不向きと言う意見も一理あります。

しかしミックス手術が安全にできる範囲内で、なるべく多くの患者さんたちにその恩恵が届くように、という努力を私たちは続けています。

つまり簡単な手術の、それも若い患者さんだけでなく、より複雑な心臓手術それもより高齢の患者さんにも安全にできるミックス手術を推進しています。

下記の患者さんは60台半ばの女性で、二弁が硬く狭くなっており、しかも心房細動になっておられたため、二弁置換とメイズ手術という、比較的大きな手術を希望して来院されました。

大学病院ではミックス手術などありえない、そんな必要はないといわれてのご来院でした。

 

ミックス手術は不慣れな心臓外科医が行うには多少とも危険な手術です。しかし熟練した外科医が、快適にやれる場合は前向きにやるのが良いと考えています。

それは手術のあとの痛みが少なく、運動もしやすいため術後肺炎や静脈血栓症などの合併症も予防しやすく、早く普通の生活や仕事にもどれるためストレスが少なくご家族の負担も軽くなるから良いのです。

美容上のメリットつまり夏服でも創が見えない見えにくいというのは確かに大きなメリットですが、それは結果にすぎません。

ミックス手術のほんとうにあるべき姿を見失わない、これが大切なのです。

患者さんは二弁ともきれいに作動するようになり、心房細動も治りました。

多数の弁形成手術の経験から、こうした弁がカチカチに硬化・肥厚した弁で比較的ご高齢の場合は複雑な弁形成よりも生体弁が有利なことが多々あり、内容的にも良かったと思います。

 

*********患者さんからのお便り*************

米田正始先生

22日に2弁の置換、心房のメイズ手術をしていただいた****です。
 

退院の翌日、6月3日の録画をみて、”私もこんな大変な手術をうけたと
自分の心臓をいとおしく思いました。

今日はじめてPCを開きました。”いい心臓、~”からその録画が先生の
ホームページにUPされているのを知り、もう一度みました。

セカンドオピニオンは”患者の権利”とはいうものの、とりづらいものです。
とくに私は3年間受診し、手術を前にしてのことでした。

でも何かに導かれるように米田先生に出会うことができ、本当に幸運
だったと思っています。

手術後、先生が”自分の症状を調べ、勉強したごほうびです”とおっしゃってくださいました。うれしかったです。

北村先生、深谷先生、木村先生の朝の回診。いつも笑顔で・・・色、形は
ちがいますが・・・どんな質問にも応じて下さいました。患者が心待ちにしている
回診、それまでの私の回診のイメージとは全くちがいました。

手術後、まだつらい時に夫の命日を迎えました。

暗い部屋の中で、涙を流していると、やさしく声をかけて下さった看護士さん。

18日間の入院中、たくさんのみなさまにお世話になりました。

心よりお礼申し上げます。

9月11日

****

 

Ilm09_ak02018-sご主人さまの命日のお話を知ったとき、ジーンと来ました。

つらい中を本当によく頑張って下さったと思います。

これからご主人の分も楽しく元気に暮らして下さいと願わずにはおれません。

支えになってくれた看護師さんにも感謝しています。

 

上記のお便りをいただいてから、その掲載許可をお願いしたところ、以下の追加のお便りを下さいました。ありがとうございます。

 

********** 追加のお便りです **********

米田正始先生

先生のホームページに掲載の件、私の経験がお役に立つのであれば
うれしいことです。

私は、手術は大学病院でするものと思っていましたので、ハートセンター、
米田先生についての知識は全くありませんせした。

先生が広く情報を発信してくださっているおかげです。

そしてコネもないのに快く受け入れてくださいました。

これは独り言です・・・患者にとってメリットばかりのMICS、どうして名古屋の
大学病院では無理なのでしょうか? 旧態依然???

今、”患者さんの会のご案内”読ませていただきました。

おもしろい、楽しそうな演題なので、ぜひ参加したいと思います。

9月12日


**********************

いつしか時間が経ちました。 Sirayuri

外来でお元気なお姿を拝見するたびにうれしく思っています。

前向きの姿勢で楽しい生活をお送りください。

そうこうしているうちに2年あまりがたち、お正月にメールマガジンに対してお返事をWEB経由で頂きました

海外旅行楽しんできてください

******* 2年後にいただいたメールです ******

 

57号読ませていただきました。 お便り72コメント

私は2012年8月に名古屋ハートセンターで、2弁置換とメイズ手術を先生にしていただきました。

すっかり健康になり、水泳、ゴルフ、旅行と元気に過ごしております。

手術の傷痕を見なければ手術したことを忘れるほどです。先生のおかげで大学病院で言われた半分以下の創ですみ、普通の夏服や水着が着られます。

大学病院で手術も決まっていたのに、先生にお会いでき不思議な気がしております。

幸運でした。

5日からスリランカに行ってきます。

ここに書くのは場違いと思いますが、お許しください。先生のご健康をお祈りします。

**********************


こうした楽しいお便りを頂けるのはほんとうにうれしいことです。

なお米田正始は2016年8月から医誠会病院で心臓手術(外来は仁泉会病院でも)をしています。

メールマガジンはこのホームページの右段にご案内がございます。

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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【第三十五号】 第10回患者さんの会の変更のご案内

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 【第三十五号】
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           発行:心臓血管外科情報WEB
           http://www.masashikomeda.com
           編集・執筆:米田正始
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台風のあと、ちょっと秋の訪れを感じさせるこのごろです。

季節の変わり目ということで風邪などひいておられませんか。ご自愛下さい

さて本日は第十回患者さんの会の日程変更のお知らせです。

先日のメールマガジン(いい心臓いい人生)では11月25日(日曜日)と

お伝えいたしました。

連休の最終日で申し訳なく思っていましたが、何とか会場の都合がつき、

11月18日(日曜日)午後1時ー3時

にできることになりました。

ちょっと大きめの部屋になりましたが、前の方に詰めてご参加頂ければと思

います。開放的な会を目指していますので、もしご友人や通院仲間などの方

をお連れ頂ければ幸いです。

健康増進に役立つ、有意義な会にしたく思います。ふるってご参加ください

良心的価格の会場のおかげで会費は割安になりました。

なお地図や詳細は

心臓血管外科情報WEB 

https://www.shinzougekashujutsu.com/web/2012/09/10thptsmeeting.html 

をごらんください。

----記----

第十回患者さんの会

日時:平成24年10月18日日曜日 午後1時から午後3時まで

場所: キャンパスプラザ京都

内容:近況報告(米田正始および何人かの患者さん。我と思わんかたどうぞ

講演:「有名人の心臓手術から学ぶこと」 米田正始

あまりにも話題になった天皇陛下のバイパス手術をはじめ、三笠宮さまの僧

帽弁形成術、武田鉄矢さんの二尖弁大動脈弁の手術、加藤茶さんの大動脈解

離など。

質疑応答なんでも相談: 心臓手術やそれにまつわる悩み・疑問をどうぞ

(込み入ったご相談はとりあえず簡略お話しし、後日また時間をもうけるな

ど致します)

総合司会:松岡さん

連絡事項、新たな世話人さまなどのご相談

お申込み: 準備の都合上、お早めにお申し込みください

参加費: おひとり1500円(含:会場費、飲食代、通信費、その他)

申し込み先: 米田心臓外科オフィス 電話 080-6105-8231 FAX 075-712-

8835

          eメール  sakura-koiti@snow.ocn.ne.jp

 

*********** 会場のご案内 ***********

キャンパスプラザ京都

〒600-8216 京都市下京区西洞院通塩小路下る
キャンパスプラザ京都
(ビックカメラ前、JR京都駅ビル駐車場西側)
TEL.(075)353-9111
FAX.(075)353-9121

敬具

平成24年9月18日

米田正始 拝

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Mitral Conclave(僧帽弁形成術の国際シンポ)に参加して

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2012-09-15 20.04.17bこの9月15-16日と、軽井沢の万平ホテルという伝統と趣のある場所で行われたMitral ConclaveにFacultyとして参加して参りました。会長は慶応大学の四津良平先生で、昨年のアメリカ胸部外科学会AATSでのそれの日本版という予想でしたが、国際シンポジウムの名にふさわしい立派なものでした。

実際心臓外科関係ではニューヨークのAdams先生とAnyanwu先生、タイのTaweesak Chotivatanapong先生、Weerachai Nawarawong先生、Chaiyaroj先生、ベトナムのPhan Nguyen Van先生、シンガポールのCN Lee先生、循環器内科ではRandy Martin先生はじめ、おなじみの有名人がFacultyとして名を連ね、これまでの交流や理解が深められる素晴らしい場となりました。個人的にはどこか弁膜症愛好会の同窓会のような雰囲気でした。

このシンポに先立って、朝からステントレス僧帽弁(Normoノルモ弁)の特別セッションがありました。ウェットラボで実技指導を頂いて、これからの臨床応用と認定施設決定に役立てるための重要な会とあって、執刀医レベルの先生が集まり賑やかでした。私も名古屋ハートセンターでこのステントレス僧帽弁を始めるための施設認定のための準備として参加させて頂きました。2012-09-15 17.21.39b

開発者の加瀬川先生、そしてその仲間である榊原記念病院の高梨先生や田端先生らを始め多数の同好の士がわいわいと賑やかに手術を行いました。もちろん動物の心臓をもちいてのシュミレーションですが、細部にわたるコツや落とし穴がわかり、有意義でした。

私はたまたまご縁あって、大阪市立総合医療センターの実力派・柴田先生とペアを組んで一例執刀させていただきました。心臓手術自体も有意義でしたが、それ以上に柴田先生や加瀬川先生らとのDiscussionが面白く、あっという間に3時間が過ぎました。できあがりは一応合格点で、こうした練習や研究を積んで十分自家薬籠中のものとしてから患者さんに使うというのは大変良いことと思いました。

15日正午からMitral Conclaveが始まりました。

興味深い発表とDiscussionの連続でした。若い先生らには得難い勉強と刺激の場になったものと思います。上記の先生方が前向きに楽しい議論をしてくれるため、退屈することのないセッションが続きました。

私に与えられた仕事は午後の虚血性僧帽弁閉鎖不全症のセッションでの司会と講演でした。司会は畏友・神戸大学大北先生と一緒にやらせていただきました。

北海道大学の松居先生が乳頭筋を束ねて前方に吊り上げる術式が後方に吊り上げるよりずっと良いことを示され、東京医科歯科大学の荒井先生が乳頭筋の単独吊り上げが後方より前方が有効であることを発表されました。

前方吊り上げの効用をこの10年近く主張してきた私にとって、大変うれしいことでした。どういう術式が良いかは患者さんが教えてくれる、このことを心の支えに頑張ってきた甲斐があったと思いました。

私・米田正始は川崎医大の吉田教授らと共同研究してきた乳頭筋ヘッド最適化(略称PHO, Papillary Head Optimization)の術式を発表しました。多くの質問をいただき、これほど関心をもっていただいてうれしいことでした。大御所のAdams先生はじめ、上記の先生方がぜひ君の術式を使いたいと言って下さり、これまでの楽しい苦労が一層楽しいものになったような気がします。

外来でこのPHO術後の患者さんとよくお会いしますが、手術前の状態とくらべて大変お元気なお姿にジーンときます。一緒に苦労してくれてありがとう、今の健康はあなたが頑張って勝ち取ったものだよと言いたくなります。逆に患者さんのほうからたくさん御礼を述べていただき、一層ジーンときます。

このセッションではニューヨークのAnyanwu先生が新しいLVAS補助循環の活用も話されました。超重症で手術に耐える体力がない方や、心臓の余力があまりにも少ない患者さんたちにはLVASが役立つというのはこれまでも知っていたことですが、僧帽弁置換術後の左室破裂という稀でも恐ろしい合併症にLVASが大変有効であるというのはなるほどと膝をたたくインパクトがありました。これからはこうした超重症といいますか、どうにもならない患者さんにも救いの手が伸びるという実感を得られたことは大収穫でした。

2012-09-15 18.36.31b夜のディナーパーティでは多くの方々と歓談できました。高名な先生方はもちろん、日頃あまり話する機会のない、あちこちの若手中堅の先生方と話ができてうれしく思いました。自分が若いころ、海外の大物先生と話することがどれほど夢をかきたて、モチベーションを上げたかをふと思いだしました。

二日目の朝と午後には僧帽弁形成術の詳細・各論についての発表と議論が交わされました。ループテクニックという比較的初心者でもやりやすいと言われる方法がさまざまな形で論じられていました。それ自体は良いことと思うのですが、日本全国でも限られた数しかない僧帽弁形成術を、全国の心臓外科医が分け合ってやるとなると、不慣れな心臓外科医が年間数例ずつやる、という状況へつながりかねない話です。それは即、患者さんにとって不幸なこととなる、そういう懸念をもちました。実際、経験豊かな先生方も同じ心配をしていました。

それ以上に、このループテクニックでは僧帽弁の一か所を支えるために1対つまり2本の人工腱索がひつようで、たとえば前尖全体が逸脱している場合なら、私たちなら8-12本できれいに形成できるところを、その2倍の16-24本も人工腱索が立つことになります。これはもし腱索が硬化や肥厚をすると大問題になるでしょう。もっと議論が必要と感じました。

Adams先生の僧帽弁輪形成術つまりリングの講演はよく整理され、よくこなれていて、さすがと感心しました。

2012-09-16 12.46.47b2日目には三尖弁形成術や心房細動のセッションもありました。新田先生やChaiyaroj先生らのMICSメイズ手術は私たちもちからを入れている領域ですので興味深く拝聴しました。

三尖弁形成術で本当に難しいのは、右室機能不全が起こって三尖弁の弁尖が右室側へ引き込まれる、テザリングが起こる重症ケースです。Adams先生にそれを質問しましたが、さすがの彼もそういうケースは経験ないとのことで、彼の友人の経験談を話してくれました。正直で親切な人柄にあらためて感心しました。

もうひとつ感慨深かったことがあります。Adams先生の講演の中で、強い心不全をともなうケースでは右室と三尖弁輪が拡張しておれば三尖弁の逆流がそれほどでなくても、同時に治しておくことが良い、ヨーロッパ心臓協会の新しいガイドラインではそれはクラスIIaつまりやる意義があるという水準になった、というものでした。

このことは数年以上まえからエキスパートの中ではすでに知る人ぞ知る、方法でした。私は前任地の京大病院で必要があればこの方法で三尖弁形成術を加えていました。少しでも心機能を改善し、患者さんが永く生きられるように。

ところが前任地では、打ち合わせ会議と称する場で、ある心臓外科の先生が「米田先生は逆流があまりない弁まで形成している」と発言し、そのため「そんないい加減な適応で手術しているのか」と誤解する先生まで現れ、発言の機会さえ与えられず、心臓外科の臨床やEBMデータを知らない人たちは本当に困ったものだと、情けなくなりました。今、ヨーロッパの心臓協会がこの方法を正式に認めたというのは、ようやくお墨付きが出たわけで、自分がデータをもとに信じてやって来たことがようやく本筋の治療になったと、感慨深いものがありました。

まあ不勉強な人たちや悪意の人たちにわかってもらえなくても、患者さんや一流の人たちは理解してくれていると思えば、納得が行きます。そういう満足感が得られるセッションでした。それにしてもそうした大学病院はもはや最高学府とは言えないのではないかと残念に思いました。

もうひとつうれしかったのは、当院内科はもちろん、エコースペシャリストである川崎医大循環器内科の先生方と協力してやって来た、内科と外科のコラボレーションが、あのRandy Martin先生やAdams先生に喜んで頂けたことでした。来年の発表依頼まで頂いて、こちらも感動してしまいました。

それやこれやで忙しく賑やかな2日間でしたが、軽井沢を散策する暇もなく、しかし充実感を頂いて名古屋への帰途につきました。

素晴らしい会を開いて下さった四津先生はじめ慶応大学の先生方、国内外のFacultyの先生方、関係の皆様に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

平成24年9月16日

米田正始 拝

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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第10回患者さんの会のご案内

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まだまだ暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて第10回の患者さんの会を開催させていただくことになりました。

前回は久しぶりの開催で会場もより便利で安価な京都駅近隣のホールを使用させていただきましたがおおむね好評でうれしく思っております。

今回も同じキャンパスプラザを予定しております。

日程が変更になりました。ご注意ください。

今回は親しみやすい有名人の心臓手術の話題から話を広げて皆さんのお役にたつ情報をと考えております。

----記----

第十回患者さんの会

日時:平成24年11月18日日曜日 午後1時から午後3時まで

場所: キャンパスプラザ京都

内容:近況報告(米田正始および何人かの患者さん。我と思わんかたどうぞ)

講演:「有名人の心臓手術から学ぶこと」 米田正始

あまりにも話題になった天皇陛下のバイパス手術をはじめ、三笠宮さまの僧帽弁形成術、武田鉄矢さんの二尖弁大動脈弁の手術、加藤茶さんの大動脈解離など。

質疑応答なんでも相談: 心臓手術やそれにまつわる悩み・疑問をどうぞ

(込み入ったご相談はとりあえず簡略お話しし、後日また時間をもうけるなど致します)

総合司会:松岡さん

連絡事項、新たな世話人さまなどのご相談

お申込み: 準備の都合上、お早めにお申し込みください

参加費: おひとり1500円(含:会場費、飲食代、通信費、その他)

申し込み先: 米田心臓外科オフィス 電話 080-6105-8231 FAX 075-712-8835

          eメール  sakura-koiti@snow.ocn.ne.jp

 

*********** 会場のご案内 ***********


キャンパスプラザ京都

〒600-8216 京都市下京区西洞院通塩小路下る
キャンパスプラザ京都
(ビックカメラ前、JR京都駅ビル駐車場西側)
TEL.(075)353-9111
FAX.(075)353-9121

 

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【第三十三号】 東海テレビの出演ビデオUpしました

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 【第三十三号】
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           発行:心臓血管外科情報WEB
           http://www.masashikomeda.com
           編集・執筆:米田正始
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暑い日がまだまだ続きますが、夕方に聞こえる虫の声が秋の訪れを感じさせてくれるこのごろです。

皆様方には如何お過ごしでしょうか。

私のほうはこれまで以上に貧乏暇なし状態で張り切って手術や治療に明け暮れております。

さてこの6月に東海テレビのスタイルプラスという番組の中の東海仕事人列伝で米田正始の仕事ぶりが紹介されました。

ローカル番組ですが東海エリアでは親しみと人気がある番組のせいか、けっこう反響がありました。

その時のビデオを入手し、私のホームページにUpいたしました。

こちらをご覧ください。

放送時に見る機会を逸した、できればホームページに載せてくれという依頼を数件頂いておりました。

6月の放送時に見ることができなかった方などにご覧いただけましたら幸いです。

この番組の中では心臓手術の「断らない医療」という方針をご紹介いたしました。

そんなの当り前じゃないかと思われるでしょうが、現在の医療崩壊の世の中では断る医療がかなり横行しているのです。

それも国民市民の血税を使っている公的病院でよく見られます。

この問題を民間の専門病院であるハートセンターで解決しているのは面白いことと思います。

ともあれ皆様のご意見やご鞭撻を頂けましたら幸いです。

敬具

平成24年9月9日

米田正始 拝

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中国での心臓外科国際シンポジウムに行って参りました

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 8月のお盆休みにたまたまご招待を頂いたため、第一回国際心臓胸部外科シンポジウムのため中国の保定市(Baoding市)へ行って参りました。尖閣諸島問題で騒々しい中をまあ何とかなるだろうと参加しました。

 
保定市と言っても日本ではあまりなじ 2012-08-17 17.51.22みがないと思います。
北京から南西方向にクルマで2時間半のところにある町ですが、なんと人口は1000万人を超える大都会です。中国は何につけてもスケールが大きいと思いました。

これまで何度か心臓手術をするために訪問した天津は北京から南東にクルマで2時間あまりのところにあるため、この3つの大都市が正三角形をなしているという位置関係です。

保定市はかつては河北省の省都だったそうですが、現在は省都を天津に譲っているそうです。
ともあれ保定市でもこれから医療を国際化、先進化して村おこしの一助にしようということでこの第一回国際心臓胸部外科シンポジウムが企画されたようです。

 

日本からは私・米田正始と東京大学教授の許俊鋭先生が招待を受けて参加しました。
許先生とは長年のおつきあいというよりお世話になって来ましたので、久しぶりに楽しいひと時になりました。

北京空港で数十名の参加者が集合し、コオディネーターの丁さんのお世話でバスで保定市まで移動しました。参加者はヨーロッパ、アジア、アフリカなど多彩で、心臓胸部外科関係はもちろん、それに関連した循環器内科、移植、腎移植、内科、脳外科、基礎医学など多彩でした。

中国といえば、英語が通じるというのがこれまでの私の印象でしたが、たった2時間地方へ移動するとあまり通じない別世界であることを知りました。この国は巨大で、医療でも何でも国の隅々まで行き届かせるのは大変だろうとすぐ理解できました。

ホテルはまずまず近代的なものでしたが、周囲の街並みは現代と過去が混在したような、あるいは豊かさと貧困さが入り混じった形で、急速に発展する中国の地方都市の姿を象徴しているようでした。地方都市といっても人口1000万人以上の、東京なみの大都市ですからこの国のポテンシャルはすごいとも思いました。

2012-08-16 19.19.22中国の良き慣例で、到着当夜の歓迎パーティは豪華かつ楽しい中華料理で、大型テーブルが電動式に動いているのが面白く、20名以上が食卓をともにすると、デーブルを動かしておかねばなかなか食べ物が回ってこないためでしょうか。

同様の部屋がいくつもあって、20名単位で親交を深めるということのようでした。

内容は数えきれないほどの中華料理のバリエーションと、マオタイやワインその他の飲み物でしたが、美味なマオタイに比べて中国のワインはまだ発展途上という印象でした。タバコとライターが時々回ってくるのと、食事中でもタバコを吸うひとがいるあたりアジアのおっさん時代の名残を感じました。
中国式に何度も乾杯しながら楽しいひとときでした。

翌日から病院(保定市第二病院)の大講堂でシンポジウムは始まりました。

二日間の予定で、心臓外科、呼吸器外科、移植とそれらに関連した領域のトピックスが論じられました。

図1

驚いたのは発表も討論もすべて中国語で行われ、許先生や私の発表はもちろん英語でなされたのですが、中国語の通訳がついてのものでした。

英語に堪能な中国人の本国で、それも人口1000万の大都市でもここは僻地じゃというのはこの国を統治することの大変さをうかがわせるものでした。

許先生と、こんな巨大な国をたかだか100万か200万の軍隊で支配しようとした旧日本軍はこの国を知らなさすぎたですねと、あらためて日本の世界知らずを実感した次第です。

さらに面白かったのは、香港の先生が中国語で発表されても、それが大半の聴衆に理解されず、やむなく英語発表に切り替えられ、それを台湾の先生がボランティアで通訳されたことでした。

この国は巨大だと再度痛感しました。ちなみに許先生や私の発表を通訳して下さったのも台湾の先生でした。

許先生はライフワークでもある補助循環・人工心臓・心移植を中心としたお話しで、この領域の目覚ましい進歩を改めて実感させてくれるものでした。

補助循環はこの数年間、日本発の小型デバイスを含めた、より優しい小さいデバイスの進歩で治療成績が格段に改善していることを確認できました。

もはや心移植の成績にさえ比肩できるレベルに来ているというのは、心不全患者を預かるものとして感謝に絶えないことでした。

私はより多くの患者さんに役立つミックス手術というテーマでお話ししました。

ミックス手術とは小切開低侵襲手術(Minimally Invasive Cardiac Surger, MICS)の略称ですが、まだ簡単な手術にしか使われていない、それもエキスパートがいる病院に限定されているという問題があります。

エキスパートややるべき手術というのは今後もそうあるべきと思うのですが、簡単な手術にしか使えないというのは世の中への貢献という意味では劣ると考え、それへの対策をお話ししました。

 

つまり、その患者さんの病気や重症度に応じて、さまざまな段階のMICSを使い分け駆使することでより多くの患者さんにお役に立とうというわけです。

ミックスが行われるのは通常、心房中隔欠損症ASDや僧帽弁形成術の簡単なタイプなどが主ですが、私たちの工夫によって、複雑弁形成でも、大動脈弁形成でも、2弁でも3弁でも、比較的高齢者でもミックス手術ができることをお示ししました。

2012-08-17 19.47.261日目のシンポジウムが終わったあと、ディナーパーティが開かれました。中国のもてなしの素晴らしさを見る思いのパーティで、力の入った出し物のあと、何度も乾杯しながら見事なご馳走を山ほど頂きました。

山ほどというのは文字通りの表現で、テーブルに乗り切らないほどの料理が出てきて、それらを互い違いに上へ上へと積んで行くのです。

 

なるほど、こうすれば普通の数倍の料理が並び、かつそのどれも選べることができます。

中国式の実用主義の一端を見せて頂いた思いです。

しかしお皿の下側はきれいなんでしょうねと確認したく思ったひともあったようで2012-08-17 20.33.05す。

冒頭にお書きしました尖閣諸島の問題は、シンポジウム中にはまったくその空気もありませんでしたが、ホテルでテレビを見ますとその報道をしていました。

 

中国政府やメディアによれば、尖閣諸島は5世紀の昔から中国人がよく訪れ魚を取ったりなじみのある島で、位置からいっても当然中国領でしょという報道でした。

英語放送で見ましたので比較的正確に聞き取れたと思います。

これは国民感情に訴えやすい論法ですが、国際法上は誤りです。

それを知っているはずの政府がこうした報道をするのは問題と思いました。

 

しかし同時に中国は今後絶対に仲良くすべき大切な国です。それは韓国を含めたすべてのアジア諸国も同じです。

どうすれば仲良くできるか、幅広く意見を集めて具体的かつ積極的に実行していくことが長期的には一番重要と思いました。

私はこれまで中国に何度も心臓手術や講演でお邪魔させていただいていますが、今回はちょっとユニークな、これまでにない経験をさせて頂いたように思います。

地方都市のためでしょうか。

上海、北京、大連などそれぞれ複数回お邪魔しても見られなかったものが見られて面白い経験となりました。

シンポジウムはもう一日あったのですが、許先生も私も、それぞれ日本で学会の公用があり、朝4時半にクルマで北京へ向かいました。

わずか3日間の旅でしたが、楽しく有意義なひとときでした。

お世話になったYao Lu先生や中国の先生方、秘書のRachelさんはじめ多数の皆様、そして許先生に感謝申し上げます。

平成24年8月18日 米田正始 拝

 

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スタートに出遅れた君へ―――学士入学から輝く心臓外科医へ

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以前から私のところへは全国から若い学生諸君や修練医の先生らが遊びに来て下さいますが、心臓外科に関心があるひとは現代では貴重な資質を持っていることを感じます。

Ilm12_ab01041-sそれは心臓外科医が忙しいのを知って(日本では給料は同年代で皆同じ)、なおやりがいをもとめて志望しておられるからです。イージーな生き方が主流になりつつある医学生というより若者のなかで、甲子園球児やオリンピックに半生を捧げるひとたちと同じ質のすばらしいものを感じます。

なかでもすごいと感嘆するのは学士入学や、何らかの理由で20歳を大きく超えてから医学部に入り、そして心臓外科を目指しているひとたちです。

私自身、いろいろあって大学に行くまえに2年も浪人し、どんくさい生き方を自認しているため一層気持ちがわかります。

心臓外科は他科とくらべて一人前になるのに時間がかかります。早い話が、初期研修のあと、腹部一般外科をある程度こなすことが必須で、これだけでも他科より時間がかかるのです。手術もより高度で精密さと迅速さの両方を求められるため、教えるにも学ぶにもやや時間がかかります。そうした状況であえて一見不利と思える心臓外科をすでに20歳を超えてから志望する姿勢に、強い意思、熱い情熱、硬い決意を感じずにはおれません。ちなみに北米では学士入学が正規のルートですから、国際的にも正しい姿勢と言えるでしょう。

Ilm18_ad03023-s過ぎ去った時間は二度ともどりません。しかし時間より速く進むことで、結果的に取り戻すことは可能です。しかし世の中、皆、それなりに一生懸命頑張っているなかで、自分だけが特段のスピードで進歩するためには、相応の努力が必要です。

私などは自分のどんくささをよく把握していたため、「自分のような者が一流になるためには、人と同じ姿勢ではダメだ。人が楽しんだり遊んだりしているときに、黙々と仕事や勉強する以外に道はない。自分には楽しみも遊びも要らない、全部放棄しても構わない」とまで思っていました。

現実には周囲の皆様のおかげで、けっこう楽しく遊びもしながらここまで来れましたが、あの楽しみを放棄する決意は自分には役立ったと思います。自分より能力に勝る人たちにも十分ついて行けるという変な自信が得られたからです。また仕事や勉強三昧のときにその生活を苦痛と思わなくなったからです。

さて学士入学組に代表される、スタート出遅れグループの医学生や医師が心臓外科で大きく展開するにはどうすれば良いか、私の考えを述べてみます。

 

1.まず無駄を省くこと Lpsd2102c-sは必要。

といっても無駄と思えることが人生で、仕事の上でさえ役立つことはままあります。

何でも経験というのも一理あります。

それらを踏まえたうえでものを考えましょう

 

2.学生時代には医学のみならず英語を徹底して鍛える。

TOEFLで高得点が取れるように鍛える。なかでも聴く力と話す力は日本人の共通弱点 Sst019-sですから力を入れる。

私は学生時代の初めごろ、下手の横好きでバレーボールをやっていたのですが、臨床留学の重要性をあるとき悟り、自分の英語力では全然足りないことを知ってから、涙を呑んでバレー部を辞め、ESSで徹底的に鍛えて頂きました。

それが後日どれほど役立ったか筆舌に尽くせません。

もう少し能力があればバレーとESSを両立させられたものと思いますが、自分にはそれは無理と知ったうえでの決断でした。


この決断が役立ったとい Jab110-sう一例を挙げます。

カナダで英語の試験に通るために通常2年の準備期間が必要と言われます。

私が留学したときからこの英語試験が突然、必須になりました。

しかし私は学生時代の鍛錬のおかげでTOEFLもTSE(話す試験、現在はTOEFLに含まれる)も1か月の準備期間で一撃合格し、そこで失った時間はほとんどありませんでした。

バレーボールを放棄してまで取り組んだESSのおかげで浪人分のロスは取り返したわけです。

 

3.学位つまり医学博士は持つに越したことはない。とくにその論理の進め方、ものの考え方、統計ソフトやエクセル・パワーポイントの使い方、論文の書き方、どれも大切です。

しかし一般にはその学位を得 Ilm09_af10021-sるために、大学院へ進学し、4年間が必要。

学士入学のひとにはこれは致命的に近いほどの打撃になるでしょう。

4年で済めばまだしも、そのあとに大学などでさらに何年か雑用係りをさせられればもはや昇天です。

 

そこで修練時代や留学時代にしっかり学会発表し、そこで得た知識や考え方で論文を海外のジャーナルに載せる、少なくとも1本、できれば数本。

オリジナルな何かが欲しい。これによって論文博士という学位が得られます。

今後論文博士という制度は無くなるという噂もあり、時代に即した対応が必要ですが、近年できた社会人大学院制度では第一線病院で臨床をやりながら学位が取れるため、これなども使えます。

ただ授業に出るために多大な時間を取られたり、授業料がかさんだり、苦痛は多いため、論文博士が勧められます。

ちなみに私はこの論文博士で学位を取りました。

ここで4年間以上の時間を稼いだことはその後の展開に大きく役立ちました。ただこうした作業にはしかるべき指導者が必須です。蛇足ながら私の施設では私が指導しますから医学博士号はそう大変ではありません。何事も工夫です。

 

1134.(腹部一般)外科研修は施設の格差が大きい。用心されたし。

ある有名大学の外科教授が、外科専門医を取るには5年かかると言われました。

学士入学の君が外科研修に5年も失えば、もはやタイムアップ、時間切れでしょう。

そうすると心臓外科など辞めて外科へ入局したまえ、となるわけで、思う壺状態ですね。

私の知る範囲で、症例数が多く、良心的な教育をしてくれる病院なら、外科専門医になるために必要な症例数は9か月で得られます。

5年と9か月、この差は大きいですね。学士入学の方には心臓外科医としての生死を分けるほどの差がでます。

 

5.後期修練あるいは専門研修はひとりあたりの症例数が多いところが良い。

全体の症例数がまずまず多くても、それ以 Ilm09_ag04005-s上に心臓外科医の数が多ければ、研修内容は主に第二助手と術前・術後管理で終わります。

手術手技としては主に見学か簡単な操作に終始するでしょう。

ちなみに私の病院では年間250例以上の開心術を私を含めて4名の心臓外科医でこなしています。

雑用が比較的少なくペイがやや良い民間病院の特徴を活かしています。

 

1人当たりの症例数が多いところでは自分しかいないという状況が生まれやすく、それはそのまま執刀や半執刀などのチャンスにつながります。

毎日手術に入って何かができる、これは効きます。

 

6.40歳までに一応独り立ちできる、つまり標準的手術は部下と二人で自信をもってや れる、状態になることが必須です。

これをもとに考えれば上記の戦略は納得できると思 Gum11_sy01045-sいます。

 

たとえば30歳からスタートして、初期研修2年、腹部外科9か月で後期研修に入りまもなく33歳。

そこから一人当たりの例数が多い施設で心臓外科医として多忙な毎日を送れば4年間で標準手術が一応できるレベルには達します。

その時点で37歳。

まえもって準備しておいて海外臨床留学で3年間、数百例を見て、数百例を執刀すれば、より自信や安定感がでるでしょう。

40歳のデッドラインに間に合いました(40歳という年齢にこだわるわけではありません。要は次のステップがやりやすくなるという意味です)。

 

7.そこから先の就職先選びが大切です。これは上記の留学までに下交渉をやっておくのが有利です。

Ilm2007_02_0190-s一流施設へ就職できれば結構なことですが、そこには多数の上司がいるでしょう。チャンスはなかなか来ません。

一流施設でなくとも、手術ができる施設で、そこで自らとチームを育てるほうが速いこともあります。

とくに民間施設では成績が上がれば長期的にはいくらでも手術できることが多いので展開が期待できます。

 

現代の心臓外科市場は極度の人手不足、正確には若手不足のため若い間は売り手市場です。

これを活かさない手はありません。民間のアウトサイダーから教授や大手有名病院のチーフになるというケースが近年増えました。

また苦労に苦労をかさねて一流施設の長になるというのも人生ですが、その近隣の二流施設に就職し、これを育て上げて一流にしてしまうというのも人生です。

いったん実力がついたひとには後者の方が楽なことも多いです。

 

Ilm18_ba04006-s8.どの世界でもそうですが、愛嬌があるというのは大切です。同じ努力するなら笑顔でやりましょう。

とくに学士入学などで年齢が少し高い場合、周囲の仲間は年下です。

彼らに対してもいつも笑顔で接することは極めて重要です。

 

中には人生の先輩を先輩とも思わぬ不遜の輩もいるでしょう。

しかし腕を上げ、立派になればいつかはわかってくれるはずです。

たとえわかってもらえなくても、他人の弱みにつけこんで偉そうにするタイプの人は、いずれ破たんしますので、気にしないことです。

 

以上、学士入学の君が心臓外科医として成り立つ道についての私見を述べました。

 

さまざまなバリエーションがあるでしょうし、そもそも大学や大学院は本来は素晴らしいものです。

時間が確保できればそうしたところで活躍するという道も検討すると良いでしょう。

実際、海外で腕を挙げて、乞われて大学にもどり、そこで腕を振るってさらに大きな展開を遂げた先生は近年めずらしくありません。

大学ももはや、実力を無視できなくなっているのです。良い傾向です。

 

ただ私は大学病院や一部公的病院で若い医師が労働組合の圧力のために雑用係りになっている現状を残念に思うのです。

学士入学の方々の場合は、持ち時間が少ないためその雑用が致命傷になりかねないので打開策を示したわけです。

 

Isn479-sれらを参考に自らも学び考えて、自らが心臓外科医として大成する戦略を練って下さい。必要時には相談に乗りますので遠慮なくご連絡下さい。

 

最後にものをいうのは「夢」や「感動」あるいはそれにもとづく「決意」でしょうか。これも私見ですが。

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病院実習について―――学生諸君へ

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熱意ある学生諸君

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立派な医師を目指して勉強や修練に励んでおられることと思いますisya01

私の仕事場である医誠会病院では学生実習を随時受け付けています

対象はおもに4年生ー6年生の高学年ですが、熱意と体力自慢の方なら1年生ー3年生も可能です。

熱心でやる気があることが応募条件です。現在の知識は問いません。

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実習内容はつぎのとおりです。その方の医学知識や経験量などに応じて内容は調整します。

1.心臓手術の見学: 安全確保ができる場合、手洗いして手術に入って頂くこともあります。急性大動脈解離に対する弓部全置換術やハイブリッド治療のためのデブランチ手術、腹部大動脈やその他血管の手術、ポートアクセスMICSによる僧帽弁形成術、自然弁や自己心膜などによる大動脈弁形成術、弁置換術、オフポンプバイパス手術、心不全への手術、成人先天性心疾患手術などが学べます。

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2.術前術中術後管理の勉強。術前は病棟で、術中はもちろん手術室で、術後は集中治療室で、いずれも当科のドクターについて勉強して頂きます

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3.心臓外科医になるための進路相談。これは初期研修、後期研修、海外臨床留学なども含みます。実力をつけるために何をすべきか、英語の勉強は、外国のライセンスや医師国家試験は、日本での研修でどう準備すべきか、などですね。

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4.また手術の練習の方法や道具類、心構えなども大切です。

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Sengoku02臓手術はスポーツや音楽に共通したところが多くあります。高度な技術は一日ではつきませんが、だからといってチャンスをただ待っていても、そのチャンスで腕を発揮できないとそこで進歩は止まってしまいます。平素から一剣を磨く姿勢が必要ですし、それはできることです。

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こうしたことを病院実習で学んでいただきます。

期間はその方の事情にあわせて、1日ー1週間の範囲内です。

ご希望があればその他の病院もご紹介します

Il002_earth私は京都大学在任中に200名近い学生実習を全国から受け容れ、さらに150名の諸君の海外臨床実習をお世話させて頂きました。彼らは多くを学んでくれたようで、その後の活躍や展開を楽しみをもって見ています。

こうした「野外実習」をきっかけにひとりでも多くの優れたドクターが世の中に出てくれれば望外のよろこびです。夢をもった熱い学生諸君にお会いできるのを楽しみにしています。

お問い合わせは zeek-m@bf7.so-net.ne.jpまでどうぞ

 

医誠会病院心臓血管外科 スーパーバイザー 米田正始

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第17回日本冠動脈外科学会の見聞録

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この7月12日と13日に東京で日本冠動脈外科学会の学術集会がありました。

以前から楽しく勉強させていただいている学会でもあり、dutyもあって参加いたしました。

今回の会長は防衛医大心臓外科の前原正明先生で、学術集会のテーマは「チーム医療における冠動脈外科」でした。

第17回冠動脈外科プログラムの表紙を見た瞬間、納得いたしました。4機の航空自衛隊戦闘機の編隊飛行の写真で、かつてブルーインパルスと呼ばれた特殊チームで現在の名称は存じませんが、東京オリンピックの開会式で国立競技場の上空に五輪の輪を描いて一世を風靡した、あのチームの最近の写真です。

4機の機体がほとんど触れそうなほど近接して飛んでいるようすは、まさに高度の技術と4名のパイロットの厚い信頼、そしてそれを支えるチーム全体の素晴らしさを一目で実感させてくれるものでした。なにしろ4名のうちひとりでも、ほんの少し間違えれば接触して少なくとも2機は墜落する状態ですから。それが前原先生からのチーム医療へのメッセージでした。まさにお互いのいのちを預けるレベルの信頼関係ですね。

夕食会のときに、「先生のメッセージ、確かに頂きました」、とお伝えしたところ、満面の笑みを返して頂きました。

さて学術集会は盛況で、最近の冠動脈外科の復活を印象づけるようでした。

Ilm09_aj06015-s日本循環器学会の冠動脈治療のガイドライン冠動脈バイパス手術が冠動脈の複雑病変の大半のケースでクラスIやIIaの適応、つまり前向きに勧められる治療法という位置づけが得られたのは最近のことですが、バイパス手術関係ののセッションでも元気が感じられました。

またハートチームが正式に提唱されるようになり、その中で循環器内科とくにPCIの先生方との協力が進めやすくなったことも大きいと思います。

心臓手術をめぐるチーム医療の中で、心臓外科医だけが疲弊している現実を打破するための特定看護師の制度が実現に近づいていること、その中で前原先生が尽力されていることを改めて認識し、日本もようやくここまで来たかと感嘆いたしました。

かつて留学中に欧米のすぐれたナースの制度、とくにPA (physician’s assistant)外科助手やNP (nursing practioner)の制度が素晴らしく、しかし日本では夢物語と思っていたのを想い出しました。

また外科が貢献しやすい領域でもある、虚血性僧帽弁閉鎖不全症のビデオシンポジウムは満員盛況で、名古屋ハートセンターからも発表ができ、私たちの新しい術式である乳頭筋適正化(papillary heads optimization)もそれなりの評価を得て、この領域に貢献できうれしく思いました。発表してくれた北村英樹先生、お疲れ様でした。

そのビデオシンポに先立って、テキサスの Dewey先生の講演で、私たちが考案した手術である腱索転位法(chordal translocation)を有用な方法として引用してくださり、地道が努力を知って頂いたことを光栄に思いました。

そのあと、腱索転位法の改良版ともいえるpaillary heads optimizationを紹介するとそれは使えそうだと評価していただき、自由に語り評価してくれる米国の良さをあらためて感じました。

また学会2日目のメインホールでのシンポジウム、心室中隔穿孔の外科治療では小原邦義先生とともに司会をさせて頂きました。名古屋ハートセンターから深谷俊介君が発表してくれ、私たちが開発し長年育ててきた Exclusion法、いわゆるDavid-Komeda法を標準治療として、新しい経右室法との比較を中心に熱い議論が交わされました。

それぞれの方法のメリットとデメリットをなるべくわかりやすく浮き彫りにし、今後の発展を期した議論を進めるよう、努力しました。

Exclusion法の弱点と言われた遺残シャントはほぼ解決の方向にあり、しかし経右室法もそれが適切と判断できるときに活用するという適材適所戦略をお示しできたことは幸いでした。

名古屋ハートセンターができてまもなく4年、こうした全国学会の目玉シンポにて複数の発表ができるようになったことをうれしく思います。日々、手術や治療内容を反省検討し、多くの仲間たちのご意見を頂きながら、ひたすら改良を加え、それが患者さんの幸福に直結するというのは、心臓外科医冥利につきることです。

その他にも、オタワのMarc Ruel先生のMICSでのオフポンプバイパス手術が紹介され、私も質問コメントなどさせて頂きましたが、内科と協力し、内科の先生方にも喜ばれるような心臓手術がさらに展開しそうで、満足の学術集会でした。

インド・ニューデリーのSudhir Srivastava先生のダビンチ・ロボットをもちいての完全内視鏡下、オフポンプバイパス手術も大変興味深く、ロボット手術もここまで来たかと感慨深いものがありました。

Srivastava先生にはインドの弁膜症サミットで講演したときにお世話になり、なつかしく思うとともに、インドの発展のすごさを見せて頂いたように感じます。

その他にも興味深い、内容あるセッションが多数ありましたが、これは省略します。

会長の前原先生、防衛医大の先生方、立派な学術集会のご成功、おめでとうございます。お疲れ様でした。

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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