冠動脈の治療、日本の新しいガイドライン

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狭心症や心筋梗塞に代表される虚血性心疾患の治療の中で冠動脈の治療はその中心を占めます。

医学の歴史のなかではお薬などの内科的治療(保存的治療とも言います)から始まり、外科的治療つまり心臓手術でしっかり治せるようになり、さらにまた内科的治療(こんどはお薬だけでなくカテーテルとか内視鏡その他も含めて)が皮膚を切らずに治せる、患者さんに優しい治療として進歩する、という変遷をたどることが多くありました。

冠動脈治療も同様に、お薬の治療から1960年代に冠動脈バイパス手術が始まり、効果があるため世界中に広がって行きました。1980年代にカテーテル治療が発達し、1990年代にはステントが広がって次第に外科治療に代わる代表的治療法となって行きました。

2000年代にはいって薬剤溶出ステント(略称DES)という抗がん剤などをコーティングしたステントができ、再狭窄が少ないためこれまでのステント(ベアメタルあるいはBMSと呼ばれます)に代わって増えて行きました。

当時はこれでバイパス手術が次第に消えて、ステントに代表されるカテーテル治療(PCI)で冠動脈治療のほとんどは行われるのではと予想されたものです。

ところがこの素晴らしいDESにも弱点があることが判明し、雲行きはまたあやしくなりました。DESを入れた冠動脈は、プラビックスなどの強いお薬(抗血小板剤)を複数使わないと心筋梗塞を起こして患者さんが突然死することが以前から知られてはいましたが、いつまでたってもなかなかそのお薬が切れないのです。

さらにそれまでのBMSと呼ばれるステントは患者さんの生命予後を改善する傾向がありましたが、DESではその効果がないのです。

その一方、冠動脈バイパス手術(略称CABG)は皮膚や骨(胸骨)を切るという、野蛮な一面はあるものの、手術のあとの安定度が良く、患者さんの生命予後を改善するつまり長生きできることが次第に明らかになりました。

冠動脈バイパス手術(CABG)は当初は大伏在静脈が中心でしたが、1980年代から内胸動脈(略称ITA)を使用するようになり、成績が改善しました。1990年代からは左右2本の内胸動脈を使用する施設も増え、1本使用より優れた成績が次第に明らかとなりました。さらに1990年代から体外循環を使わない、オフポンプバイパスという方法が汎用されるに連れて、脳梗塞や出血などがさらに減るようになりました。

こうしたカテーテル治療と冠動脈バイパス手術の進歩を受けて、欧米で2000年代後半に行われた大規模臨床試験がシンタックス研究(Syntax Trial)です。

この臨床研究にはもともと外科のバイパス手術の対象となっていた重症例たとえば3枝病変や左冠動脈主管部病変などが主であるため、外科の特長がよく見えるのではないかという期待がありました。たぶん5年から10年の間に大きな差がでるのではと思っていた医師も多かったと思います。

ところが、治療後わずか3年で重症例では生存率の差がはっきりと出て、冠動脈バイパス手術の良さが見直されることになりました。

それを受けて2年前のESC(ヨーロッパ心臓学会)、EACTS(ヨーロッパ心臓胸部外科学会)のガイドラインが改訂され、重症の冠動脈病変の大半で冠動脈バイパス手術をクラスIつまり強くお勧めという位置づけになりました。

日本でも上記のシンタックストライアルの結果や、国産データベースであるKredo Kyotoあるいは多数の臨床検討をもとに新しい冠動脈治療のガイドラインが発表されました(Medical Tribune誌などで)。

日循ガイドライン2012これを見ますと、重症冠動脈疾患の多くは外科手術が勧められ、カテーテルによる治療は主に軽症の疾患に良いという方向性が明らかになりました。

左図でIAとあるのは本格的・科学的なデータにもとづいて、しっかりお勧めできる治療法という意味です。IIaはお勧めできる可能性が高い、IIbはお勧めできるかも知れないレベルとお考えください。IIIはやってはいけないレベルです。

このガイドラインでは、すでに欧米では常識になっているハートチームという考え方も導入されました。

つまり内科、外科その他関係の領域のチーム全体で治療方針を熟考し決定することが日本では初めて求められたのです。

またステートメントとして、DESが患者の生命予後や心筋梗塞発症率を改善するというエビデンスがないことも明記されました。

同時に冠動脈バイパス手術が生命予後や心筋梗塞発症率を改善する、つまりそれだけ長生きできることも明記されたのです。

 

かつては冠動脈の領域ではガイドラインを無視する医師も少なくなく、カテーテル治療ができるなら何でもカテーテル治療すれば良いとする空気が日本ではありました。

Illust215bしかし最近の流れは、医療の客観化・公正化や安全管理の徹底、あるいはEBM(証拠にもとづく医学・医療)が年々定着し、医師が独断で治療法を決めるという昔の風習が廃れる方向にあります。これは若い医師の間でとくに顕著です。

どんな治療でも、それができるからやる、というのではなく、それが患者さんにとってベストだからやる、それも科学的データに基づくものだからやる、これが現代の医療の正しいあり方です。

その意味で冠動脈治療の新しいガイドラインは大きな影響力をもつものと考えられています。

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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ハートチーム【2020年最新版】

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最終更新日 2020年3月6日

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◾️ハートチーム

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ハートチームという言葉が急速に市民権を得つつあります。

GuidelineCABGvsPCIなんとなく昔からあるような名前ですが、現在の意味のものは2010年のESC ヨーロッパ心臓学会/EACTS ヨーロッパ心臓胸部外科学会の狭心症治療ガイドラインのころからでしょうか。

右図はそのガイドラインのまとめを示します。緑色のところが強く推薦されている治療法です。

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◾️ハートチームの仕事は

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Ilm09_aj06015-s具体的には、冠動脈狭窄症(虚血性心疾患)の治療の際に、内科と外科が集まって、議論ののち、両者のなっとく行く方針を立てる、その集まりがハートチームです。

ハートチームのOKなしには、これまでのように誰かが独自の判断で自分の好きな治療ができない、という方向性でのチームです。

この考え方は大きなインパクトがありました。

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◾️ハートチーム、日本では

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何しろ日本では、これまで、内科のPCIつまりカテーテルによる冠動脈治療は内科の先生がやりたければ何でもやれるという傾向があったからです。

患者さんは狭心症などがあればまず内科の外来へ来られます。

つまりほぼすべての患者さんを内科の先生は「握って」おられるわけです。

外科の冠動脈バイパス手術も同様かといえば、外科は内科からの紹介のうえで手術しますから、構造的に独走はできないようになっていました。

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◾️ハートチームの背景は

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MACCE3yrsHighハートチームが提唱されるようになった背景にはあのシンタックストライアル(Syntax Trial)で外科の冠動脈バイパス手術が内科のPCIにくらべて、重症例で有意に優れた成績を出していることが明らかになったことが挙げられます。

右図はその結果の一部を示します。冠動脈バイパス手術後は死亡やトラブルが少ないことがわかります。

冠動脈バイパス手術は治療成績が良い、とくに患者さんが長生きできるのに、なぜあまり行われないのか、という議論の中で内科にも適切なチェック機構が必要という考えが出てきたわけです。

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◾️ハートチーム、新たな展開

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ハートチームの効用は、冠動脈狭窄症にとどまらず、他の心臓病たとえば弁膜症でも出てきています。

Tavrなかでも大動脈弁狭窄症などに対するTAVITAVR)という折りたたんだ生体弁をカテーテルで大動脈弁位にもちこんで、そこで拡張し取り付ける方法では、内科と外科の両方の意見が十分にとおるような仕組みを造る方向で検討がなされています。

これも心臓手術の大きな進歩になることでしょう。

 

また大動脈瘤に対するステントグラフト(略称 EVAR)でも内科と外科の両方の意見が入るような仕組みができています。

 

患者さんに良いものを、ベストのものを、というスタート点からハートチームは当然の帰結と思います。

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◾️私たちのハートチーム

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私がかつて勤務していた名古屋ハートセンターでも平成25年4月から構造改革が進ilm20_ae04023-sみ、毎朝内科外科の合同カンファランスでお互いの意思疎通や理解を深める工夫を行っています。毎朝笑顔であいさつし、重症患者さんの治療方針や一般的な課題や問題を自由にディスカッションしています。

ようやく理想の病院づくりが本格化したと感慨深いものがあります。

2016年から仕事を開始した医誠会病院でも同様のハートチームが機能開始し、楽しくかつ効率的にEBMが実践できています。

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◾️困難を克服するハートチーム

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循環器の領域では日本のあちこちで内科と外科が競合し反発する傾向が指摘されています。

これでは患者中心の医療は進歩しません。

わがままな医師を再教育し、治らなければ排除してでも良い医療のしくみを勇気をもって進める時代なのです。

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循環器内科と心臓血管外科は競合的(competitive)ではなく相補的(complimentary)であるというのは欧米の学会でも強調されていることで、当然のことと思います。

今後こうした真のチーム医療がますます進歩してくれることを期待しています。

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執筆:米田 正始
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元・京都大学医学部教授
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心臓外科医の資質

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HP用◎カバー+帯田正始― 外科医の資質

日本の医療界の慣習に異議を唱え、単身海外へ飛び、一流の外科医となった米田。グローバルな視点から、外科医の資質として必要なものはなにか聞いてみた。

「三つあります。一つは、ネバーギブアップの精神です。目の前の患者さんをなんとしても助けようと思って全力を尽くすこと。そのために必要な勉強や技術があれば、どんな努力をしても習得する、という気持ちがなくてはいけません。

もう一つは、手術は一人ではできませんから、技士やナースなど、周りのスタッフをチームとして動かすことができる能力が必要です。そして、最後にバランス感覚です」

心臓手術をしていれば、突発的に予想もしなかったようなハプニングが起こることはよくある。その時に、パニックにならずに落ち着いて対処できるかどうか。ここでバランス感覚が重要となる。

そのためには、どんな状況にも慌てないよう、常にいろんなケースを想定した訓練をする必要があると米田は言う。

「縫うだけなら、ある程度のトレーニングでできるようになりますから、何もイレギュラーなことがなければ、上手に手術できる人はいます。でも、何か大変なことが起きたとたん、めちゃくちゃになってしまうようではいけません。

例えば、突然心臓が止まってしまった。どんな原因が考えられ、どう対処したらいいかなど、日頃から様々なシュミレーションをしておく必要があります。ですが、そのシュミレーション自体も場数を踏まなくては、どうやったらいいのかがわかりません。

だからこそ、数が大事なのです。自分が執刀しなくても、何千、何万という手術を真剣に見て、ディスカッションする。すると、中に数十例、数百例ぐらい、とんでもないことが現実に起こります。

その時の対処法を頭の中に入れておくことです。そうすれば、大変な事態が起こっても慌てることなどないはずです」

国内だけでなく海外でも豊富な経験を持つ、米田ならではの重みのある言葉だ。だが、それだけの症例を行っても、毎回必ず前向きの反省が生まれるという。

「今日は何も得るものがなかった、なんていうことはまずないです。若い先生なら、なおさら一例一例が勉強になります。他の先生の手技をできるだけ多く見て、いろんなシュミレーションをしながら、バランス感覚を磨くことです。『熟練度』が非常に大切なのです」
「手術は日常の中にある」という大川も同様の発言をしている。

「結果はよくて当たり前ですが、本当に満足のいく、完璧な手術ができたと思えるのは年にいくつあるかという感じですね」

どんなに経験を重ねても、またどんな立場になろうとも、一つ一つの手術から新たな学びを得て、さらに自分自身を成長させていく。この姿勢こそ、一流オペレーターに欠くべからざる資質なのではないだろうか。

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
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元・京都大学医学部教授
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断らない、待たせない、温かい

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HP用◎カバー+帯米田正始― 断らない、待たせない、温かい

二〇〇八年一〇月、名古屋に新たなハートセンターが立ちあがると、米田は副院長(心臓血管外科部長)に就任。スーパーバイザーという特別な立場ではなく、どっしりと腰を据えて、患者と向き合うこととなった。

彼に絶大な信頼を寄せる京都時代の患者たちにとっても、身体に何か大きな異変があった時、名古屋であれば行けない距離ではない。彼らも正式な「米田の手術再開」を心から喜んだであろう。

同院は、「患者様第一」という鈴木の理念を受け、
「患者様サイドに立った医療の実践」
「やさしいまごころのある医療の実現」
をスローガンに掲げている。

「『断らない、待たせない、温かい』が当院のモットーです。当たり前のことなのですが、現実には多くの病院でこれができていません」と米田は言う。

リスクマネジメントとして、複数の病気を抱えているような重症患者を断る大病院もあるという。助かる見込みが薄いのなら、最初から受け入れなければ、労力をかけなくてもすむし、その病院としての死亡率も上がらなくていいだろうというわけである。さらに付け加えると、手術の失敗などによる訴訟の心配もない。

だが、ハートセンターではそうした重症患者でも、二四時間体制で、断ることなく受け入れる。そして、その困難な病状に、医師、スタッフ、患者が一丸となって全力で立ち向かっていく。これが、米田の目指す「断らない」医療である。

リスクは高いが、積み上げてきた経験と実績もある。最大限の努力で可能な限り危険度を低くすることはできる。そのために、患者との信頼関係を築くことも欠かさない。

「どんな患者さんに対しても、インフォームドコンセントとして、データベースに基づいたリスクの説明を必ずします。手術をした場合としなかった場合の比較、ほかの医療施設との比較。この二本を軸に、手術する箇所以外にこれといった病気をもってない患者さんとの比較などです。また手術前は、心ゆくまで質問していただけるように、外来とは別に時間をとって無制限一本勝負でやります」

透析を受けていたり、糖尿病を患っていたりすれば、手術を受ける際の危険度は何倍にも増す。そのことを、本人(およびその家族)にしっかりと理解し、納得してもらった上で治療を行う。これは「温かい」医療にもつながってくる。

「待たせない」医療については、みなさんにも経験があるだろう。調子が優れないから病院へ行ったのに、一週間後にエコー検査、三週間後にCT検査、診断の結果は五週間後に外来で、というようなケースだ。

大学病院などの大きな施設では、複数の科との調整が必要なため仕方ないのかもしれないが、何度も行き来するのは実に不便だし、かなり先まで自分の病気が何なのかわからないということが何よりも不安だ。

その点、ハートセンターなら前もって相談しておけば、検査から医師による結果の説明まで、すべて一日で可能だ。患者にとっても、一カ月以上も待たされるより、その日に分かった方がいいに決まっている。

米田が京大ではできなかった、患者の側に立った三つの医療。名古屋ハートセンターで実践中だ。

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医師の一分

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  HP用◎カバー+帯米田正始― 医師の一分

米田をトップから外した京都大学病院の心臓血管外科は、OBの医師を呼び寄せ、四月一六日からなんとか手術を再開したものの、八月までの実績がたったの四件というお粗末な結果だった。患者たちは、「米田の手術再開」を待ち望んでいるのだ。

泥沼の様相を呈するかにみえた京都大学とのいざこざも、八月二四日、急遽解決をみることとなる。

「米田がいったん診療科長に復職した後で退職し、その後も病院の外部調査委員会による心臓血管外科の調査、検証に協力する」といった内容で和解したのである。

九月一四日、病院側に大学での手術実績を十分に認めさせた上で、診療科長に返り咲くと、翌日、辞任。母校を離れることにはなったが、結果として、心臓外科医としての面目を保つことになった。

米田は、この訴訟は「医師の一分」であったと、和解前に行われた『新潮四五』(二〇〇七年一〇月号「『神の手』心臓外科医辞任へ どこへ行く京大病院」)の石岡荘十によるインタビューの中で答えている。

「黙って辞めたら『あいつ手術成績が悪いから辞めたに違いない』と言われますから、訴訟で自分の筋を通したいのです。『武士の一分』というか、『医師の一分』みたいなものです」

世界が認めた外科医としての並々ならぬプライドが垣間見える。そして、同インタビューは以下の言葉で締めくくられる。

「九年間、京大病院を世界に誇れる高度で理想的な病院にしようと頑張ってきましたが、ダメでした。でも、努力を続けます。今度は京大の外に出て、患者を救うことに集中します。(中略)京大スピリットを忘れずに、二つの民間の心臓病専門病院を拠点に京大ではできなかった仕事をしていこうと思っています」

海外で当たり前のようにやってきたことが、一般に日本で最も信頼できる医療機関と思われている大学病院では、さまざまな構造的要因もあり、通用しなかった。

そこで米田は、「京大ではできなかった仕事」を実現するため、「二つの民間の心臓専門病院」に向かう。

一つが、米田同様に海外で修業を積み、多くの著書や、人気マンガのモデルとしても知られる南淵明弘(現・東京ハートセンター 心臓血管外科センター長)が心臓病センター長を務める大和成和病院。そして、もう一つが豊橋ハートセンターだった。いずれも、二四時間、常時患者を受入れられる体制を整えており、年間三〇〇例近くの心臓手術の実績もあった。

二〇〇七年末、自身にとって理想的な環境を持つこの両病院で、スーパーバイザーとして再スタートを切った米田。神奈川県と愛知県を行き来しながらも、臨床の現場で心臓手術を行える日々が帰ってきたのである。

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母校・京都大学との泥沼のたたかい

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HP用◎カバー+帯米田正始― 母校・京都大学との泥沼のたたかい

帰国した米田を待ち受けていたのは、海外とはおよそかけ離れた、旧態依然とした大学病院のシステムだった。彼を最も驚かせたのは、心臓手術の回数について「枠」があてられていたことだった。週三日、一日一件しか手術室を使えないというのだ。

心臓に限らず、手術を行うには、手術室、看護師、麻酔科、ICU、病棟などのスタッフの協力が不可欠だ。彼らに負担がかかりすぎると、安全管理面にも支障をきたす、との理由から設定されたものだったのだが、大学病院という重症患者が多く集まる医療機関において、果たしてこれが妥当な「枠」なのだろうか。

米田は言う。

「症例数を絞ることが、安全確保につながるとは一概には言えません。それよりも、いくら頑張って仕事をしても報酬は一緒、という国公立病院の制度に問題があると言えます。海外では規程以上の仕事をすれば、それなりの手当ても出るし、評価もされます。努力しても報われないような環境だから、患者さんに対する気持ちより、公務員としての意識の方が強まってしまうのでしょう」

一人でも多くの患者に治療を施したい。またそうすることで、チームとしての「熟練度」と「スキル」がアップし、さらに多くの患者の命が救える。そう考える米田は、「枠」を増やすことに奔走する。各部門に頭を下げ、「枠」外の緊急手術を行ったこともしばしばあった。

だが、彼が扱うオペは難易度が高いこともあり、スタッフの負担や疲労度も大きい。他の科との手術室の調整も、頻度が増えるほど大変になる。病院の「調和を乱す医師」として、次第に浮いた存在となっていった。

手術前の患者に、自身の実績や情報をオープンにして細かく紹介する米田のやり方に対しても、院内からは「自己宣伝が過ぎる」と批判の声が上がったという。

当の患者やその家族からは、「執刀医のことがよくわかって助かる」と好評なのにも関わらず…。

そんな折、一つの事件が起こる。

二〇〇六年三月に京都大学病院で脳死肺移植手術を受けた三〇歳の女性が、手術中に脳障害を起こして意識不明となり、その後も意識が回復することなく、同年一〇月二四日に死亡したのである。

手術は、呼吸器外科を主担当に、心臓血管外科と麻酔科が協力する形で行われたが、病院はサポート役として立ち会っていた米田だけに、突如「手術停止」を宣告したのである。患者の死から二ヶ月後、一二月二六日のことだった。

理由は「安全上の問題」とされたが、EBM(evidence-based medicine:根拠(臨床結果)に基づいた医療)の視点からみても、それまでに彼が行ってきた心臓手術が「危険」なレベルにあるはずがなかった。到底納得することなどできない。

だが病院は、さらに追い打ちをかける。翌年四月より、心臓血管外科長のポストまで米田からはく奪することを決めたのである。

それを知った米田もさすがに黙っていなかった。

三月六日、「不当な降格人事で、手術できなくなる恐れがある」などとして、大学を相手取り地位保全を求める仮処分を京都地裁に申請する。

同日、米田の治療を受けている患者や家族らのグループもこの動きに呼応。二五〇一名の署名(註:その後2万5千に達しました)を添えて、手術の早期再開を求める嘆願書を病院側に提出した。

彼らは、この処分を「医療の安全の問題ではなく、病院側によるいじめのようなものだ」だと訴えた。

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海外修業で築き上げた「神の手」

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「ハートセンターの真骨頂はハードというより、ソフトにあるんです」
開院三年目を迎えた名古屋ハートセンターで副院長(心臓血管外科)を勤める米田正始は、その特徴をこう話す。

それは、彼が前任地である、母校・京都大学医学部の教授職を辞し、ここにたどり着いた一つの答えでもある。

神の手を持つ医師―。

治療が極めて困難な病気を治すことができる名医に対して贈られる称号だ。彼は京都大学病院時代、いくつかの「余命数カ月」の命を救い、そう呼ばれるようになった。
当然ながら、患者の中には熱狂的な支持者も多い。では、そんな「神の手」がなぜ京都を離れなくてはならなかったのか?

「神の手」は一朝一夕に築き上げられるものではない。若い時からオペレーターや助手として関わっていくことがとても大切なのだが、日本の心臓外科の世界ではそれが非常に困難であることは先に述べた通りである。国内で早い段階から「熟練度」を上げていくことなど、先の大川のような例をのぞき、まず無理だ。

では、米田はどうしたか? この閉鎖的な日本を飛び出し、海外で経験を積むことを決心する。卒後六年目にあたる一九八七年、カナダのトロント大学へと渡るのである。

「欧米でも、日本以外のアジア諸国でも、世界の一流の大学病院では、年に六〇〇から一〇〇〇例ぐらいの手術が普通にあるのです。だから、病院側としても、学生に対して『君には今年一〇〇例受け持ってもらうよ、ぼくがちゃんと見ているからしっかりやるんだよ』というような形で、修練のプログラムが組める。こうして五年間なら五年間、その場その場で技術レベルを確認しながらステップアップさせて、修了時には、例えば三〇〇例を執刀できますよ、という保証をつけてあげられるのです」

在任した六年間に九〇〇例を執刀。そればかりでなく、恩師のTirone Davidとともに、心筋梗塞の合併症である心室中隔穿孔(左室と右室を隔てる心室中隔に穴が開く病気)に有効な術式「David‐Komeda法」を考案・発表するなど、多くの成果を残した米田は、その後、米スタンフォード大学へ赴任。ここでは、主に教育と研究に専念する。

一九九六年には、豪メルボルン大学へ移り、主任外科医(助教授)として、わずか一年半の間に三〇〇例の手術に携わった米田は、オーストラリアでも有数の心臓外科医として知られるようになる。

海外に滞在すること十余年。気付けば、執刀一二〇〇例、アシスト等八〇〇〇例超という輝かしい実績を積み上げていた。

当然のことながら、母校の京都大学がこれを見逃すはずはなかった。一九九八年、米田は心臓血管外科の教授として凱旋を果たすことになる。

四二歳の若さで、なおかつ研究畑ではなく、臨床一筋の医師を教授に抜擢することは、当時としては異例中の異例だった。大学はそれほどまでに高く彼を評価したのである。

 

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お便り59: 被災地支援へ!ポートアクセス法の僧帽弁形成術を受けられた患者さん

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東日本大震災やそれに続く福島の原発事故では大変な被害がでて皆ilm22_aa01062-sができる協力をしながらもまだまだ不十分と申し訳なく思っています。

そうした中で、その被災地へ転居し、みずから全身で被災地のために貢献しようと言うかたが、私の知人の中に何人かおられます。

せちがらい世の中で勇気を頂いた、心が温まると言う以上に熱くなることです。

自分自身は被災地へ転居するだけのパワーはなくても、せめてそうした方々の応援はしたいと強く念じています。

以下の患者さんもそのひとりで、被災地福島へ行こう、しかしその前に心臓弁膜症僧帽弁閉鎖不全症)を弁形成で治 Ilm09_ak02020-sしてから、ということで私のいる名古屋ハートセンター心臓血管外科外来へ来られました。

患者さんはエホバの証人の信者さんのため、輸血ができないという制約下での手術でした。

しかし皆で高い志をもって頑張り、患者さんは心臓手術も大成功で、しかもポートアクセス法というミックス手術(低侵襲手術)つまり体に優しい手術ということもあり、すぐ元気に回復され社会復帰されました。

少ない痛み、早い回復と社会復帰がこのポートアクセス法心臓手術の特長ですが、無輸血手術の達成にも一役買っています。Ilm17_da05016-s

以下はその患者さんからのお便りです。

頑張ってげんきになって頂いたことをうれしく思うとともに、これから福島で素晴らしい仲間たちとすばらしい人生を送って頂きたく念じています。

 

**********患者さんからのお便り**********

 

米田先生へ

土曜日に無事退院を迎えるにあたり、先生に感謝の気持ちをお伝えしたく、お手紙を書かせて頂きました。

心臓に疾患があるとわかった当初、私がエホバの証人であり無輸血で手術を受けたいとの希望があった為、当時診て頂いていた病院で「協力的な医療機関を見つけるのは難しいだろう」と言われました。

主人がネットでこちらの病院を探し、失礼を承知で米田先生に直接メールをさせて頂いた所・・・先生は本当に御多忙であるにも関わらず10分もしない内に「是非診察させて下さい」との温かい御返事を下さり、心底ホッとしたのを今でも覚えています。

(実は先生からのリターンが想定外に早過ぎた為、返信にしばらく気づけず、こちらの返事が遅くなった事は、大変失礼致しました。)

 

実際、初めてこちらのセンターに伺い、先生とお会いし、明瞭なデータ分析と説明と力強い言葉の数々を頂き、私は心臓疾患に関して無知であったのに、非常な安心感と自分の身体への明確な理解を得、先生に是非手術をお願いしたいと素直に思えました。

 
入院してからも本当に丁寧なインフォームドコンセントにより、本来は難解であろう医療用語や手術方法が先生の巧みな言葉の分解により、患者側が受け入れ易い情報に変換されて、私自身が受け入れたい製剤や代替案を本当に決定し易く感じ、有り難く思いました。

 

先生は人の命を救う事に心を砕いて、全ての労力を傾けておられる方ですから、私がエホバの証人であり、自分の良心上、受け入れたくなかったFFPに関しての決定をお伝えした時も困惑されと思います。

それでもワガママな患者として邪険に扱うのではなく、信念を持った一個人としての尊厳を尊重しつつ接して下さり、その点は感謝をどれだけお伝えしても、伝えきれません・・・。

 

私のお願いの為に、手術の止血の時にもかなりのお時間を取らせてしまったにも関わらず、その後も変わらず温かい態度と優しい笑顔で接して下さった事は、私とって本当に嬉しい事でした。

 

患者の側が、素晴らしい人柄と高度な医療技術を兼ね備えた医師に出会い、治療を受けられるのは非常に恵まれたケースだと感じます。

私の様にエホバの証人である場合には特にそう言えます。

今回、私は高い技術を持っておられるにも関わらず、患者の目線で温かく対応して下さる米田先生に出会い、治療して頂く事が出来、これからも身も心も平安に過ごせる様にして頂いた事を、心より感謝しています。

きっと今後も私の仲間の者達が先生を頼ってこちらに来させて頂くと思いますが何卒宜しくお願い致します。

 

米田先生・・・本当に毎日御多忙だと存じますが、くれぐれもお身体に気を付けて下さいね。

お世話になりました。

敬愛と心からの感謝を込めて・・・

** **

 

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お便り58: 弁膜症の再手術を乗り越えた血液透析の患者さん

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Ilm09_ag07002-s慢性腎不全・血液透析の患者さんは動脈や心臓の弁が壊れやすいことが知られています。

患者さんは以前に大動脈弁置換術を受けられた80歳近い透析患者さんですが、しだいに僧帽弁も壊れ、狭くなり僧帽弁狭窄症を合併されました。

心不全が悪化し透析もやりづらいという困った状況になりました。

 

ご家族が米田正始のホームページを探し当て、連絡を取ってこられました。

岐阜県の山間部からはるばる来院されました。

担当の先生も、患者さんが生きる最後のチャンスと全面的に支援くださり、大変良いチームワークで入院までの連携作業ができました。

 

Ilm17_da05006-sしかし調べてみますと上行大動脈に石灰化があり、しかも肺機能もかなり悪く、年齢も比較的ご高齢のため、あまり本格的な心臓手術にも難があるという厳しい状況でした。

僧帽弁じたいも血液透析の患者さんによく見られる石灰化が高度な病変で、単純には人工弁を取り付けにくい状態でした。

さまざまな工夫をこらして脳梗塞を予防しつつ、僧帽弁にアプローチし、十分な視野を確保してから、超音波破砕法(CUSA、キューサ)などを駆使して石灰化を十分にとり、人工弁を縫い付けました。

石灰を取り去ったあとの組織が大変弱いため、十分な補強をかけてまとめました。

三尖弁も形成術を行い、良い形になりました。

大変ハイリスクな患者さんでしたが、よく頑張って下さり、順調に回復され、翌日には一般病室で運動を始めるほどでした。

以下はその患者さんのご家族からのお礼状です。

 

**********ご家族からのお便り***********

 

米田先生
 

いつもより遅い春の訪れでしたが、飛騨でも山桜が満開になりました。

今年は名古屋と飛騨高山で二度の桜を楽しみ、喜びひとしおの春を迎えさせていただきました。

お便り58この度は父****の入院、手術に関しましてひとかたならぬお世話になりましてお礼の申し上げようもございません。

先生のホームページにメールをさせていただけた事に大変感謝しております。

 

透析患者で二度目、高齢の父の手術は大変なものになりましたが、本人の意志の強さと希望と共に、先生の丁寧なご説明と的確なご判断とご処置のおかげで一命をとどめることができました。

こちらの**病院にて今迄の様に透析治療の為に通院しておりますが、病院のスタッフの方も回復ぶりに驚かれております。

さほど傷の痛みもなく、これからも生かしていただいた命を大切にしてもらいたいと、私達家族も出来る限り協力していくつもりです。

入院中も、廊下でよく声をかけていただき、付添いの母のことも励まして下さって、ありがとうございました。

 

今後も何かの際にはご指導をお願い致します。

お忙しい毎日のことと思われますが、お身体にお気をつけ下さい。

北村先生、深谷先生、佐藤先生、病棟の看護師の皆様にも大変お世話になりました。よろしくお伝え下さい。

書中にて失礼でございますがお礼の言葉とさせていただきます。
かしこ

岐阜県**市**町
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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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大動脈弁輪拡大術(大動脈基部拡大術)とは【2025年最新版】

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最終更新日 2025年9月17日

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◆大動脈弁輪拡大術(基部拡大術)が必要になるとき

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大動脈弁狭窄症 などで 大動脈弁置換術(AVR) を行う際、弁の付け根(弁輪)が小さすぎて人工弁が入らない場合があります。
これを「狭小弁輪(small annulus)」と呼びます。

  • 人工弁が十分なサイズで入らない → 狭窄が残る

  • 最小サイズの人工弁すら入らない → 命に関わる

このような場合に、弁輪を拡大して適切なサイズの人工弁を入れる手術が 大動脈弁輪拡大術(大動脈基部拡大術) です。

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◆代表的な大動脈弁輪拡大術の手法

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1. ニック法(Nick法):もっとも基本的な方法 図 ニックス法

  • 左冠尖と無冠尖の間を切り込み、弁輪を拡大

  • 切り込み部分を 心膜パッチ で補填

  • 比較的シンプルな手技で、人工弁を1サイズ大きくできる

※ただしパッチ縫合部の止血を完全に行う必要があります。

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2. マノージャン法(Manougian法):さらに拡大したいとき 図 マノージャン法

  • ニック法より深く、僧帽弁前尖まで切り込む

  • 左房の天井も開き、複数のパッチで再建

  • 技術的に難しく、止血操作も高度に必要

  • 人工弁を2サイズ大きくできる

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3. 今野法(Konno法):極端な狭小弁輪に

  • 心室中隔まで切開し複数のパッチで再建

  • 侵襲が大きいため頻度は少ないが、どうしても必要なときの選択肢

  • 小児や再手術などで使われることがある

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◆最新の拡大法:逆Y字拡大(Reverse Y-incision)

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近年登場したのが スタンフォード大学 Bo Yang先生が開発した「逆Y字拡大」 です。

  • マノージャン法ほど深く切らないため 止血が容易

  • 低侵襲でありながら3サイズ大きい人工弁が入る

  • 将来的に TAVI(経カテーテル大動脈弁留置術)によるバルブ・イン・バルブ が可能となり、再手術リスクを大きく減らせる

例:70代女性で市販最小サイズ(19mm)の生体弁が入らないケース → 逆Y字拡大で21mm、場合によっては23mm弁まで挿入可能。

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◆ なぜ大動脈弁輪拡大が大切か?

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Tissue valve

  • 現代の人工弁は改良が進み、小さくても性能は上がっていますが、適切なサイズの弁を入れることが長期成績に直結 します。

  • 特に 60歳以上で生体弁を希望する方 では、弁輪拡大ができれば 機械弁を避けられるケースが増える ため、妊娠・出産や生活の質(QOL)を考える上でも重要です。

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◆ 実際の手術例

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  • 70代後半の女性:他院で「機械弁しか無理」と言われたが、当院で弁輪拡大を行い 生体弁の植え込みに成功

  • このように弁輪拡大の技術があるかどうかで、選択肢や患者さんの人生設計が大きく変わります。

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◆ まとめ:安全で確実な心臓手術のために

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大動脈弁置換術(AVR)は比較的標準的な手術ですが、狭小弁輪に対応するには高度な技術が必要 です。

  • ニック法、マノージャン法、今野法

  • 最新の逆Y字拡大術

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これらを安全に使い分けられる 実績ある心臓外科チーム に任せることが、将来の再手術リスクを下げ、安心につながります。

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福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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