お便り75 大動脈弁置換術の複雑な再手術を乗り越えた患者さん

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弁置換手術の際に生体弁が広くつかわれるようになり、その後長年月たってから再手術する機会も増えました。

Ilm10_de01004-s患者さんは三重県在住の80歳男性で、10年まえに他病院で生体弁での大動脈弁置換術を受けられました。

1年前から胸痛や全身のだるさを覚えられ、近くの病院で生体弁が壊れて逆流を発生しているため再手術が必要と言われてから私の外来へ来られました。

手術では前回手術の影響か、周囲組織との癒着が高度で(ようするにがちがちに貼りついて、心臓にすぐ到達できない状態で)、それを剥離するために時間を要しました。

とくに上行大動脈の癒着はきびしく、安全のためにこれを人工血管で置換しました。

通常の再手術ではこれほどの癒着は珍しいのですが、ときおり遭遇する状況ですのでじっくりと対処しました。

新たな生体弁を植え込み、術後8日目に元気に退院されました。

手術はけっこう大変でしたが、患者さんはすっかりお元気になられ、順調な回復ぶりで、チーム一同、やりがいのある大きな仕事だったねとうれしく思っています。

そのあとその患者さんの息子さんも心臓病があることが判明し、その心臓手術までお引き受けしました。

息子さんはまだお若いため、通常の生体弁よりも長持ちしやすい自己心膜による弁再建を行いました。

その患者さんの年齢や体力、ライフスタイルに合わせたきめ細かい治療、つまりオーダーメイド治療が良いと思うからです。

ともあれ、このように大切なご家族まで任せて頂けることを光栄に思います。


以下はその患者さんからの感謝のお便りです。病院のご意見箱に入れられました。

 

*************************

乱筆乱文をお許し下さい。

80才になろうとする私に新しい命をくださったことこの上もない喜びであります。

心から感謝し厚くお礼申し上げます。 ありがとうございました。

おそらく四日市などの他の病院へ行っていたらこの命はなかったのではないか
と思っています。

今までいくつかの病院へ入院しましたが、この名古屋ハートセンターのようなすばらしい病院ははじめてです。

まず米田先生の自信に満ちあふれた言動と説得力にそれまでの不安と迷いはかき消されました。

米田先生を中心に北村先生、深谷先生、木村先生のチームが12時間にわたる手術を成功させ、私の命を救ってくださいました。

次に看護師さんたちの真心のこもった対応が心に残りました。
 

まず、手術日前夜、家族のものも帰り、やや気持ちがふさいでいたところへ、若いめ
がねをかけた看護師さんが(名前を忘れて申し訳ない)来てくれて、「大丈夫けん元気
を出して、わたしのパワーをあげるけん」と言って私の手をぎゅっと握って何度も何度
もはげましてくれたこと、おかげで手術日当日は何の不安もなく、元気に手術室へむ
かえました。

退院の日にもその看護師さんが来てくれて「よかったね」と笑顔で言ってくれたこと、CCUで苦しんでわがままを言う私に、やさしくはげましてくれた玉置さん、
天野さん、5階のチーフの草野さんは、CCUへ何度となく私をはげましに来て下さった
こと、私がナースカウンターの前のいすで休んでいると何人かの看護師さんが「**
さん、元気になってよかったね」とことばをかけてくださったこと、それにしてもどの看
護師さんも私の名前をきちんと覚えてみえることには私の家族もみなおどろき感心し
ていました。
 

私はお世話になった看護師さんの名前をすぐに忘れてしまって恥ずかしい。

次に掃除婦の方が毎朝すみからすみまでていねいにきれいにしてくださって「**さん名前、***と言われるの あたった」と明るく接してくださったこと。

配膳の係の方も、もらいにいかなければ、返しにいかなければ、と思っていると、先をこされてもってきてくださったこと。

おかげで辛いはずの入院生活の10日間は楽しく過ごさせていただきました。

改めて、先生方、看護師のみなさん、職員のみなさんに 心からお礼申し上げます。 ありがとうございました。

一生忘れることのできない名古屋ハートセンターのすばらしいことを。

私の娘も長男もハートセンターでお世話になります。 よろしくお願い申し上げます。

 

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り74 ポートアクセス法で僧帽弁形成術とメイズ手術を受けた患者さん

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僧帽弁形成術は僧帽弁閉鎖不全症の患者さんを長期にわたって守る、優れた手術法です。

なかでもポートアクセス法による、小さい創で骨も切らずに行うミックス手術(低侵襲手術)は、患者さんの社会復帰が早く、僧帽弁形成術の良さをいっそう引き出す方法と思います。

つぎのお便りは、大阪から来られた50代男性患者さんからのものです。

僧帽弁閉鎖不全症と心房細動のため、ポートアクセスで僧帽弁形成術と左房メイズ手術を行いました。

弁の逆流はきれいに取れ、リズムも正常にもどりました。

経過良好で、遠方のためすこしゆったりとリハビリをしながら入院していただき、術後10日目に元気に退院されました。

 以下はその患者さんからのお便りです。

 

 *******患者さんからのお便り*******

6月7日に手術を受け経過も良く本日6月17日退院させていただく事になりました

心臓弁膜症とメイズ手術を同時に受けました。

ポートアクセス法にて(メイズ手術)も同時にして頂き、体への負担も少なく、痛みもそれ程感じませんでした。

経過も良好で本日6月17日退院します。

お世話になった米田ドクター、北村ドクター、深谷ドクター、木村ドクター始め沢山のナース、スタッフの方ありがとうございました。

若い看護師さんも沢山いて皆さん元気で頑張っておられます。

上司の方や、特に若手の医師の方にお願いです。 看護師さんを大事にしてあげて下さい。 また たまには励ましの
一言をかけてあげて下さい。

また、米田先生の外科医としての高い技術を頼りここに来て本当に良かったと思います。

本日6/17 日 退院します。

ここに来て思った事の1つに一流の方はどこまで行っても謙虚であられるという事です。

また米田先生はもちろんのこと北村先生を始め全スタッフの方に感謝いたします。

ありがとうございました。

 

************************

その後、この患者さんはたまたまお腹の急病を発生し、危篤状態となられ近くの病院でお腹の緊急手術を受けられました。

大きな手術でしたが、心臓はびくともせず、患者さんももちまえの頑張りで見事に回復され、私の外来へ健診と報告にお越しになりました。

こうした不慮の場合も考えますと、僧帽弁置換術に比べた僧帽弁形成術の良さは一段とひかると思います。

それだけばい菌にも強く、出血もしにくく、他手術も安全に行いやすいわけです。

患者さんがこれから健康を完全に取戻し、楽しい生活を送られることを信じ、また祈っています。

 

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お便り73 リウマチ性連合弁膜症と心房細動をミックス法手術で克服

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リウマチ性弁膜症は通常の年齢性の弁膜症と比べて弁の変化・変形が強く起こります。そのため弁形成にもそれ相応の経験と戦略が必要となります。

Suzuran患者さんは69歳の女性で、的確な心臓手術をもとめて千葉県から来られました。

リウマチによる僧帽弁膜症のため弁が石のように硬くなり僧帽弁狭窄症と閉鎖不全症の両方をもつタイプでした。こうした硬い弁は形成に適さないのですが、私たちはパッチなどを駆使して形成することが近年増えました。

ただこうした複雑な僧帽弁形成術は時間がかかり、重症患者さんの体への負担が少なくありません。70歳近いご年齢からは、むしろ確実に短時間で完了する生体弁による弁置換が安全で、しかも生体弁の耐久性もこのご年齢なら20年近いため、この点でも生体弁が選択肢と考えられました。むしろ時間的余裕をつくって心房細動に対するメイズ手術等をしっかり行うメリットが大きいと言える状況でした。

さらに高度の変化をともなう三尖弁閉鎖不全症があり、そして強い肺高血圧つまり肺の動脈圧が高く危険な状態で、てきぱきとポイントを押さえたコンパクトな手術が望まれる状況でした。

こうしたことを考慮し、手術は記録にこだわりなく患者さんにもっとも益する手術を行いました。まず生体弁で僧帽弁置換術(MVR)を行い、ついで三尖弁には弁の異常が強く通常の弁輪形成だけでは逆流が残るタイプでしたので、確実に生体弁で弁置換(TVR)しました。せっかく生体弁を使うのですから、何とかワーファリンの不要な生活をと、両心メイズで徹底的に除細動しました。

これらを皮膚切開10㎝の小さい創で、MICS法(ミックス法、小さい切開で患者さんに優しい手術です)にて行いました。

術後経過は良好で、弁機能、心臓の機能とも良好で、手術前の肺高血圧症も治り、リズムも正常化してまもなくワーファリン不要の状態となられました。

以下はその患者さんからの礼状です。大きな手術をよく決意し頑張って下さったと思います。


***********患者さんからのお便り*******

 

先生、その節はありがとうございました!

これまで他では一度も経験したことのない病院のやさしさとあたたかさにはじめは却って戸惑うほどでしたが、いつしか安心とリラックスの中で病院生活をさせていただきました。

本来なら、今ごろはなかったかもしれないいのち、歩くことお茶わんを洗うこと、すべてがいとおしく大切に過させていただいております。

無言で教えていただきました「愛」を私もこれから出会う人や周りの人達に対して実践できたらと思っております。

只、入院中に一度と、退院した日に強いストレスを受けることがございました。そのために治していただいたばかりの身体に何らかのショックを与えたかもしれません。

脈拍が突然はやくなったり、色が突然変わったようにゆっくりになったりということをときどき経験致しております。

自身を持って焦らず治癒する日を待たなければと思っておりました。

先生に出会わせていただけました幸運とともにいのちのあることをかみしめております。
心よりありがとうございました。ありがとうございました。

****
米田正始先生
三月二十八日


患者さんのお母様からも礼状を頂きました。

*********患者さんのお母様からのお手紙******


突然のお手紙で失礼を申し上げます。

私は****の母親でございます。

この度、私の娘****が元気で私の元へ帰って参りました事に先生にお目にかかって御礼申し上げたいと願っても年を取っていてかないません。

 
尊い先生という事も娘から聞き遠くから手を合わせさせて頂いて居ります。

沢山の御礼を申し上げます。

 

その後外来にてお元気なお姿を拝見し、うれしく思っています。

患者さんの会社で発行している新聞に手記を掲載されました。皆様のご参考になるかもと考え、以下に許可をえて掲載します。

 

************ 新聞の手記 ***********


「50歳になる頃には心臓の手術をすることになるでしょう」と子供の頃から言われつづけていたその50歳を越え、更に20年近い歳月が経ちました。

5・6年前から心房細動という発作が起こり初めていたので、5月(23年)になって「心不全です。だから手術が必要」と言われた時も、さして驚くこともなく、3歳から背負ってきた人生にいよいよ決別するときが来たのだと思いました。

 

「本当に奇跡を起こしていたのね。心臓の寿命を予定より20年近くも延ばしたなんて…」Aさんがそう言いました。

そのあと呼吸法の会を催すことになったのです。

みんなで呼吸法や瞑想、そしてアファメーションなどを行って、お互いに気を送り合いました。

宇宙空間にあずけた魂は超然として心底休息をとりました。

心臓の機能が落ちれば苦しい筈ですが、新鮮な酸素をいっぱいに吸って、アファメーションでは「元気だ」と言い聞かせられている身体は、思うほどの症状はなく、会社の仕事をはじめとして、2ケ月に及ぶ、床暖房の修復工事をしたりして、私はすべきことを着々と果たして行きました。

病気がなくても病気の人もいれば、病気はあるけれど元気に暮らしている人もいる。

病気のあるなしに関わらず、最期のときまで元気で生きられるかどうか、それが重要なことだと思うのです。

昔の人たちは神に与えられた生命を自然に全うしました。

 
オムツで世話になり屍のように生かされつづけてしまう、現代特有の長寿を考えるとき、つくづく執着しない自然な“生”でありたいと願うのです。

仮にもし、私がここで死ぬことになれば、ぎりぎりまで元気に生きて、昔の人たちに近い死に方をすることになるのではないか、これから老いる一方である筈の自分の年齢を考えました。

けれども親がいて、何よりも、私にはしたいことが沢山ありました。この期におよんで、“生きたい”という思いが手術への期待感を募らせました。
手術の宣告を受けた同じ23年の11月初旬、私は自転車で出かけて転倒しました。血液さらさらのお薬のせいか出血をして救急車で運ばれました。

4針ばかりの縫合手術をしました。

「病気になってもお転婆が治らない。それでは怪我でもさせて安静にさせようという、神様の計らいだったんだと思う」とTさんは言いました。

 
懐石料理を作ってくれるという人に出会ったのもその頃のことでした。懐石料理のお店を開いていたけれど、彼女はそのお店を閉じざるを得なくなったのです。

初めの日は、鯛の昆布〆や茶わん蒸しなどを作ってくれました。

私は、若いころからずっと食事を作りつづけてきたので、いよいよ作って貰える番がめぐってきたのだと思いました。

名古屋の病院では、先生や看護師さんばかりでなく、事務の方たちやお掃除の方々にいたるまで明るい愛の気が発信されていました。

病院であるにもかかわらず緊張を必要としない、安定感のあるゆるぎないやさしさに少なからず驚きました。

同じことを感じているらしい、付添のTさんは「もともと人格や人柄に素質のある人か採用されているのでしょう。

ただ教育されたのとは違う、包容力のあるやさしさに、ホッとしますね。」と言いました。

“神の手”と呼ばれるK先生からは、少しでも多くの患者さんを治したいという、やむにやまれぬ思いが大きなオーラとなって伝わってきて、伺った私達4人皆が感動をしました。

検査の結果が出たあと、先生の表情はあきらかに曇っていました。「重症です。安静にして、このまま手術の日まで名古屋にとどまって下さい」
けれども、まだ残っている“すべきもの”を果たすために決心をして、-時、市川に戻りました。

病気は、“憎帽弁閉鎖不全症”の上に、いつの間にか狭窄も起こしていて、逆流で行き場を失った血液が三尖弁にまで流れ込み、そこでも血液の逆流を起こし、あふれた血液が肺を水浸し(血浸し)にしているというのです。

昔の人なら正にこれが生き切った状態といえたでしょう。

大学教員で普段は多忙な妹が春休みになり、入院に付き添ってくれることになりました。

病院のベッドで、彼女から名古屋の街の探検話を聞きながら、私は、随分長い間ショッピングをしていないことに気づきました。

元気になって、再び街を歩けるという新たな励みを貰ったのです。

手術当日の朝、K先生を除く先生方と手術室の看護師さんたちが、ストレッチャーをにぎやかに引っ張って病室に迎えに来てくれました。

青空のように明るくてやさしさに満ちていて、大勢で手術室の扉をくぐった時には、私はすでに安心の境地にありました。

安定剤をまったく必要とせず、ぐっすり眠った心身はとても平和で静かでした。

 

手術が終わって起こされた時、眠りとは違う、“虚”というべきか、私は、麻酔というものの不思議な感覚の中にいました。

眠りには、時間の経過の記憶が身体に残っているけれど、麻酔には時間がなく、肉体が、自分から遮断されていたという強烈な感覚がありました。

起こされた時、一挙に肉体が戻ってきたといった実感に少なからずショックを覚えました。

そして私は「いま何時なの?何日なの?」と、今おかれている自分の位置を確認しなければなりませんでした。

 

「5時間半という時間、待っている身には長くて耐え難い時間だった」そういう従兄弟のK君には、子供の頃、お風呂に入れたり遊んだり可愛い思い出がいっぱいあるのです。幼かったそ彼が今は、私の身元引受人となって、忙しい会社経営の仕事の合間に面倒をみてくれました。

そして手術が終わった時、たちまちその成功が身内に知らされたそうです。知らない間に私はみんなに心配をかけていたのです。

覚醒からしばらくして車椅子まで歩きました。手術直後からリハビリが始まっていたのです。

 

静養室に移ってうとうとしているとき、廊下から、誰かが、私に自分の存在を気づかせようとしていることに気づきました。

それは母の弟の叔父でした。

私は「近くに来て頂戴」と無言で頼みました。けれども彼は温かい表情を残したままそれ切り消えてしまったのです。

短い時間だったけど、私は、叔父の姿をみて安心を覚えました。

叔父は後で「面会は病室の外から5分だけと言われたのだよ。私は、あの時バイキンだったからね」と言いました。

妹は、春休み中にすべき仕事をごまんと抱えていて、そのため、手術後3日目の朝には東京に発たなければなりませんでした。

妹がいなくなった後、身体に沢山の管をつけたまま車椅子でナースステーションに移動し、そこで励まされながら食事をしました。

食べることは戦いでした。

そしてすべての管がとれた元気な姿を再び戻った妹に見せることができたのです。

リハビリに励んでいるとき、ひとりの男性が私の前を歩いていました。そのうしろ姿は肩を落としてうなだれ、力をすっかりなくしているように思われました。

昔、刀で切られた人は力を失くして恐れや不安などの感情に支配されただろうと思います。

「心臓の手術は他の臓器の手術とは違うのよ」と言った人がいました。
 

前を歩く人の背中を見ながら、私も、彼と同じであることに気づきました。そうだ。いつものアレをしよう!いつものアレとはと呼吸法のことです。

呼吸法のときの姿勢は満ち足りていてうつくしい。頭のてっぺんを宇宙から吊り下げて、顎を引き、鼻とお臍をまつすぐに結びます。

そして腰椎を立てました。すると自然に胸が出てきます。

健康な姿が出来あがり、次は、鏡の前で思い切り笑顔を作ってみました。

愉快になって来ました。いつもの自分の姿がそこにはありました。

痛みもつらいことも何もないのだから、畢寛、うなだれる理由もないということなのです。
 

私は、いま作ったばかりの姿勢のまま部屋を出て行き、病棟のロビーの椅子にシャンと腰を下ろしました。

かばう姿勢よりも自由になれて自信がもてて、血液の循環にも良いのです。

 

心のことをハートと言い、心臓のこともハートと言う。

ある看護師さんは、心臓はその人の心そのもの、というよりもその人自身だというのです。

「身体を救うために、そのこころに傷をつけなければならない」その言葉を、手術が終わった直後から、私は実感することになりました。

身体は痛みもなく何ともなかったけれど、心を、そして心臓を切られてしまった叫びなのか、かなしみとも違うハッとするような感情が私を支配していました。

日頃の自分の“根っこ”はどこに行ってしまったのか、不安定すぎる自分の心を支え切れず、胎内のような絶対の愛と安心を求めて誰かにハグしてほしいと思いました。

そんなときに、従姉妹のSちゃんが「お姉様、よく頑張ったわね」と言って、しっかりと抱きしめてくれました。涙があふれました。’

支障が生じる人や用事のある人以外には極秘で入院しましたが、場所か名古屋だったおかげで、友達や従姉妹たちや、普段には決して会えない遠い地の人たちにも逢うことができました。

お見舞いにいただいたお花が、傷ついた心身に思ってもみないほど大きな慰めとなりました。

それに、初めてと言ってよいほど沢山のメールをいただき、それにはどんなに励まされたか分かりません。

こうした体験の後だったからこその力づけでした。

 

退院後のお見舞いでは驚かされることがありました。中でも感動したのは、Kさんが夕方訪れて、音楽室の灯りを消し、天井から壁・床に至るまで部屋中にお星様を散りばめて見せてくれたことです。

いつまでも見ていたいと思うほど幻想的で美しい光のページェントでした。

 

彼女は材料を持参してテーブルの上で釜めしを炊いてくれました。

デザートも用意されていて、温かで素朴ですばらしいパーティでした。

釜めしはアツアツでおいしくて彼女のぬくもりそのものでした。

手術の一連がくれたこうした豊かなものを家族共々一生忘れることはないだろうと思います。

 

退院すると、母は、あずけられていた施設から飛ぶように戻ってきました。

会社では大きな仕事が待っていて、私は手術後2ケ月で復帰することになりました。

壊れていない心臓は、私に生まれて初めてと言ってよいほど幸せな日々をもたらしました。

F先生は「腎臓にしても胃袋にしても、普通、その臓器の一部をなくした状態で“治った”と言うことが多いけど、心臓だけは完璧なかたちで治るんですよ」とおっしゃいました。

 
後半の人生に向かって新たな夢がひろがっています。それでいて、“生きること”それが人生の目的なのだと、単純で、かつ当たり前のことを、初めて悟ったような気もしています。

「手術をおえて、いま、どんな気持ち?」

「新しくなった気持ちよ。何でも素敵に見える。今まで見過ごしていたようなことまでみんな素敵に見えるわ」

「ふ-ん。私もどこか切らなくちゃ」…。

 

お見舞いを直接はいただかない方の心も伝わって来ました。

忙しい日々折々の中、ご心配いただいたことを本当に感謝しています。

本格的な始動は9月からです。宜しくお願い致します。  

    

24年7月  

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執筆:米田 正始
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お便り72 二弁置換とメイズ手術をミックス法で受けた患者さん

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ミックス手術つまり小さい皮膚の創で患者さんへの負担が少ない、小切開低侵襲手術はこれまでのところ、限られた数の病院で、しかも一部の比較的簡単な心臓手術にしか使われていないという傾向があります。

IMG_5568bたしかにミックス手術は視野が限られるため、あまり大きな手術には不向きと言う意見も一理あります。

しかしミックス手術が安全にできる範囲内で、なるべく多くの患者さんたちにその恩恵が届くように、という努力を私たちは続けています。

つまり簡単な手術の、それも若い患者さんだけでなく、より複雑な心臓手術それもより高齢の患者さんにも安全にできるミックス手術を推進しています。

下記の患者さんは60台半ばの女性で、二弁が硬く狭くなっており、しかも心房細動になっておられたため、二弁置換とメイズ手術という、比較的大きな手術を希望して来院されました。

大学病院ではミックス手術などありえない、そんな必要はないといわれてのご来院でした。

 

ミックス手術は不慣れな心臓外科医が行うには多少とも危険な手術です。しかし熟練した外科医が、快適にやれる場合は前向きにやるのが良いと考えています。

それは手術のあとの痛みが少なく、運動もしやすいため術後肺炎や静脈血栓症などの合併症も予防しやすく、早く普通の生活や仕事にもどれるためストレスが少なくご家族の負担も軽くなるから良いのです。

美容上のメリットつまり夏服でも創が見えない見えにくいというのは確かに大きなメリットですが、それは結果にすぎません。

ミックス手術のほんとうにあるべき姿を見失わない、これが大切なのです。

患者さんは二弁ともきれいに作動するようになり、心房細動も治りました。

多数の弁形成手術の経験から、こうした弁がカチカチに硬化・肥厚した弁で比較的ご高齢の場合は複雑な弁形成よりも生体弁が有利なことが多々あり、内容的にも良かったと思います。

 

*********患者さんからのお便り*************

米田正始先生

22日に2弁の置換、心房のメイズ手術をしていただいた****です。
 

退院の翌日、6月3日の録画をみて、”私もこんな大変な手術をうけたと
自分の心臓をいとおしく思いました。

今日はじめてPCを開きました。”いい心臓、~”からその録画が先生の
ホームページにUPされているのを知り、もう一度みました。

セカンドオピニオンは”患者の権利”とはいうものの、とりづらいものです。
とくに私は3年間受診し、手術を前にしてのことでした。

でも何かに導かれるように米田先生に出会うことができ、本当に幸運
だったと思っています。

手術後、先生が”自分の症状を調べ、勉強したごほうびです”とおっしゃってくださいました。うれしかったです。

北村先生、深谷先生、木村先生の朝の回診。いつも笑顔で・・・色、形は
ちがいますが・・・どんな質問にも応じて下さいました。患者が心待ちにしている
回診、それまでの私の回診のイメージとは全くちがいました。

手術後、まだつらい時に夫の命日を迎えました。

暗い部屋の中で、涙を流していると、やさしく声をかけて下さった看護士さん。

18日間の入院中、たくさんのみなさまにお世話になりました。

心よりお礼申し上げます。

9月11日

****

 

Ilm09_ak02018-sご主人さまの命日のお話を知ったとき、ジーンと来ました。

つらい中を本当によく頑張って下さったと思います。

これからご主人の分も楽しく元気に暮らして下さいと願わずにはおれません。

支えになってくれた看護師さんにも感謝しています。

 

上記のお便りをいただいてから、その掲載許可をお願いしたところ、以下の追加のお便りを下さいました。ありがとうございます。

 

********** 追加のお便りです **********

米田正始先生

先生のホームページに掲載の件、私の経験がお役に立つのであれば
うれしいことです。

私は、手術は大学病院でするものと思っていましたので、ハートセンター、
米田先生についての知識は全くありませんせした。

先生が広く情報を発信してくださっているおかげです。

そしてコネもないのに快く受け入れてくださいました。

これは独り言です・・・患者にとってメリットばかりのMICS、どうして名古屋の
大学病院では無理なのでしょうか? 旧態依然???

今、”患者さんの会のご案内”読ませていただきました。

おもしろい、楽しそうな演題なので、ぜひ参加したいと思います。

9月12日


**********************

いつしか時間が経ちました。 Sirayuri

外来でお元気なお姿を拝見するたびにうれしく思っています。

前向きの姿勢で楽しい生活をお送りください。

そうこうしているうちに2年あまりがたち、お正月にメールマガジンに対してお返事をWEB経由で頂きました

海外旅行楽しんできてください

******* 2年後にいただいたメールです ******

 

57号読ませていただきました。 お便り72コメント

私は2012年8月に名古屋ハートセンターで、2弁置換とメイズ手術を先生にしていただきました。

すっかり健康になり、水泳、ゴルフ、旅行と元気に過ごしております。

手術の傷痕を見なければ手術したことを忘れるほどです。先生のおかげで大学病院で言われた半分以下の創ですみ、普通の夏服や水着が着られます。

大学病院で手術も決まっていたのに、先生にお会いでき不思議な気がしております。

幸運でした。

5日からスリランカに行ってきます。

ここに書くのは場違いと思いますが、お許しください。先生のご健康をお祈りします。

**********************


こうした楽しいお便りを頂けるのはほんとうにうれしいことです。

なお米田正始は2016年8月から医誠会病院で心臓手術(外来は仁泉会病院でも)をしています。

メールマガジンはこのホームページの右段にご案内がございます。

 

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執筆:米田 正始
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お便り71 ミックス手術で大動脈二尖弁形成を受けた15歳の患者さん

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大動脈二尖弁は先天性心疾患であるためこどもの時期から弁膜症で苦しむ患者さんは少なくありません。

患者さんは15歳の高校生で、弁の逆流が強くなり、これまで元気に活動しておられたのが最近心不全の症状が出てきたため相談をお受けしました。

Ilm23_he01001-s九州の地元では患者さんのニーズにあった手術ができないということで遠方からお越し下さいました。

このままで行けば近い将来、人工弁による弁置換になることが確実となったため、弁形成か自己心膜での弁再建を考えるようになりました。

さすがに私たちはこうした弁膜症の治療にちからを入れて来たため、選択肢もいつくかあり、ご本人・ご家族と時間をかけて検討しました。

その結果、これからの学校生活や将来の妊娠出産などを考慮し、極力弁形成で行こう、それならまだ弁があまり壊れていないうちが良いということで、ガイドラインでもすでに手術推薦のレベルにあることもあって、この時期に弁形成を行うことになりました。

手術で弁はやや硬く短縮もしていましたが、弁形成で細かい調整を行い、きれいなかみ合わせを取り戻すことができ、逆流は消失しました。大動脈二尖弁の場合、上行大動脈が弱いためこれを補強し、将来のカテーテル弁(TAVI)にも対応できるような工夫を合わせ行いました。そうすれば将来の再手術をかなり先延ばしにできるからです。

ミックス法で創もかなり小さく、夏服でもほとんど見えないレベルに抑えることができました。

術後経過は良好でまもなく元気に退院されました。

外来で笑顔を見せていただき、本当によく決断し、健康を勝ち取って下さったと、頭が下がります。15歳でもこれだけの熟考と決断をしてくれたことに感動を覚えます。またそれを落ち着いてご支援くださったご両親さまにも頭が下がります。

以下のお手紙はその患者さんのお母様からの感謝状です。

*************お便り**************

 この度は、米田先生はじめ、深谷先生、北村先生、看護師の皆様方には大変お世話になりました。

お便り71 お陰さまで、現在、娘は弁形成の手術が成功したことにより、体調もよく元気に高校に通学しています。

 2012年1月31日、当時15歳だった娘は発熱のため近所の循環器内科クリニックで受診をしました。心臓に聴診器を当てていた医師から、「心疾患の際に生じる雑音がします。」との 指摘を受け、その場でレントゲン、心エコー等複数の検査を受けました。

 「大動脈弁閉鎖不全症・先天性の大動脈二尖弁」との告知を受け、「将来的には手術が必要になるでしょう。」と言われました。

 今まで、学校の行事である体育祭やマラソン大会にも参加して、何の問題もなく日常生活を送ってきましたので、本人、親共々、衝撃を受け今後どうするべきか不安になりました。

 「親として、娘に何をしてあげられるのか?」と自分の心に問いかけた時に、「先進医療機関で名医に診てもらいたい。」という答えが返ってきました。

 二尖弁の治療方法や、受け入れてくれる病院をインターネットで検索していくうちに、「名古屋ハートセンター」という心臓の専門病院があることが分かりました。

こちらの病院では、一般の病院ではあまり行っていない手術や治療を受けることができ、ゴットハンドを持つ心臓血管外科医、米田先生に診てもらえる可能性がある、ということも分かりました。
 早速メールで米田先生に娘のことを相談させて頂いたところ、今後の治療方法や注意するべき点などの回答を頂き、「よろしければ私の外来にお越しください。」とのお返事を頂いた時には、主人と二人で大喜びしました。

 

 初診の予定を3月30日に入れてもらい、大分県から親子3人で名古屋に向かいました。検査終了後、米田先生よりお話がありました。

 現在の大動脈弁の状態は、血液のかなりの量が心臓へ逆流の形で戻ってきており、既に4段階中の3段階まで進行していること。娘が将来、妊娠・出産ができるように弁形成手術が望ましく、今であれば弁形成手術が可能であること等を、懇切丁寧に説明してくださいました。

の時点で私共は、この先生なら信頼できる、安心してお願いすることができると確信しました。
 6月14日に2度目の検査を受け、手術日は高校が夏休みに入った8月2日に行うことになりました。創のことも考慮してくださり、MICS手術で執刀してもらいました。

 手術後の回復も順調で、術後僅か11日で退院することができました。
 入院前も退院後も、不安なことや分からないことがあれば米田先生にメールで相談させて頂いていますが、時間を空けずに返事が返ってくることに驚いています。

ご多忙の上、毎日全国の患者さんや医療関係の方から膨大な数のメールが届くと思うのですが、先生の睡眠時間は足りているのだろうかと、こちらが心配になるくらいです。
 私共の、内容不足の質問にも決して否定することなく、素人にも分かり易く親身になって答えてくださいます。

この<否定されない>ということが患者側にとって、どれほど精神的に安定することができ、救われていることか…本当にありがとうございます。

 娘が心疾患を持って生まれてきたことは不運でしたが、すぐれた技術とすぐれた人格をお持ちの米田先生に出会えたことは幸運でした。

 今後とも宜しくお願い致します。

****

**********************

その後、心臓手術から5ヶ月ちかく経って、年末にまたメールを頂きました。

お元気で楽しく暮らしておられるご様子、何よりと思いました。

*******その後のお便り********

米田 正始  様
 

暮れもおしせまり今年も残りわずかとなってしまいましたが、米田先生には大変お世話になりました。
 

お陰さまで娘の体調も良好で、今日は元気に大掃除のお手伝いをしていました。
 

大学生の息子も帰省して、家族揃って笑顔で新しい年を迎える準備が出来ること、本当に感謝しております。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

****

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り70 自己心膜で大動脈弁形成術(再建術)をミックス法で受けた患者さん

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自己心膜をもちいた大動脈弁形成術あるいは再建術は最近世界の注目を集めています。

Ilm23_cd01001-s大動脈弁の弁尖つまりひらひらと開閉する部分を自己組織で取り換えるため、厳密には弁形成というよりは弁置換との中間型と考えることもできます。そこで私たちは誤解を避けるため、大動脈弁再建術と呼ぶことが多いです。

ともあれ、この方法は大動脈の根っこの部分に直接自己心膜を縫い付けるため、自然の弁に近い性質をもっています。そのため弁尖の動き方に無理がなく、縫い代の無駄がほぼゼロのためサイズが人工弁よりかなり大きくなり、長持ちしやすい構造です。

将来のTAVI(カテーテル弁)にもいっそう対応しやすく、再手術もそれだけ減らせるという期待が持てます。

以下の患者さんはこの自己心膜による大動脈弁形成術(再建術)をもとめて埼玉県からお越し下さいました。

遠方から来たかいがあったと言って頂けるよう、しっかりと頑張りました。もとは二尖弁というひろひら部分が2枚でしたが、手術後はきれいな3枚になりました。そして良い結果でよろこんで戴けてうれしい限りです。

ミックス法で創も小さ目にできました。こころの創があまりつかないようにしました。

その患者さんからのお便りです。

*********患者さんからのお便り*********

 

米田先生様

この度、17日に退院しました**です。
米田先生、北村先生、深谷先生、看護師のみなさんには
大変お世話になりました。

お便り70自分の病気が発見された時は頭の中が真っ白で脱力感で
何も考える事が出来ませんでした。時間が過ぎていく中
不安や恐怖感がでてきて男ながら涙がでる日々がありました。

そんな日々色々と病気の事を調べていく中、米田先生のサイトを
見つけ読んでいくにつれて米田先生にお願いしたいという気持ちが
でできました。

そして、すぐにメールしたら何時間後には返信がきて翌日には
検診日を決めて埼玉から名古屋までかなり遠かったですが
米田先生にお会いでき色々とお話して「米田先生に手術をお願い
しよう」と思いました。

そして入院日、手術日を決めていく中なんと手術日が子どもの
誕生日に決まりまたまたそこで涙が溢れてきました。

いよいよ手術当日も不安や恐怖感でいっぱいの中看護師の方、
北村先生が盛り上げてくれた事感謝の気持ちでした。

術後も看護師さんには大変お世話になりありがとうございました。

本当に先生方、看護師の方には感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

 

埼玉県在住

*****

 

********上記のメールをこのHPに掲載する許可依頼をしたところ下記のコメントを頂きました********

 

米田先生様

こちらこそ少しでもお役になれば喜んで掲載していただければ
と思います。

他の患者さんへ

自分は大動脈逆流症と地元のお医者さんに言われた時は
頭の中が真っ白になり何も考えられませんでした。

時間がすぎていくにつれて「何で自分なんだ」と思って涙を流しながら日々を
過ごしてきました。

毎日毎日不安や恐怖感でいっぱいでした。

でも、名古屋ハートセンターの米田先生と出会い「弁形成が出来るんだ」
という期待の気持ちを思い手術する決意を決めました。

 
自分自身が諦めずにインターネットや本とかで調べていけば
納得出来る病院、先生が必ず見つかると思います。

 

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お便り69 心膜のう腫の手術を受けたエホバの証人の信者さん

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心膜嚢腫(のうしゅ)はやや稀な病気ですが、大きくなると心臓を圧迫し、心不全などのさまざまな症状を引き起こします。また良性腫瘍とはいっても、不完全に切除すると再発の恐れがあります。

Ilm23_cg01002-s以下の患者さんは関東から来られました。地元の病院ではエホバの証人で輸血できない患者さんは治療ができないと言われたそうです。

またそのために手術も内視鏡で右胸から、不完全切除覚悟のものしかできないと言われて米田正始の外来に来られました。

私たちはその方の宗教を尊重する立場から、全力をあげてエホバの証人の患者さんの無輸血手術の完遂に努力しています。

もちろん無輸血手術が困難な場合や危険な場合は正確に正直にお話しするようにしています。その場合でもできるだけ長く生きられる次善の策としての治療を検討するようにしています。

この患者さんの場合は、腫瘍の場所が真ん中から左右に広がっているため、安全を期して正中切開としました。

絶対無輸血というのでなければ、いわゆるミックス手術という小さい創の手術それも胸骨を部分切開する、体への負担の少ない方法をとるのですが、この患者さんの場合は安全を期して皮膚切開はやや小さくするに止めました。

のう腫はそのカプセルごときれいに取れ、完全切除は達成しました。もちろん無輸血です。

今はお元気で外来に定期健診に来られます。

以下はその患者さんからのお便りです。

喜んで頂けてうれしい限りです。

 

********** 患者さんからのお便り ********

 

米田正始副院長 様

 

ご無沙汰してます。
 

退院時もお会い出来す残念でしたが、米田先生は立派なお仕事されてますね。
退院まで深谷医師、北村医師、小山医師の皆様から親切な対応をして頂き感謝してま
す。
患者さんからのメールです

帰宅してから**先生の受診でも、全摘と良性であった事を良かったと言って快く薬も出して下さいました。

良かったです。有難う御座いました。

胸の傷は日柄ものと思いますが、喉の下のほうがプクプウしてます。
そのあたりが少し痛みが残ってます。

深谷先生から皮膚の下の骨も切っている為の腫れと聴いてましたので了解してます。

熱は36度代で血圧も安定してます。

20日に伺います。福留看護士様にも色々お世話になりました。

米田先生、リスクのある手術を受けて下さり有難う御座いました。

一時はどうしようかと思案に暮れていましたが、親切な応答に嬉しかったです。

一生忘れられない先生です。多忙な中、体を大切にして下さい。

先生の心臓も頑張って動いて先生を支えてくれているんですから。

感謝の気持ちをお伝えしたくメールさせて頂きました。

横浜市***区
***

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お便り68 ポートアクセス法の僧帽弁形成術を受けたバーロー症候群患者さん

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僧帽弁形成術は年々進化を続けています。

私たちも内外の仲間と常に切磋琢磨しながら、患者さんのお礼のことばを糧として、日々反省と勉強を続けています。おそらくこの仕事を続けるかぎり、その熱い毎日は止むことなく続くでしょう。

バーロー症候群はかつては弁形成がなかなか難しいilm23_df01001-sと言われました。現在でも慣れないチームには難問です。

私たちもかつてはバーロー症候群で形成があと一歩のところで仕上がらず、涙を呑んで弁置換したことがありました。もう20年近く前のことですが、あの悔しさは今も忘れることができません。

そうした経験をもとに、いつしかバーロー症候群といえども、とくに問題なく普通に形成できるようになりました。

現在はこれをポートアクセス法という、ミックス手術のなかでも一番創の小さい、難しい視野の手術で普通にこなせるまでになりました。

そうすることで、より多くの患者さんが、より少ない痛みや苦しみで、より短期間に仕事復帰し、しかも心の傷がより小さくなって明るく人生の再出発ができるようになったことを、大変うれしく思っています。

以下はそうしたバーロー症候群の僧帽弁閉鎖不全症に対してポートアクセス法での複雑な僧帽弁形成術を受け、元気に退院された患者さんからのお便りです。

お役に立てて、こんなにうれしいことはありません。

 

*******患者さんからのお便り(心臓手術の体験記)******

 

米田正始先生

謹啓 9月になりましたが、まだ暑い日が続いています。

先生はじめ名古屋ハートセンターの皆様にはご清祥のことと存じます。

8月18日に退院し、長野県に戻りました。

手術に際しましては大変お世話になりました。

皆様優しい方ばかりで良い環境で入院生活を送ることができました。感謝申し上げます。

 

今振り返りますと、ここ2年ほど風邪がなかなか治らないような感じで調子の悪い時が何回かありました。

6月1日から36.9度~37.1度くらいの微熱が続き、たまに頭が痛い。

重いものを持ったり、5分も歩くと疲れてしまう。

自分の判断では、肝炎かもしれないと思いました。

かかりつけ医のところで血液尿検査を行いましたが、問題はない。

1ヶ月続いたところで総合病院に紹介していただき、7月6日(金)に診ていただきました。

内科の先生が聴診器を胸にあてて雑音を発見、心エコー検査して、すぐに循環器内科へ回されました。

「弁に逆流がある」「僧帽弁閉鎖不全症」「手術しないと治りません」「すぐに入院してください」私は、体の状態は理解できましたが、仕事のこともありすぐ入院といわれ焦りました。

「仕事の段取りを整えなければいけないので一度職場へ行かなければなりません」

「それじゃ、今日もう一度来てください。必ず来てください」 ‥‥ 16時再び参りました。

「月曜日入院してください」経食道エコーとカテーテル検査で2泊入院ということでした。

すぐ入院ではなかったのか。一度帰宅したときにインターネットで調べて職場には、本日入院、手術後3ヶ月療養と告げてきました。

 

時間をいただきましたので、土日インターネットで調べました。

闘病体験記がいくつもあり、写真を掲載しているものもありました。

スーパードクターを紹介するものもあり、低侵襲手術についても載っていました。

ポートアクセスのMICS手術は経験豊富な外科医が熟練したチームでおこなう。

どこの病院でもできるわけではない。

複数の病院がわかりました。

米田先生の「心臓血管外科WEB」「遠方の患者さんの場合は ‥‥ 自宅と病院の往復回数をできるだけ減らすよう、必要な検査等は集中的に行い ‥‥ 」とても姿勢が良い。患者思いの先生だと思いました。

「心臓血管外科WEB」に心カテーテル検査と経食道エコーは必要ないと書かれています。

私は検査を受けた方がよいのかメールで相談いたしました。

30分で返事が来ました。うける必要はないということでした。

米田先生の迅速な対応にビックリしました。

翌日、両方断っては申し訳ないと思い、経食道エコーだけは受けました。

担当の先生と話して、米田先生に手術をお願いしたいと考えていますと伝えました。

「じゃあ、紹介状書くから」と検査を受けないことを許してくれました。

帰宅後、名古屋ハートセンターへ電話し、米田先生の診察を予約しました。

担当の看護師さんに伝えてくださってあり、米田先生ってきめ細かいなあと感心しました。

夕方、手術日はいつか、職場復帰はいつ頃かメールでたずねました。

20分で返事が来てまたまたビックリしました。

 

7月18日名古屋ハートセンターで検査と米田先生の診察です。

手術日は8月7日と決まりました。

MICS手術でいける。

療養期間は8月いっぱい。9月から職場復帰。

CTも撮りました。

8月3日入院しました。

米田先生には、8月6日の手術が夜までかかり遅い時間にもかかわらず、私と家族に翌日の手術について1時間説明してくださいました。

私自身は、52歳でもう人生に悔いはないといつも悟ったような気持ちでいました。

加えて米田先生を信頼していましたので、手術に関して心配事はありませんでした。

「心臓血管外科WEB」で学習しているので、理解するというより確認するという感じです。

16日間入院し、僧帽弁形成術で治していただきました。

オペ室スタッフの皆様、北村先生、深谷先生、木村先生にもお世話になりました。

看護師さん、食事担当の皆様どうもありがとうございました。

清掃は行き届いていました。

担当の皆様ありがとうございました。

これで安心して残りの職業生活を続けられます。

1ヶ月後にはまた名古屋へ参ります。お世話になります。

 

 20日には元の総合病院へ行ってきました。

担当の先生は、胸を見て、「ほう、右胸を切ったんだ。珍しい手術だね。内視鏡見ながらやるのかね。珍しいね。」とおっしゃるので、「見ていないのでわかりませんが、たぶんそうです」と答えました。

 米田先生、お忙しいスケジュールと思います。無理をなさいませぬよう患者の一人としてお願い申し上げます。

また、名古屋ハートセンターがますます発展されますようお祈り申し上げます。      

 

敬白 

 平成24年9月1日
                                                   ****

 

*註:米田正始は現在、医誠会病院仁泉会病院で仕事しています

 

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お便り67: ミックスで右室二腔症の手術を受けられた患者さん

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右室二腔症はこどものころに手術することが多い病気ですが、中には大人になってから徐々に病気が進行し、手術が必要になることもあります。

右室の中に筋肉が張り出して隔壁のようなものをつくり、そのために右室が無理をします。

Ilm23_cc03002-sあまり重症になりますと突然死することもありますし、不整脈や心不全で悩まされることもあります。

若い患者さんが多いだけに、創をできるだけ小さく目立たなくし、こころの傷も小さくなるようにミックス手術を心掛けています。

この手術ではなかなかミックス手術を行う病院がないためか、遠方からもよくお越しいただいています。

以下はその患者さんのご家族からのお便りです。ひとつは手術前、あとの2つは手術後です。

勉強し決意し、手術前の緊張とそれからの頑張り、健康を勝ち取られたあとのよろこびが伝わってきます。

私たちを選らんで戴いたことを光栄に思っています。

やはりお互いの心の絆は大切ですね。

 

***********手術前に頂いたメールです*************

名古屋ハートセンター 米田先生へ

娘が右室二腔症の手術で8月3日入院、6日手術でお世話になります群馬県
の***です。

猛暑の日が続き、先生におかれましてはつつがなくお過ごしでしょうか?

娘は、大学の前期試験が始まり、忙しい日々を過ごしているおかげで、

手術について若干、気持ち的に不安はあるのでしょうが、入院1週間前になっても

あまり落ち込むようなこともなくまた、娘の体調も特に問題はないので両親ともホッ
としております。

娘も私たち両親も先生の手術について全面的に信頼していることが娘にとって精神的
に落ち着かせているようです。

娘は、海外留学をしたいという夢に向かって、手術を受け健康な体に早くなりたいと
いう前向きな気持ちも支えになっているようです。

ただ、家では正常な血圧なのに、病院で検査や心臓カテーテルを受けるとき、娘は緊
張のせいか、血圧が急に上がってしまったりします。

手術のときもそのような状況にならないか少し心配しております。

私たち両親も名古屋での手術に向けて準備を進めているところです。

それでは、米田先生、スタッフの皆さん、どうか、どうか娘の手術をよろしくお願い
いたします。

  平成24年*月**日

群馬県**市  *****

 

********** 退院後いただいたメールです *********

 

名古屋ハートセンター 米田先生へ

  娘が8月6日に右室二腔症の手術でお世話になりました群馬県の***です。

  猛暑の日が続き、先生におかれましてはつつがなくお過ごしでしょうか?

  さて、18日の退院に際しましては、予定より早めたため、先生方、看護師さんには
ご迷惑をおかけしました。

帰省ラッシュの名古屋駅で、さすがに娘は人混み酔いをしてしまいましたが、新幹線では落ち着き、無事に帰宅しました。

帰宅後の娘は、ホッとした様子で、荷物の片付け、犬と散歩、母と一緒に食料の買い物など、元気に過ごしています。

頓用で1日2回は服用していたロキソニンも 1日1回に減りました。

23日には****病院に受診しました。**先生から、「順調な経過で、問題ないで
しょう。何かあれば、いつでも受診を」といわれ、次の北村先生の受診日まで、間に
合うようにお薬をいただきました。

血液検査値のデータは下記のとおりでした。

(中略)

猛暑で、娘は胸帯が蒸れると申しております。特に寝るときに外したいと言っていま
す。

寝るときだけ胸帯を外して寝ても大丈夫でしょうか?

傷はかさぶたも少しずつとれ、きれいになってきています。

手術後の経過も順調で、傷も小さくすみ、娘も私たち親も名古屋ハートセンターで手
術を受け、本当によかったねと言っております。

本当にありがとうございました。

1ヶ月検診には、また、センターに伺いますのでよろしくお願いします。

まだまだ、暑い日が続く模様ですので米田先生、センターの皆様におかれましてもお
体に気をつけてお過ごしください。

     平成24年*月**日  群馬県 ****

 

************* その後のメールです ***********

 

名古屋ハートセンター 米田先生

早々にご返信いただきありがとうございます。
娘は今日、暑い中、ゼミのため電車で大学に行き、帰ってきました。

 
暑さのためか、少々、疲れたようですが、手術後3週間ですでにゼミに復帰できると
は思いませんでした。

あまり無理をしないように娘には言っておりますが、傷の痛みもないようですので、
無理はしない範囲で手術前の生活に戻りつつあります。

9月には多文化交流でインドネシアのお友達が2泊の予定で我が家に来る予定です。
今から娘とともに楽しみにしているところです。

先生からご依頼のありましたホームページについてはまったく問題ありませんので、掲載よろしくお願いします。

私たちも名古屋ハートセンターの米田先生のホームページを閲覧し、右室二腔症について詳しく知ることもできましたし、センターで患者さんのご意見が掲載されているノートを見て、名古屋ハートセンターで手術を受ける決心の一助となりました。

やはり、心臓の手術ですので手術前は親子とも不安はありましたが、術後は、親子と
も本当に手術を受けて良かったと思っております。

これから娘が、自分の好きなこと、やりたいことへ挑戦(たとえば登山、海外留学な
ど)するとき、心臓の心配をしなくてすむようになったことは、娘にとって人生への
幅が非常に広がり、親も娘の挑戦を柔軟に受け止められるようになると思います。

 
本当にありがとうございました。

それでは、9月**日に1ヶ月検診で名古屋ハートセンターに伺います。
よろしくお願いいたします。

 

註:米田正始は現在、医誠会病院(手術と外来)と仁泉会病院(外来)で仕事をしています。

 

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お便り66: バルサルバ洞破裂と心室中隔欠損症などを克服した患者さん

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バルサルバ洞破裂はときおり見られる病気です。

大動脈の一番つけねのところの膨らみをバルサルバ洞とよびますが、これがなんらかの理由でこぶのように広がり、ついには破れる病気です。

心室中隔欠損症(略称VSD)などの病気に合併することも多々あります。

Ilm23_cc01001-s以下の患者さんは遠方の北関東地方からお越し下さいました。

地元では手術ができないということで、ましてミックスの小さい創での手術はあり得ないと言われてのご来院でした。

通常、バルサルバ洞瘤破裂といえば、患者さんは倒れたりショック状態になっての緊急手術が多いと言う印象がありますが、この患者さんの場合は徐々に破れたためか、比較的穏やかに心不全が発生していました。

手術では心室中隔欠損症の大穴をパッチで閉じてバルサルバ洞も治し、これによって大動脈弁もゆがみが取れてその逆流も軽微になりました。

3つの病気が全部治り、人工弁による弁置換も回避でき、しかも小さい創で手術が完了したため大変喜んでいただきました。

遠方から来ていただくだけに地元ではできない良いものをと念じていましたので、うれしい限りです。

以下はその患者さんからのお便りです。

 

********* 患者さんからのお便り **********

 

先生、この度は大変お世話になりました。
一昨日帰宅予定でしたが、
名古屋駅の人混みと猛烈な暑さに尻込みしてしまい
一旦ホテルに避難・・・
昨日友人にサロンカーで迎えに来てもらい、
フラットなシートで涼しく帰ってきた次第です。

おかげさまで手術後の痛みも、
つらかったのは翌日まで。
合併症なども全くなかったそうで、
大変な手術を受けたとは思えない回復ぶりです!

 傷跡も小さい上に全く目立たず、
その点もとても前向きになれる要因です。

退院前に実際のエコー画像を見せて頂きながらの
丁寧な説明をして頂き、
全く問題なく治っているとのお言葉、
本当に感謝しております。

週明け早々に****病院で、
継続観察と投薬をお願いしに行ってきます。

森の中を愛犬と散歩してリハビリにも
励みたいと思っております。

名古屋の暑さにはびっくりです。。
先生もお体に充分お気を付けください。
本当にありがとうございました。

定期健診でお会いできればと思っております。

         8月23日 


****2年後、フェイスブックに載ったご意見です

お元気で仕事に楽しみに活躍しておられる由、うれしいことです****


気が付けば8月9日。
二年前の今日心臓が生まれ変わった日です!

胸骨を切り裂かれ、身体中を管に繋がれていたあの日。
今思い返しても、やっぱり我慢できない苦痛は無かったなぁ♪

お見苦しく痛々しい写真ですが、本人は大丈夫でしたー。

**今更のように感じます、良かったですね♪

** 50年間使ってきた心臓と
二年前からリセットされた心臓は別物に感じます♪

** 2周年おめでとうございます。**さんの決断と頑張りの賜物です。ちなみに骨は手術前より強くなっていてワイヤーのところなどはピストルで撃たれても耐えられるかも知れませんよ。

** 先生!感謝いたしております♪
以前と比べ、静かすぎて物足りないほどです(^^)
先生が約束してくださった通り

 

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