お便り44: 大動脈二尖弁と上行大動脈の手術を受けた患者さん

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先天性心疾患は生まれた時からの心臓病です。

そのため身体の負担はもとより、

こころの負担が患者さんご本人だけでなくご両親たちにも重くかかってしまいます。

 

Hana_16 ご本人にとっては、ある日心臓が悪いと言われたとき、

なぜ何も悪いことをしていないぼくがこんな目に合わなければならないの?と思うでしょうし、

ご両親にとっては、私たちはこんな病気を創ってしまった、こどもに申し訳ない、どうしよう、

という苦悩に襲われるのです。

 

私たちができること、それは

できるだけ安全性を高めて

できるだけ良い手術をして心臓病を治すこと、

そしてなるべく心の負担を軽くするお手伝いをすることです。

以下のお手紙は大動脈二尖弁による大動脈弁狭窄閉鎖不全症のため

遠方から名古屋ハートセンターまで来て心臓手術を受け、

元気になって下さった患者さんとそのお母様からのお便りです。

ドットハート001154m初対面の時から、

正直に何でも打ち明けて下さった患者さんの男らしい姿勢に私は勇気づけられ、

力が入ったのを覚えています。

こころが通じていると実感したわけです。

またそれまでの苦しい経過の中で

命をかけてでも無輸血で治療を受けてお母さんを喜ばせてあげようという気持ちを戴き、

絶対無輸血という決意で手術をさせて頂きました。

大動脈二尖弁の患者さんは上行大動脈が弱く、

この患者さんの場合もすでに瘤になり始めていたため

併せて治すことができました。

彼にとってできるだけのことをしたく思ったのです。

以下はその患者さんとお母様からのお便りです。

**********患者さんからのお便り***********

私は、生後すぐに心臓病らしいと告知されたそうです。

お便り44実物 両親は私の成長するにしたがい、心臓病で有名な病院へ、つれて行き診察してもらいました。

ところが、現在とは違い当時、病名も判らず両親は、とても心配したそうです

その後、「大動脈弁狭窄兼閉鎖不全症」と診断され医師から「35歳くらいで、階段の昇り降りも負担になる。人工弁を入れる手術が必要。」と聞かされましたが、ちょうどその頃、私は中学生で「そのうち心臓は止まり死ぬ。」と考え、つよくない体を、飲酒、喫煙や人に言えないような事を行ない、非行を繰り返す毎日でした。

そして、自業自得とはいえ、この時期から動悸、息切れ不整脈の症状が頻繁に、あらわれ、とうとう2009年5月に、重度の心不全、呼吸不全で14日間、生死をさまよう事となったのです。

救命医療で担当して下さった医師の治療のおかげで、なんとか一命は救われましたが、人工弁を入れる手術をしたわけではなく、真剣に手術について考える必要に迫られるのです。

まず、かかりつけの医師に「あと3年くらいしか心臓がもたない事、はやく手術すれば心機能の回復も見込まれる。」と説諭されましたので、地域の大学病院へ行きました。

それから心臓血管外科の医師から、初めて具体的に手術について説明をうけたのですが、あらたに、「上行大動脈瘤」がある事も聞かされました。

問題はそれだけでは、ありません、この手術には、絶対に輸血が必要との事でした。

私は、まだちがうのですが、母親はエホバの証人です。これまで私は社会や両親、とりわけ医療関係者、また神様にたいしても、ふざけた態度ですべてにそむいて来たので、ひとつだけでも、従いたいので輸血はしないと決めていたからです。

なんとか無輸血で、手術が出来ないものかと、困り果てたころに、WEBサイトを介し米田正始医師に、たどり着いたのです。

こんな私を米田先生は、なんの偏見も無く「手術は無輸血でします。これを機会に生まれ変わればいい。」と、やさしくおっしゃってくれましたので、私は安心し、すべてを頼る事にしたのです。

そのような訳で7日間の準備入院、そして8日目、手術が無事終わり数時間後には、歩くことも出来ました。そして10日後に退院して現在は、走る事も出来るのです。

最近、友人に手術痕を見せた時に「本当に心臓の手術したのか?」と言われ、みても分からないほど、手術あとも、とってもきれいです。

これまでは「ガタガタ」うるさく、気だるく、おもかった心臓が、術後は、心臓そのもの、存在すら感じられない不思議な、感覚、すごくかるい感じを私は、うまく文字や言葉では表現できません。

米田先生、治療していただいた事、本当にありがとうございました。

2011/1/17

**********お母さんからのお便り**********

お便り44実物2 2009年12月に、39才になったばかりの長男は、手術室に入っていました。

時間が止まってしまった様な長く感じられる日でした。

米田先生から手術がうまくいったと告げられた私は、まだ目ざめていない子に顔を見た時、安堵感と、よろこびで胸がいっぱいになり、「よかったね。手術はうまくいったのよ。もう大丈夫だからね。」と声をかけていました。

私が、どれほど、うれしくて、心から先生が他とチームワークをくんで、一丸となって長男のために全力をあげて、手術にとりくんでくださった若い先生方と、スタッフの方に、心を込めてありがとうございましたと伝えたくて。この胸中をわかっていただけるでしょうか。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

1970年12月に生まれた長男は、生後一か月検診で、医師から信じられない言葉を聞かされました。

今でも、昨日のように思い出します。「赤ちゃんは、心臓の雑音がひどいので検査をするように。」

私の耳に入ったこの言葉は、ショックで、どうしていいのかわからなくなってしまいました。私も、若いママになれたよろこびで、足取りも軽く病院へ行ったのに、帰り道は、とても不安な思いを抱く悲しい気持ちで帰宅し、誰にも言えずに、一人ぼっちで育児に専念することになりました。

初孫を、とてもよろこんでいた四人の若い祖父母には、心配をかけたくないので、言えなかったのです。

外見からは、チアノーゼもなく、よく食べ、よく眠ってくれて、泣いてぐずることもほとんどなく、楽に育てられたのですが、悲しい思いをしたのは、予防接種の度に、心雑音と告げるだけで、すぐにパスされて、冷たくされた思いでした。私の不安は、この先どうなるのか、つのるばかりでした。

心臓病に詳しいと聞くと、どこへでも行って診てもらいましたが、東京の**大学の先生には、「赤ちゃんの時は、わかりにくいのですよ。」と言われるばかりでした。

でも本人は、親の心配も知らずに、丸々と太って、病院にかかることもなく、風邪などの熱には要注意と言われていたのに、四十度近い熱でも、とても元気で、すぐに治るし、心臓が悪いなんて信じられないくらいだったのです。

小学校に入学する前に、6才になったら、入院して、カテーテル検査をするようにと予約をして、受けましたが、その時は、心室や心房の壁に穴もなくて、原因はわからなかったのです。

そして、中学生になった時、学校側の要望により、***病院で受診しました。当時は、日本一と知られた病院でした。そこで、やっと病名がわかりました。大動脈の弁が狭いそうでした。

でも本人は至って、普通の子と変わらず、元気そうでしたが、病名を告げる事によって、学校側は責任上の理由で、ドクターストップがかかりました。

大好きなスポーツも制限されてしまって、自分の思うようにならなくなったので、ずい分、ヤケになりました。

それまで、明るくて活発な性格だったのに、心がすさんでゆき、悪い傾向のまま走り出してゆくようになり、悪い仲間と連れ立つようになり、愛情を示そうと努力する家族に背を向けてしまって、私の手から離れようとばかりして、心痛の元となりました。今でもあの頃を思い出すと、目に涙があふれてきます。

不安と悲しみ、親であるがゆえの惨めさ、恥辱の伴う苦しい時期だったのです

成長に伴い、身体が大きくなると、心臓も負担がかかってくるようになり、悪い生活習慣のため、発作も度々で救急のお世話にもなるようになり、もう年令は、38才になっていました。

病院へ行くと医師からは、早く手術をした方が良いと何度も告げられましたが、私自身が様々な思いがあって、決心がつかないのでしたが、ある時かかりつけの先生から「お母さん、そろそろ手術を考える時ですよ、このままでは死んでしまいますよ。」と告げられて、病院を探すことになりました。

大学病院では無輸血の手術は無理ですと断られて、困っていたところに、米田先生との出会いがあったのです。

先生は、とても優しく、ひろい心で、相談にのってくださり、先生の最高レベルの医術を駆使して、さまざまな工夫をこらし、出血も最小限にと全力を尽くして取りくんでくださったおかげで、もう限界だった心臓を治してくださった事、もう一度生きてゆく機会を与えられたので、大変な思いをして、これまで生きてくることができたのだからこれからは、もっと、もっと、自分の体を大切にして、命を尊重して生きて欲しいと心から願っています。

米田先生、先生の優しさと、勇気と、すばらしい医術に感謝を込めて、ペンを止めます。

本当にありがとうございました。

***の母**より。

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
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お便り43 がんの手術後に心臓腫瘍がみつかった患者さん

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心臓腫瘍はまれな病気ではありますが、

突然患者さんを襲ってくる、無視できない病気です。

 というのは心臓腫瘍のタイプによっては悪性度が高く、そのままでは転移したり、

全身を壊すことがあるからです。

悪性でなくても、心臓腫瘍がちぎれて血流に乗って脳へ流れて行けば、

脳梗塞になってしまいます。

 いずれの場合もすみやかに治療することが勧められています。

治療は手術が基本です。

 

Ilm10_dh03003-s 心臓腫瘍の多くは粘液腫というゼリー状のもろい状態の腫瘍です。

しかし中には悪性腫瘍や、その他の腫瘍もあり、

もともとまれな病気のためかなりの経験量をもつ心臓外科医でないと初めてとかそれに近い心臓手術となり、

少しでも教科書からはずれた所見があると困ってしまいます。

以下は心臓腫瘍がたまたま発見され、

希望して名古屋ハートセンターへ来られた患者さんからのお手紙です。

その少し前に乳がんが見つかり、手術や薬の治療を受けられたところでした。

不運が相次ぐ形となり、患者さんにはまことにお気の毒でしたが、

前向きに頑張って下さり、

また私たちもこれで不運は打ち止めにしていただこうという意気込みで一緒に頑張りました。

 

Ilm09_ag04009-s手術では普通の左房粘液腫とは違う、

僧帽弁輪から発生し、左房壁の中にうずもれた、

どちらかと言えば悪性度が高い形でしたが、

悪性腫瘍の可能性を考えてそれらを二方向から徹底切除し、完全切除できました。

それを弁形成の経験を活かして再建しました。

顕微鏡で調べて頂いた結果、良性の左房粘液腫でしたが、

粘液腫と言えども、不完全切除すると後で再発することが報告されているため、良かったと思います。

MiniSkinI手術はミックス手術(MICS)法に準じた形で小さな皮膚切開で行い、

比較的お若いご年齢の女性の心の負担をなるべく軽くするように努めました。

患者さんも喜んで下さり、努力の甲斐があったとチーム全員うれしく思いました。

 

私たちはがん治療の専門家ではありませんが、

がんの先生方と力を合わせて心臓病の視点から今後も治療支援をしていく予定です。

 

なおお便り11も粘液腫の患者さんからのものです。ご参考に。

 
*************************

米田正始先生

先週7月1日に無事退院することができました。

 
先生に一言ご挨拶をと思いましたが、ご不在とのことでしたので、お礼も申し上げず失礼いたしました。
この度は私の左房内の腫瘍をきれいに切除していただき大変ありがとうございました。

思えば1月に「乳がん」の告知を受け、胸を切り取られてからのこの半年はつらい日々でした。それでも現実をしっかり受け止め、前向きに治療に取り組んでいた私に、次に告げられた病名が「左房粘液腫」でした。

正直なところ「目の前が真っ暗」というよりは、「今度は何?」という気持ちでした。でも偶然にもハートセンターさんと米田先生のことを知ることができ、あの日思い切って先生にメールでご相談してつくづく良かったと思っております。

先生の手術のおかげで心臓も元気になり、手術の傷跡も小さく外見からはほとんど気にならない程度で、大変ありがたく感謝しております。

2週間の入院中はとても苦しい時期もありましたが、深谷先生、北村先生、小山先生にはとても優しく丁寧に診ていただきました。また看護師さんやヘルパーさんの方々にも親身にお世話していただき、みなさんのおかげで退院できるまでになれたと思います。どうもありがとうございました。

今日はいただいた診療情報提供書を持って**病院に行ってまいりました。中断していたハーセプチンの投与は再開しましたが、放射線治療についてはとりあえず傷が治るまで延期ということになりました。

ハートセンターさんを退院する時は「これで私も健康になれた!」と一瞬うれしく思えましたが、実際は私の場合単に「乳がん治療ができる体になった」というだけのことで、病気との闘いはこれからもまだまだ続きます。

でも必ず元気で健康な体を取り戻すべく、気持ちを強く持ってこれからもがんばっていこうと思います。
私に元気な心臓と明日への希望を与えてくださいました先生に、心より感謝しております。
本当にありがとうございました。

暑さきびしき折、先生もどうかお体ご自愛ください。

 

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お便り42 大動脈二尖弁に弁形成術を受けられた若者のご家族から

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大動脈二尖弁そのものは必ずしも病気とは限らないのですが、

弁が壊れやすく、年齢とともに弁膜症が発生します。

 

二尖弁は先天性心疾患のなかに入るため、若い患者さんが多いです。

そのためおなじ心臓手術といっても、人工弁を使う弁置換手術よりも

患者さんの弁を修復して活用する弁形成術が患者さんを助けます。

 

Ilm10_df01004-s というのは若い年齢たとえば20代や30代では人工弁不利だからです。

つまり機械弁を使えば、

弁自体の耐久性は100年ほどもありますが、

一生涯ワーファリンを服用する必要があり、

そのために毎月病院通いし薬を調整して行くことが求められます。

きちんと調整していても、ときたま、脳出血や脳梗塞が起こります。

これはワーファリンというお薬の宿命的な弱点なのです。

かといって生体弁はこの若い年齢では早く壊れやすいのです。

しかし弁形成ならばそうした問題は少ないです。

また弁があまり壊れていないときには、手術がきれいに決まれば長持ちしやすいのです。

そこで私たちは大動脈弁形成術に力を入れています。

以下のお便りは大動脈二尖弁の若者のお母さんからのメールです。

近くの病院では人工弁による弁置換しかないと言われ、

ネットで勉強して九州から私のいる名古屋ハートセンターまで来て下さいました。

手術は大動脈二尖弁が狭くなりかつ逆流(閉鎖不全症)も起こすという、

形成しづらいタイプでしたが、さまざまな工夫ののち大動脈弁形成術は無事成功し、

狭窄も逆流もほぼ取れました。

二枚の弁のかみ合わせも良いため、今後長持ちする期待ができます。

 

仕事熱心で前向きな患者さんですので、一層うれしく思っています

**************************

米田正始先生

Sun, 7 Aug 2011 02:15:38 +0900 (JST)

お世話になっております。
私、6月初旬に手術をして頂いた**の母です。

お便り42実物 今回、先生に感謝の気持ちを伝えたくメールをさせて頂きました。
ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません。

先生に出会うまで、手術方法について非常に悩んでまいりましたが、先生に弁形成の手術をして頂けるという希望を頂き、本当に救われました。

そしてその通りの手術をして頂きまして本当に心からの御礼を申し上げます。

手術を終え、息子はまだ沢山の機械が繋がれておりましたがこれでもう大丈夫、と安心致しました。息子に少しでも早く伝えたくて《手術成功したよ、弁形成して頂いたよ》と紙に書いて見せました。それを見て息子が少し頷いた時のこと、忘れません。

今、息子は元気に会社へ行っております。先日も家族で旅行へ楽しく行ってきました。

これから息子には楽しい人生が待っていると思います。
今までずっといろんな方々に見守られ、支えられてきました。そして先生に出会えて夢のような手術をして頂き、本当にありがとうございました。
息子の幸せは家族みんなの幸せであり、大変嬉しく喜んでおります。

くれぐれも先生もお身体にお気をつけ下さい。そしてこれからも私たちのような患者、家族を少しでも多く救ってあげてください。

米田先生、先生方、スタッフの方々、この場をお借りして心からの御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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お便り41 冠動脈バイパス手術を受けた透析歴23年の患者さん

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血液透析の患者 Ilm09_ag07002-sさんは動脈硬化が速くなる傾向があります。

 

平素の健康管理たとえば血液透析はもちろん、

塩分や血圧の管理、コレステロール、血糖値その他の脂肪の管理をはじめ、

きめ細かい管理やケアによって長期間の健康や安全性は高まります。

 

Ilm10_df01002-s しかしそれでも冠動脈などの動脈が硬化し病気を引き起こすことはあります。

そこでは早期診断と的確な早期治療が役立ちます。

 

以下の患者さんは50歳そこそこのお若いご年齢ながら、

慢性の血液透析のため狭心症・冠動脈狭窄症を発生された大阪の患者さんです。

ふとしたご縁で、私のHPをご覧になり、名古屋まで来ていただきました。

 

冠動脈バイパス手術の代表例です血液透析の患者さんは一般には冠動脈も悪くなっていますが、

逆に、冠動脈バイパス手術が威力を発揮する状況とも言えます。

それはカテーテル治療PCIでは悪い血管を無理にひろげた上に抗がん剤を塗った金属のステントを入れるのに対して、

冠動脈バイパス手術では冠動脈よりもはるかに動脈硬化が起こりにくいスーパー動脈である内胸動脈をつなぐため、長期の安定性が良いからです。

天皇陛下もこの心臓手術を受けられたのはみなさん記憶に新しいところと思います。

 

手術では、いつもどおり体外循環を使わないオフポンプバイパス手術の方法で、

その内胸動脈2本と静脈グラフト1本を付け、

いずれもきれいに開存し、十分な血流が心臓へ行くようになりました。

 

以下はその妹さんからの感謝のお手紙です。

なお遠方からの患者さんに対しては、できるだけ距離がハンデにならないよう、

配慮しています。

アフターケアも地元の病院と協力して患者さんが困らないようにしています。

 

**************************

 

前略 先日は、兄****の入院、手術に際しまして大変お世話になり、本当にありがとうございました。

退院後10日程が経過し、まだまだ万全な体調とは申せませんが、おかげ様で順調に回復しているようです。

手術前は、いつ胸痛が起こるのかわからない不安から夜も熟睡出来ず、食も細くなって体力が落ち、兄本人だけではなく周りの私共家族としましても、大変心配な状況が続いておりました。

狭心症で手術適用と判断された場合、早急に手術をした方が良いという米田先生からの直接のアドバイスをお電話で頂いた事で、最終的に名古屋へ行く意思が固まり、この様な素晴らしい手術を施して頂きまして、本当に有難く思っております。

今となって思い返せば、既にいつまでもぐずぐずと手術を先延ばしにしておける様な状況にはなく、先生からアドバイスを頂きました通り、早急な手術が必要であったと強く感じております。この様な状況を見抜き、適切な助言と対応をしてくださった名古屋ハートセンターの先生方への感謝の念に絶えません。

8年前に兄が、大学病院で腎臓摘出手術をした際、術後に感染症から高熱と痛みに苦しみ、側にいる家族として何も出来ない辛さを感じた経験がございます。今回は、術後一度も発熱する事も無く、手術後2、3日で少し歩く事も出来ましたので、本当にその違いには驚きました。

今は、食欲も少しずつ戻りつつあり、これならば体の方も思ったより早く回復していくのだろうと、本人も手応えを感じているようです。今後、足の方のカテーテルによる手術も外科的手術とのコラボが必要との事、是非名古屋ハートセンターでまたお願いしたいと家族一同念願しております。

兄は、透析生活23年目ですが、今回の手術により、心機能が良くなりましたので、後は規則正しい生活、食生活、適度な運動を心がけ、普通の人以上に長生きをして欲しいと願っております。

私は茨城県**市にてベンチャー企業を経営しておりますので、開発関係の仕事でも一緒に出来る程に回復してくれるかも知れないという前向きな期待も、おかげ様で持てるようになりました。

名古屋ハートセンターは素晴らしい病院です。これからも激務の中、多くの患者さん達を救う為にも、どうぞ先生御自身のお体もご自愛下さいませ。

現状御報告かたがた御礼申し上げます。なお、ワープロにて大変失礼致しました。
 

草々

6月23日                          ****

米田 正始先生

 

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お便り40 大動脈二尖弁で後年、大動脈手術を受けた患者さん

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二尖大動脈弁(大動脈二尖弁)はかつては単なる弁膜症とみなされていましたが、

現在は研究が進み、

弁だけでなく大動脈の病気でもあることがわかっています。

そのため昔、大動脈弁の手術を受けた患者さんでも、

長年月の間には大動脈が拡張し瘤(こぶのように大きく)となることがしばしばあるため注意がひつようです。

 

Ilm17_da05014-s 実際、昔どこかの病院で大動脈二尖弁の手術(大動脈弁置換術)を受け、

5-15年して大動脈が拡張し瘤になって

私のいる名古屋ハートセンターへ来られる方が何人もおられます。

 

以下の患者さんは5年前、別の病院で大動脈二尖弁のため大動脈弁置換術(略称AVR)を受けられました。

最近上行大動脈が拡張し破れそうになっていることが判り、

かかりつけの先生からのご紹介で私の外来へ来られました。

 

外来でCTその他で調べたところ、

上行大動脈から弓部大動脈までかなり大きくなっており、

その拡張速度も速いため、心臓手術(再手術)することにしました。

 

手術では前回手術のための癒着(心臓と周囲の組織がくっついてそのままでは手術できない状態)があり、

これを丁寧に剥離し、それから上行大動脈から弓部大動脈まですべて人工血管で置換(弓部大動脈全置換術)しました。

再手術の、それもけっこう大きめの手術でしたが、

経過良好でまもなくお元気に退院されました。

 

Illust205これによって今後、大動脈の心配はほぼ解消し、患者さんはお元気な生活に戻られました。

 

下記の手紙は患者さんが他の方のお役に立つようにと、書いてくださったものです。

 

二尖弁の患者さんは、弁の手術後でも専門家のところで毎年定期健診を受けることがお勧めです。

これによって安全が確保できるようになるでしょう。

 

****************************

私は73才女性です。高血圧等で長年、近くのH医師の診察を受けています。

 

患者さんからのお便りの実物写真です 心臓に問題があるからと68才の時、T病院で大動脈弁の弁置換術をしました。

その時普通は3枚の弁が2枚しか無い(註:二尖弁)と知りました。

 

定期的にH医師の診察を受けていましたが、22年10月に「大動脈瘤があります。

信頼できる良い医師を紹介するので、是非、すぐ、診てもらいなさい」と言われました。

 

すっかり良くなったと信じていましたので、不安半分で息子・妹に付き添ってもらい、10月5日にハートセンターの米田先生の診察を受けました。

採血・CT等検査の後、緊急ではないので様子を見ましょうと、3ヶ月後再受診となりました。

 

大きくなっていませんようにの願いもむなしく、「H医師と相談の上、手術するかしないか決めてきてください」と言われました。

3週間後手術の決心をして米田先生に伝えました。初診から手術まで約4ヶ月の速さでした。

運が良かったと今は思います。

開胸手術も2度目の方がリスクが高いと言われましたが、先生に全幅の信頼を寄せました。

というのも最初の診察から手術まで私達に解り易く、何度も何度も丁寧に説明して下さったからです。

 

二尖弁が大動脈瘤になりやすい要因であることが、ここ2~3年前に解ったこと、どこからどこまでを人工血管に取り換えること、2度目のリスクとして癒着があると出血しやすく、その分手術時間がかかるけれど万全の態勢で臨むこと・・・。

 

一つだけ残念なことは、それだけのご説明を受けても、動揺している私の頭の中は真っ白で、付き添ってくれた息子達に家に帰ってから説明してもらい理解したことです。

ただ先生のご説明して下さっている様子からおまかせしたいという安心感だけ受け取りました。

 

術後すぐに先生から娘・妹に手術の結果とこれからの注意点のご説明がありました。

患者だけでなく付き添う身内にまできめ細やかな心くばりがありました。

 
現在順調な生活をしています。

本当にありがとうございました。

 

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お便り39 右室二腔症を完治された患者さん―普通の健康生活へ

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Ilm17_da05004-s

 

右室二腔症は多くの場合心室中隔欠損症(VSD)をともなった先天性心疾患です。

名前のとおり右室の中ほどで右室の筋肉が異常に内側へ張出し、

右室が2つに分かれたような形となります。

 

右室二腔症の異常心筋の張出し部の前後での圧較差がそれほど高くない間はまだ安定感があるのですが、

年齢とともに張出しが強くなることが多く、

心臓が耐えられず危険なレベルに達します。

極端な場合は突然死などの恐れもでてきます。

 

図右室二腔症b下記の患者さんも右室二腔症の2つの右室の間の圧較差が極めて高くなり、

心不全症状の悪化とともに危険が迫る状態であったため手術を行いました。

異常心筋を注意深く徹底切除し、三尖弁の乳頭筋は温存しつつ、

2つの右室の間の圧較差がゼロになるところまでになりました。

心室中隔欠損症はパッチで閉鎖しました。

それらの心臓手術の結果、正常の心臓を取戻し、すっかり元気になられました。

 

右室二腔症の性質上、永い間、この病気と向き合い、悩んでこられたようで、

退院のとき、手を握って「第二の人生をありがとうございました」としみじみ言って下さったのが忘れられません。

 

手術から一年が経ち、すっかりお元気な生活や仕事を取り戻された患者さんから以下のお手紙が来ました。

淡々とした筆致のなかに、あの時の患者さんの決意と頑張りを私は感じました。

 

****************************

拝啓

米田正始先生

昨年5月**日、右室流出路狭窄解除術及び、心室中隔欠損パッチ閉鎖手術を受けました**市の**です。

その節は先生はじめ皆様に大変お世話になり有難うございました。お陰さまで順調に回復し、新年を迎えることが出来ました。

手術前には長い坂道や階段を登る時など息切れがし、心臓に大きな負担がかかっていましたが今では見違えるほど楽に体が動かせるようになりました。仕事も術後3ヶ月弱で復帰することができました。日々健康の有難さを感じております。

思い起こせば、地元の病院(**病院)での検査で右室二腔症・心室中隔欠損症(VSD)の診断を受け、このままだと心臓の負担が大きく心不全等をおこす可能性があり、なるべく早い手術を勧められ、米田先生を紹介していただきました。

心臓外科手術ということで様々なリスクが思い巡り、地獄に突き落とされた思いでした。

しかし、名古屋ハートセンターのホームページ・米田先生のブログを拝見し、また手術説明を丁寧に解りやすく話していただいたお陰で、不安な気持ちもなくなり安心して手術を受けることができました。入院生活もスタッフの心遣いで快適に過ごすことが出来ました。

ご多忙のなか健康には十分留意してください。次回5月の診察にお会いできるのを楽しみにしています。(後略)

敬具

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お便り38 僧帽弁の再々手術で元気になられた患者さん

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心臓手術とくに心臓弁膜症では何十年という長い間に再手術(二度目のオペ)、

再々手術(三度目のオペ)

あるいはそれ以上の手術が必要になることがあります。

別の弁が悪くなったり、もとの弁が永い間に疲れ壊れるとか、

人工弁が壊れたりパンヌスと呼ばれる自己組織が障害になったりとか、

冠動脈や大動脈に新たな病気が発生したりとか、さまざまなタイプがあります。

 

P1120251b そこで患者さんを長年月にわたって守るために

複数回の手術が必須なことは少なからずあります。

そうした際の問題点

心臓と周囲の組織との癒着が高度になることや、

永い病気のために

心臓や肺あるいは腎臓肝臓などの内蔵や全身が衰弱していることがある点です。

 

そのため再手術、再々手術と、オペ回数が増すにつれてその難易度もリスクも上がります。

最近は医療安全が叫ばれ、

リスクの高い再手術や再々手術を断る病院が増えたのはこうした理由からです。

 

救命努力を十分せずに患者さんをを断る病院が増えました
しかし再手術が患者さんの生きる唯一の道である場合、

それを拒否するというのは、その病院にとっては「安全で安心」な保身策となるでしょうが、

患者さんにとっては地獄に突き落とされるのも同然の状態となってしまいます。

 

そのため私たちは私たちなりに平素から努力し、

技術やノウハウの向上を常に図って、

やらねばならない心臓手術は引き受けるようにして来ました。

患者さんを高い確率で助けることができると読めば、正面から取り組んでいます。

かつてこの姿勢が、ある国立大学病院では不評で、

お助けした多数の重症患者さんのことはさておいて、

たまたま出血傾向が強くて再開胸止血(その後はお元気に)などがあった一部の患者さんだけをとりあげて批判されたこともありました。

しかし私たちがやらなければ患者さんはどうなるのですかという気概で努力を重ねてきました。

 

これまでの患者さんからのお便りの中にもそうした事例が含まれています。

たとえば お便り5お便り16お便り26お便り37などです。

心臓弁膜症冠動脈疾患大動脈疾患などさまざまな病気がありましたが心臓手術によってのみ生還あるいは安全確保ができた方々です。

今回、また新たな患者さんの再々手術をお引き受けし、

首尾よく成功し退院の時を迎えられました。

 

Ilm08_cf05012-s以下のお便りはその患者さんの娘さんからのメールです。

ご迷惑にならないよう、個人情報や病院名は伏せて載せることにします。

3度目のオペで、心臓と周囲組織との癒着は高度でしたが

とくに出血も心不全もなく、

僧帽弁三尖弁を再手術にて治して患者さんはその翌日から歩けるほどお元気になられました。

溶血も解消し、貧血の進行も止まりました。

これから元気な生活を楽しんでいただければと思います。

 

 ******最初にいただいたメールです。HPのお問い合わせフォームのため簡略型になっていますが、いのちの危機が迫っているという緊迫感がひしひしと伝わってくる内容でした********

 

71歳の母親の事です。

**病院で32年前に僧帽弁形成術を、

20年前に僧帽弁置換術を受け、

5ヶ月ほど前から溶血になり

現在1ヶ月に1度輸血をしています。

ここ1、2ヶ月腎臓機能が低下しつつあり、顔に黄疸が出始めています。

**病院では、輸血しか治療がないと言われているのですが、

そちらの病院で弁の再々手術を拝見しました。

私の母にも手術という選択肢はあるのでしょうか?

 

*********手術のあと、退院間近にいただいたメールです*************

お便り38実物 米田先生

この度は難しい手術をご快諾いただき、母を助けてくださいまして本当にありがとうございました。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

家の事情で埼玉に急遽帰ることとなってしまい、 

命の恩人の米田先生にしっかりとご挨拶が出来なかったこと平にご容赦ください。

私が知っている限りでは、

2007年・2008年の頃に大腸検査のために2度わたり入退院を繰り返した頃から、

心臓の周囲逆流が酷くなり、溶血が進み、

2010年11月頃から腎臓、肝臓、肺の機能が低下しつつあったのか、

足が象のようにむくみ、顔に黄疸症状があらわれ、

家の中を歩くこともままならない程になっていました。

 

母親も、何度か**病院に手術を打診したのですが、そちらの回答は、リスクが高すぎるのでどうする事も出来ないと、本人、家族一同、もう手術をして助かるという選択肢はないものとずっと諦めておりました。

山梨から東京の**病院へ2時間かけて行き、

月に1度の輸血を行うだけという、治る見込みのない延命治療を1年以上続けて、

日ごと死期がせまっているのではないかと不安を抱えながら生活を続けていた母親の事を思うと、

自分の無力さを感じておりました。

 

いてもたってもいられず、なんとかしてあげたいという思いから

「母親のような症状を持った人が助かったとういう事はないのか?」と、インターネットを検索し、

やっとのことで米田先生のHPにあります『僧帽弁の再々手術』にたどり着き、

施術される先生がいらっしゃるという事を知ったときは

うれしさのあまり思わず叫んでしまうほどでした。

 

そして、HPから先生へ問い合わせが出来ることを知り、

藁にもすがる思いでお願いしたところ、

先生から早速お返事をいただき、

更に数回に亘って親身なアドバイスをくださり涙が出てまいりました。

 

早速、両親と家族へそのことを報告し、家族の総意で先生にお任せすることといたしました。

先日の土曜日に、5階に入院されている患者さんのご家族の方とたまたまお話しをする機会があり、

先生が名医であられる事

世間で言われているスーパードクターである事を、知りました。

 

そのような先生が、会ったこともない患者に対しても救いの手を伸べてくださることに、ただただ感謝いたしております。

 先生やスタッフの方々のお力で、母も命をいただきました。 

世の中には、母のような症状で苦しんでいる方も多くいるのではないかと思います。

母が元気になることと、

こんなすばらしい先生がいらっしゃることを一人でも多くの方にお伝えすることが

私どもの恩返しだと思っております。

 

 
先生がこれからもご活躍されることを心よりお祈り申し上げ

私どものような家族の救世主でいてくださること願っております。

 米田先生本当にありがとうございました。

 

*********** 上記のお便りをホームページに掲載する許可をお願いしたところ、以下のお返事を戴きました。皆さんよく頑張って下さったと私も感謝しています **********

米田先生さま

勿論です。

暗い闇の中にいたであろう母親に、

光の道を与えてくださった先生の事を、

母親と同じような病気で苦しんでいる方、またご家族の方のお力になれる事が少しでもあるならば、

どうか私からもお願いしたく思います。

お忙しいのに、お返事いただいてありがとうございます。

本当に母親、家族一同、先生には何度申し上げても足りないくらい感謝しております。

米田先生、本当にありがとうございました。

***************************

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り37 二尖弁がらみの2度の大きな手術を乗り越えた患者さんから

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大動脈弁は通常3尖つまり Bicuspic AVひらひら動く部分が3つあるのですが、

それがときに2つしかないことがあります。

これを二尖弁と呼びます。

二尖弁は必ずしも病気ではありません。

一生弁膜症にならずに過ごされる方も多数おられます。

しかし二尖弁には構造上壊れやすいという弱点があり、弁膜症手術を受けるかたも少なくありません。

 

  近年はこの二尖弁は上行大動脈や主肺動脈の壁にも構造的弱点がある、

動脈疾患であることが遺伝子学的に解明されました。

そこで、マルファン症候群等と同様の結合組織疾患とし34

フォローし安全の確保につとめる方針が一般化しつつあります。

 

下記の60代女性患者さんも二尖弁大動脈弁狭窄症上行大動脈瘤のため9年前、

当時私がいた京大病院大動脈弁置換術と上行大動脈置換術を行いました。

その当時は二尖弁にはまだ大動脈疾患という考え方はありませんでしたが、

私たちは安全のため、大動脈弁二尖弁の置換だけでなく、

拡張した上行大動脈を人工血管に取り換えるようにしていました。

すぐ元気になられ、その後健康な生活  を楽しんでおられました。

2007年ごろの京大病院のごたごた の際にも署名を集め支援をして下さいました。

その後も患者さんの会などでよくお会いしていましたが、

弓部大動脈瘤大動脈基部拡張が発生し、ハートセンターまで来られました。

 

弓部大動脈全置換術大動脈基部再建それも再手術とは大きな手術でしたが、

順調に回復されまもなく軽快退院されました。

 

以下はその患者さんからのお礼のお手紙です。

Person_0116二尖弁などの心臓手術を迷っておられる患者さんのお役にたてるようにと、詳しく書いて下さいました。

しかも、心がつたわりやすいようにと実名で。

 

患者さんと一体感を長年持てるのは医師としてこの上ない喜びです。

ありがとうございます。

 

***********患者さんからのお便り********

 

2002年3月、私は京都大学医学部心臓血管外科の米田正始教授に弁置換、人工血管の手術をして頂きました。

生れつき、心室中隔欠損症、心臓弁膜症の私は、手術後、呼吸が清々しく楽になり、肌の色が、みるみる白く赤みを増していくのを実感しました。

私にとって、不思議な事に、諸々の臓器、網の目のように広がる血管、リンパ管、神経等が、何ら損傷する事なく私は、元気に、生れ変わりました。

 

私は、三人の子供の結婚と、7人の孫達の誕生の世話、老いた母の看護、

母が岐阜市の老人保健施設喜びの里に入所した後の見舞い、

母が亡くなる前の1ヶ月間、母と笠松病院の病室で、起居を共にする事等が出来ました。


そして、私は、念願の絵画の作成に没頭し、

日本アンデパンダン展日本美術会の会員、日本水彩展、講談社フェーマス・スクール、アート・コンテストに入選し、

アメリカ、ニューヨーク市のオープンハウス・ギャラリーで、ジャパニーズ・アートポスター展にも出品する事が出来ました。

これも、すべて、米田正始先生が、多くの先生方達、スタッフの方達と完璧な心臓手術で、

私を健康にして下さったお蔭と思っています。


2度目の手術について、

私は、2010年11月13日、母の葬式を終えて、11月19日、

京都大学附属病院で、超音波検査を受けた結果、弓部大動脈瘤が見つかりました。

映像で、大動脈瘤の両側に、粥状の血の溜りを示して下さった時、

私は、いつも関西弁で検査結果を、丁寧に説明して下さり、患者の思いを聞いて下さる先生に、

「あー、かなんなー」と何度も、口にしました。

「私は、米田先生のところへ行きます」と言うと、先生は、すぐに、

CT検査をして、第1回目の手術の記録を渡して下さいました。

 

名古屋ハートセンターに連絡すると、

米田正始副院長は、第1回目の手術の時と同じように、すぐに診察して下さいました。

先生の優しい解り易い丁寧な説明を聞いていると、

手術の不安が消え、先生の励ましに、心が勇気づけられ安心しました。

12月2日に入院し、6日に手術をして下さる事になりました。

血栓がある6㎝の弓部大動脈瘤を抱えながら、

2~3ヶ月間、手術日を待たなければならなかったら、

その間、実に、辛い不安な生活だったと思います。

CT検査の結果、私は6㎝の弓部大動脈瘤と、その他にも二つありました。

2度目の手術は、前回の手術よりも、リスクが大きいでしたが、

米田正始先生の御執刀と、先生達、多くのスタッフの方達のお蔭で、

前回よりも短く5時間で終了しました。

生きるか、死ぬかというはざまで苦悩する心臓病患者にとって、

すぐに診察して頂き、手術日が早く決まり、

思いやりのある温かい説明、そして、

世界最高水準の心臓病治療をして頂ける事が出来るのは、

この上もなくありがたい事です。



ハートセンターの病室は、心穏やかな色調でまとめられ、

障子とカーテンで区切られたベッド、

心安らかに流れるクラシック音楽、

患者に合わせた減塩食、

毎日、隅々まで清掃して下さるスタッフの方達、

温かい言葉をかけて適切な処置をして下さる看護師さん達と検査技師の方達、

常に、患者の身体の状態を尋ね診察して下さる先生達、

ハートセンターは、何もかも患者の心と身体を配慮しての病院でした。

 

私は、2度、米田正始先生の御執刀で、生命を救って頂きました。

そして、私に、健康な身体と活力を与えて下さり、この上もない感謝の思いで一杯です。

退院後、友人のインターネットで、米田正始先生のホームページを拝読させて頂きました。

その中で、「大動脈疾患について」を検索したところ私の病状である弓部大動脈瘤について、

ある方の手術の経過の写真とその詳しい説明が記載されていました。

 

私が、麻酔で、意識を失っている5時間の間に、

米田先生、先生方達、スタッフの方達は、私には、不思議な事としか思えない高度な医療技術-ステップワイズアーチファースト法、選択的脳灌流等で、

手術をして頂いているのが分かりました。

 

先生のホームページには、医療に関する事柄、諸々の事柄が記載され、

患者達の生命を1人でも多く、救いたいという先生の熱い思いや、

生命への愛にあふれ満ちていると思いました。

ありがとうございます。

 

2011年2月  山田瑞恵


*******************

初回手術から12年半、2回目からでも4年以上の月日が経ちました。

患者さんの会でお会いし、お元気な様子は存じていましたが、お葉書を頂きました。

こころを打つ、うれしいお便りでした。

心臓血管外科医になってよかったと想うひと時です。

お孫さんたちと楽しくお過ごしください。またお会いしましょう。

*******お便り その2******


IMG_0545b残暑お見舞い申し上げます。

先生、ご健勝のことと存じ上げます。

私は、おかげ様で日常生活を元気に過ごし好きな絵画を描き、いくつもの発表の機会に出品しています。

このお盆には、2回目の手術の後に生まれた8番目の孫が加わり、

3家族が集まり賑やかなお盆を迎えました。

これもあれもすべて先生のおかげと感謝しています。

大勢の患者達の生命を救い、そしてその後も多大のご配慮を頂き、誠に感謝しています。

先生のご健勝とご多幸を日々心よりお祈り申し上げています。

 

 

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執筆:米田 正始
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お便り36 遠方から来院して下さった大動脈弁狭窄症の患者さん

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大動脈弁狭窄症は心臓弁膜症の中でも一番多い病気のひとつで、

その治療もほとんどの場合は人工弁による弁置換術となります。

この手術は心臓手術の中ではシンプルなタイプに属しますが、

大動脈弁狭窄症そのものが油断すれば突然死などを起こす病気ですし、

心臓をいったん止めて中に入って弁を治す方法ですので、

いくら成績が良くなっても油断はできません。

 

患者さんは70代の男性でかなり遠方の山間部から来院され Il004_momiji ました。

心臓弁膜症をしっかりと勉強された上で、私たちのところへ時間をかけて来て下さったことを光栄に思います。

そうした気持ちで、初めてお会いしたときから信頼関係ができていたおかげもあってか、

オペも経過もスムースで順調でした。

 

この大動脈弁狭窄症という病気は高度になりますと手術なしでは死亡することが多いことと、

心臓手術の安全性が高く、術後の心臓の回復が良いことから、

高齢者でも積極的にそれが勧められています。

私どもでは名古屋ハートセンター開院2年間の中でも80代は普通で、

最高91歳の患者さんまで、皆さんお元気に退院しておられます。

しかしそれでも心臓の手術を決意するということは大変なことです。

だからこそ普通以上に信頼関係が大切なわけです。

ご高齢になればなるほど、また他の病気をお持ちであればあるほど、

高いチーム力が威力を発揮します。

 

以下はその患者さんからのお便りです。お役に立てて本当にうれしく思いました。

 

****** 患者さんからのお便り *****

米田先生

お蔭様で今年も紅葉を愛でることができました。

大動脈弁狭窄症で先生の執刀で
9月末に生体弁交換手術をして頂いてから2ヶ月経過、

車の運転、軽い運動も良いとのことで京都に紅葉刈りに出かけて参りました。



京都の紅葉もシーズンの後半、そろそろ散り始めているところもありましたが、爽やかな秋風にその枝を靡かせながら、艷やかな彩りを見せて歓迎してくれました。

紅葉は勿論、京都は何度も訪れていますが、今年の紅葉は小生にとっては又格別の想いが致しました。

今年は無理かな・・と半分諦めた時期もありました。

  お便り36写真 しかし永観堂を起点に光明寺、真妙寺、哲学の道を経由、

法然院を見学、銀閣寺まで休み休みでしたが約19,000歩強を歩き、

その間膝はガクガクでしたが坂道でも殆ど息切れもなく、

“心臓の快調な若返り”を体で実感し、

健康、そして命の大切さ噛みしめながら、快適な一日を過ごすことができました。
(写真は青蓮院門跡にて11月29日)



思い起こせば、75歳になる今日まで、大きな病気をしたこともなく健康には自信があったのですが、

自覚症状もないのに、偶々他の検査で見つかった大動脈弁狭窄症の診断には目の前が真っ暗になりました。

高校同窓の外科医に意見をもとめたら、「自分たちがインターンのころは人工心肺の装置もなく、

心臓手術では専ら、氷等で身体を冷やして手術を行い危険率が可なり高かったが、

今は医療技術をすすんでいるので安心してよい。

ただ多くの手術実績があり手術成績のよい医師にお願いすることが重要だ」‥と言われました。



なにしろ胸を開いて、何時間も心臓を止め、心臓そのものを開いて弁を切断、交換するという大手術です、

安全率は高いといわれても少なからず最悪のケースの“死”が何時も頭をよぎります。

出来れば心臓手術などは避けたいと思いましたが、この病は決してよくなることはない、

体力の残っているうちにするのが良いことがわかりました。



また色々と調べるうちに米田先生のプログを拝見、

心エコー神戸の記事や先生が中心で纏められた「弁膜疾患の‥ガイドライン2007年」も拝見して、ぜひ先生に診て頂きたいと思いました。

ハートセンターを訪ねたのが8月31日、

印象として病院とは思えない明るく清潔な雰囲気、

そして受付や顔を合わすスタッフの皆さんの笑みを込めた会釈に接し、

正直気持ちが落ち着きました。

 

そして待たされることなく次々と検査を終え、

米田先生から、手術等について、ゆっくり時間をかけ親切丁寧にご説明を頂いた時には全ての不安がなくなり、

迷わずに全てを先生にお願いすることを決心して、

すぐに手続きをお願いいたしました。

そして手術~退院までは予めお聞きしていた通りの時間経過で全てが順調に運び今日まで経過し、

手術前に悩み苦しんだことがまるで夢のような気がする今日この頃です。

 

これも全て米田先生を始め訓練された素晴らしいスタッフの皆様のお影だと心から感謝いたしております。

本当にありがとうございました。



退院後は近所の**先生にフォロウーして頂いて居ますが、

「このような詳細な検査データー、経過資料を頂けて助かる、このようなことは今まで経験はないが、さすが米田先生ですね・・」とコメントされて安心して通院しています。

今月の24日には退院後2回目の検診を深谷先生に予約しております。

以上とりあえず、お礼かたがた近況ご報告までにて失礼いたします。

平成22年12月3日

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執筆:米田 正始
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元・京都大学医学部教授
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お便り35 エホバ証人の大動脈弁狭窄症の患者さん

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Ilm10_de02005-s 大動脈弁狭窄症(弁が狭くなり心臓に無理がかかります)は重症になれば突然死の恐れがでる病気ですが、

いったん手術つまり大動脈弁置換術を乗り切れば予後の良い病気でもあります。

近年は心臓外科の技術進歩やノウハウの蓄積で経験豊かなチームなら手術死亡率は1%前後まで下がって来ています。

 

しかしエホバの証人の患者さんの場合は輸血を拒否されますので、手術死亡率が跳ね上がります。

だからと言って輸血拒否は宗教上の信念にもとづくものであるため、可能な限り尊重すべきものと私たちは考えています。

 

以下は最近大動脈弁狭窄症に対して大動脈弁置換術を受けられたエホバの患者さんからのお便りです。

 

当科へ初めて来られたときはかなりの貧血があり、このままでは無輸血手術できない可能性があるため、しばし時間をかけてさまざまな対策を立てて貧血を治しました。

その上で大動脈弁狭窄症への手術を行い、ゆうゆうと乗り切って元気に退院されました。

以下はその患者さんからのお便りです。

 

*****************************

米田正始先生
お元気でいらっしゃいますか? お便り35実物

きっと精力的に、かつ暖かくスケジュールをこなしていらっしゃる事とおもいます。

 
お便りするのが遅くなり本当に申し訳ありません。
受診、入院、手術と9月6日から始まって11月5日まで名古屋ハートセンターでは本当にお世話になりました。

米田先生はまさかと思ってお送りした私のメールにも、すぐにお返事を下さり大きな手術にも心を整えてくださいました。

 

今までの自分の介護経験のなかで患者側は「病気と闘うという事は医療スタッフとの闘いでもある」という実感を私は少なからず持っていましたが、 

米田先生にお会いして、その重苦しさは一変し自分自身とても暖かなものを感じ安堵感を覚えました。

しっかりしたご説明、先生の自信、熱意にふれ本当に救われた思いでした。

 

貧血症でありながら無輸血でお願いしたいという私の希望も最大限尊重して下さり本当に嬉しかったです。

入院中は傷の痛みを除けば本当に楽しかったです。

北村先生、深谷先生、小山先生もとても細やかに気を使って下さって明るい気持ちにさせて下さいました。 

体の患部だけでなく人として接して下さってる様子に多くの方が元気を頂いてるようでした。

 

看護師の方達や他のスタッフの方々も良い病院にしようという気持ちが伝わってきました。
本当に有難うございました。
退院してからは2日程不整脈が出ましたが、近くの医院で薬を貰い今はすっかり落ち着いています。

先生がこの点でも患者が困らないように配慮してくださっていた事、本当に有難うございました。
新しくなった心臓を本当に大切に扱って(?)良い人生をこれから歩んで生きたいなと思っております。

先生のwebヘ゜ーシ゛勝手に私の応援歌のように思いいつも楽しみにしています。

米田先生、どうかいつまでもお元気でいてくださいね。次は12月3日が受診日です。
心からの感謝を込めて。

 

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