僧帽弁の感染性心内膜炎IE 【2025年最新版】

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最終更新日 2025年9月17日

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◆ 僧帽弁の感染性心内膜炎とは?

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感染性心内膜炎(IE)」とは、心臓の弁に細菌が付着して繁殖し、弁が破壊されてしまう病気です。
僧帽弁でも、大動脈弁と同様に小さな傷や細菌感染をきっかけにIEが起こることがあります。

発症すると以下のような重大なリスクがあります:

  • 弁が壊れ心不全が進行

  • 細菌が全身に広がり敗血症を起こす

  • 菌の塊(疣贅)が脳に飛んで脳梗塞や後遺症を引き起こす

  • 最悪の場合、命を落とす危険も

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◆ 僧帽弁に感染性心内膜炎が起こりやすい人は?

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特に僧帽弁逸脱症は頻度が高く、IEの主要な原因のひとつです。
逸脱症だけであれば手術は不要ですが、感染によって弁が破壊されると手術が必要になります。

つまり、僧帽弁の基礎疾患を持つ方は、感染性心内膜炎に対する注意と予防がとても大切です。

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◆ 手術が必要になるケース

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僧帽弁の感染性心内膜炎で以下のような場合、心臓手術が適応となります:

  • 薬や点滴では改善しない心不全がある

  • 抗菌薬でも感染が抑えられない

  • 脳梗塞など菌の塊による合併症が出ている

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手術の基本方針は 僧帽弁形成術(弁を温存して修復する手術) を優先することです。

しかし感染で弁が大きく壊れている場合は形成が難しく、人工弁置換術が必要になることもあります。
とくに若い女性では、機械弁を入れるとワーファリンを一生内服する必要があり、妊娠や出産に大きなリスクが生じます。

👉 そのため、僧帽弁形成術の経験豊富な外科チームに任せることが最善です。

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◆ ミックス手術(小切開・低侵襲手術)は可能?

感染性心内膜炎は高齢者だけでなく、10~30代の若年層や40~50代の働き盛りにも起こりま

通常の創(左側)とポートアクセス法ミックス手術での創(右側)。通常の方法では胸骨という骨を切りますが、ポートアクセス法では骨は切りません。

す。

そのため創をできるだけ小さく、胸骨を切らない MICS(Minimally Invasive Cardiac Surgery:ミックス手術) が喜ばれています。

特に「ポートアクセス手術」による僧帽弁手術は、

  • 傷が小さい

  • 骨を切らないため回復が早い

  • 将来の生活や仕事復帰に有利

というメリットがあります。

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当院でも LSH法という創が目立ちにくいアプローチ を導入しており、「目立たない傷なら将来も安心」「また必要なら同じ手術を受けたい」といった患者さんの声もいただいています。

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Ilm03_bd02003-s 感染性心内膜炎の再発予防 ― 日常生活でできること

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最も大切なのは 予防と再発防止 です。

  • 歯科治療(抜歯など)の際は必ず主治医と歯科医師に相談し、抗生物質を事前に服用

  • うがい(イソジンガーグル等)を血のにおいが消えるまで継続

  • 切り傷・擦り傷はすぐに流水で洗浄、必要なら病院で消毒と抗生物質を処方してもらう

  • 発熱が続く場合や体調が悪いときは、早めに心臓専門医に相談

これらを徹底することで、再発や重症化を防ぐことができます。

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◆ まとめ

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  • 僧帽弁の感染性心内膜炎は命に関わる重病

  • 基礎疾患(僧帽弁閉鎖不全症・僧帽弁逸脱症)がある人は特に注意が必要

  • 手術はできる限り僧帽弁形成術を優先し、人工弁置換は慎重に判断

  • 若年層や働き盛りには MICS(小切開手術) が有効

  • 再発予防には 歯科治療・外傷・感染対策の徹底 が欠かせない

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感染性心内膜炎でお悩みの方、また「手術が必要かもしれない」と言われた方は、ぜひ一度ご相談ください。

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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大動脈弁の感染性心内膜炎IE 【2020年最新版】

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最終更新日 2020年2月28日

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◾️大動脈弁が感染性心内膜炎になるのはどういう時?

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大動脈弁は健康な状態では、ばい菌にやられて感染性心内膜炎(略称IE)になることは珍しいです。

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大動脈弁(aortic valve)の位置と、正常な三尖(tricuspid)の大動脈弁(右上)と二尖(bicuspid)のそれ(右下)。

しかしいったん逆流が発生して大動脈弁閉鎖不全症になったり、弁が狭くなって大動脈弁狭窄症になると、からだの中に何らかの原因でばい菌が入ったときに、感染性心内膜炎IEになりやすいのです。

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また大動脈二尖弁(右図の右下)つまり通常3枚の弁ひらひら部分が2枚になっている状態では感染性心内膜炎IEが起こりやすいことが知られています。

意外なところでは自己心膜弁再建後にもIEが多いことが報告されています。

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◾️大動脈弁が感染性心内膜炎になるとどうなる?

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大動脈弁が感染性心内膜炎IEにかかってしまうと危険です。

高い熱がでて、全身に菌がまわったり、菌の塊が脳に流れていけば脳梗塞になります。脳こうそくが大きければいのちにかかわったり、生き延びても大きな後遺症が起こります。たとえば歩けなくなったりしゃべれなくなったり、意識がもどらないなどもあり得ます。大動脈弁が菌に食われて穴があいたりちぎれたりすると心不全となり、重くなれば心不全でも命を落とします。

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こうした悲劇を防ぐため、まず予防が第一、そして予防できないときには早期発見と早期治療が有用です。

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◾️予防と早期発見

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予防にはけがとくに土がつくけがや抜歯に注意して下さい。ばい菌が体に入りやすいのです。けがの場合は直ちに水道水その他きれいな水で土を十分洗い流し、出血していたらすぐ病院で消毒してもらい、適宜抗生物質をもらって下さい。

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もともと弁膜症や心雑音などが指摘されているひとの場合、上記をしっかりと行い、その後も発熱に注意して下さい。ケガなどのあとで38℃を超える高熱が出たり、37℃台でも何日も発熱する場合は医師に相談するのが良いでしょう。

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◾️大動脈弁の感染性心内膜炎、診断と治療は

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診断は血液検査と心エコーで大半が判ります。一回の検査でわかりにくいときにはしばらくして、また検査することで診断精度が上がります。

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大動脈弁が感染性心内膜炎になってしまうと、まず薬などの内科的治療を行います。しかし心不全が薬などで制御できなくなったり、感染つまりばい菌の勢いがどうしても抑えられないとき、あるいはばい菌の塊が飛んで脳梗塞などになる場合などに手術が必要となります。逆に感染が薬で制御でき、心不全も軽ければ内科的治療つまりお薬などで治せることもあります。経験豊富なチームがさまざまなデータをもとに判断するのがもっとも安全でしょう。

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またばい菌が弁を壊して、弁の付け根の大動脈や左室心筋にうみ(膿)を作ったり穴をあけたりすると、それも外科手術で治さねばならなくなります。いわゆる大動脈弁輪膿瘍です。こうなるとかなり大きい心臓手術になり、体力などによっては危険性が増すこともあり、なるべくこうなるまでに手術して直してしまうのが賢明です。

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◾️手術での工夫

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手術はかつては人工弁をもちいて大動脈弁置換(略称AVR)を行いました。いまも一般にはそうすることが多いですが、最近は患者さんご自身の弁を形成(大動脈弁形成術)したり、自己心膜をもちいて弁形成(弁再建)したり、なるべくいわゆる人工弁を避けるように私たちは努力しています。

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また患者さんご自身の肺動脈弁を使うロス手術もありますが、日本では肺動脈弁をおきかえるホモグラフトつまり他の方の弁が入手困難なためと他の弁の成績が上がったため、ロス手術は下火の印象があります。とくに二尖弁の方は肺動脈弁が弱っているためロス手術は不適切となります。

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◾️大動脈弁の感染性心内膜炎、まとめ

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このように大動脈弁の感染性心内膜炎IEはしっかりと注意すれば予防可能ですし、また予防できないときでも、早期発見と早期治療をすることで死亡率を下げ安全確保ができるようになりつつあります。軽くても大動脈閉鎖不全症がある方、IEの既往(かつてその病気になったことがある)、二尖弁などの方は注意とともに弁膜症の専門家に定期健診をしてもらうのが安全でしょう。

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執筆:米田 正始
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お便り81: 大動脈二尖弁と上行大動脈、僧帽弁の患者さん

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大動脈二尖弁はそれ自体では必ずしも病気とは言えないのですが、大動脈弁の弁膜症を起こしやすいため、注意深いフォローアップが必要です。

同時に大動脈基部つまり大動脈の根っこの部分から上行大動脈にilm17_da05003-sかけて、大動脈の壁が弱く瘤になりやすいため、マルファン症候群のような結合組織疾患に準じたフォローアップが必要です。

これによって長期の安全性が確保しやすくなるのです。

下記の患者さんは大動脈二尖弁のため、お若い年齢でも大動脈弁閉鎖不全症と上行大動脈瘤を発症し、

さらにIEつまり感染性心内膜炎を合併したため僧帽弁閉鎖不全症も発生し、

このままでは心不全悪化や大動脈破裂などの懸念が強まるため来院されました。

この病気をきちんと治してくれる病院をもとめて、九州から来て下さいました。

詳しく調べますと、大動脈弁と僧帽弁の両方と、上行大動脈から弓部大動脈の一部までを治す必要があることがわかりました。

時間がゆるせば弁は両方とも形成か再建とし、上行大動脈は人工血管で置換したかったのですが、僧帽弁は前尖つまり主要パーツが全体に壊れているためその形成術も比較的複雑で、上行大動脈も弓部大動脈の一部まで治す必要があり、大動脈弁は破壊が高度であることもあって短時間で確実に生体弁で治しました。

とくに僧帽弁形成術では穴をパッチで治し、ゴアテックス人工腱索を8本立てて逸脱を修復しました。

以上をミックス手術で、小さい創で行いました。若い患者さんが創を気にせず楽しく暮らして欲しいからです。

術後経過は良好でまもなく元気に退院されました。九州から外来へ定期健診に来て下さいますが、元気いっぱいのお姿をみてうれしく思っています。

大動脈弁が将来壊れたら、TAVIという折りたたんだ生体弁をカテーテルでもとの弁の中に装着することで再手術が回避できるよう、極力大きな生体弁を植え込みました。

以下はその患者さんとそのお父さんからのメールです。とくに患者さんのお便りは他の患者さんたちのお役に立つようにという気持ちで書いて下さいました。

*******患者さんからのお便り*******

私は38歳の男です。

お便り81です生まれつき二尖弁と診断され、定期的に地元や他県の病院で診察を受けてきました。

 
将来的に手術も必要だと言われてましたが、自覚症状もなく、元気でしたし、運動も普通にしてきました。

歳をとるにつれ、大動脈弁の逆流もひどくなるし、大動脈も太くなってきてて、早めに手術したほうがいいと言われましたが、手術するのも怖くて、自分の病気にも向きあう事ができませんでした。

 
やはり手術するなら心臓専門の病院がいいと思い、パソコンから米田先生のホームページを見て、私の病気の事を米田先生にメールしたところ、返事をいただき、平成24年7月に診察をしました。

1日の検査で、治療方針を決めていただき、病気の症状など、丁寧に詳しく説明してもらって、その時はじめて米田先生に全てを任せようと決心する事ができました。

検査の結果は、大動脈弁閉鎖不全症、僧房弁閉鎖不全症、大動脈瘤です。大動脈瘤の太さは5センチでした。

手術は平成24年8月21日に決まり、大動脈弁置換術、僧房弁形成術、人工血管置換術をして、無事に手術は終わりました。

術後は、思っていたほど痛みもなく、2日目には歩いたり、食事も普通にできました。名古屋ハートセンターの看護師さんやドクターの方も親切な方ばかりで、入院中も不安なく過ごせました。

退院は8月31日で、入院から12日で退院する事ができました。

一度の手術で、三箇所を治す難しい手術みたいでしたが、現在の経過も順調です。

手術して約半年になりますが、仕事や運動などしたり、手術前よりあきらかに元気に過ごしています。

傷口も小さく綺麗なので、米田先生に手術していただいて本当に良かったと思います。心から感謝しています。

先生には新しい命をいただきました。

 

*******患者さんのお父さんからのメールです********

熊本・**市の****です。

ご無沙汰致しております。
次男の経過が良好なのも、先生ならびにスタッフ皆様の御蔭と感謝申し上げております。

病気発覚時に、開業医病院では処置できずに総合病院に転院した訳ですが、経過観察だけが続くだけで
ムンムンとした日々を過ごしていました。

私の二十五年前の経験から病院と先生は、自分の納得した上でお願いしたが良いと思っておりましたので、
ネットで全国の病院と先生を調べました。

こういう事を言えば言葉は悪いかも知れませんが、「医者と病院は、選ばなければ・・・・・」

米田先生のホームページを拝見しました時に、病の説明を細目に書き込みされている事に感銘致しました。
また、開業医の先生への項目に早めの紹介をと、書かれていたのに・・・・自分も同感致した次第です。

初めて、先生にメールで病気の問い合わせ致しました時も、ビックリするほど返信が早かったのを覚えています。
返信の内容で、不安が一掃したのも言うまでもありません。

九州・熊本から受診した時も、日帰り出来る様に手配頂いて、感謝申し上げます。
スタッフの皆様も暖かく親切でしたので、田舎者も安心して帰路についた次第です。
重ね重ね、今回の診察から手術までと、経過治療につきまして御礼申し上げます。

有り難う御座いました

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
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お便り80: 困難な状態から再手術を乗り切った患者さん

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Ilm17_da05002-s心臓手術のなかでも再手術はさまざまな注意が必要です。

単に弁を治すだけではなく、壊れた全身を守り助けながら、周囲の組織とくっついた心臓をきれいにはがし出して、そのうえで心臓の中を治すことが必要です。

以下の患者さんは7年前、当時50代で僧帽弁交連切開術後の状態で僧帽弁が再び狭くなり(僧帽弁狭窄症)、大動脈弁まで同様に狭くなり(大動脈弁狭窄症)、心房細動を併発し、さらに大きな脳梗塞まで患っておられました。

他県の有名病院でフォローアップされていましたが、苦しくてどうにもならなくなり、意を決して当時京都大学病院で勤務していた私のところへ来られました。

大きな脳梗塞の後という状況は予断を許さぬものでした。

しかし、当時の私のチームと、なにより患者さんの前向きの頑張りでお元気になられました。

手術は僧帽弁を人工弁に置き換え、大動脈弁も同様に置換し、心房細動に対してメイズ手術を行い、左室のパワーが落ちないようにゴアテックス人工腱索を斜め方向に立てました。

それらがうまく作動し、その後も大変お元気で生活を楽しんでおられます。

私の患者さんの会にも毎回顔を出して下さり、笑顔を拝見するたびに、じいんと来るものがあります。

こちらの方こそ、あの時よく頑張っていただき、ありがとうと申し上げたくなります。

以下はその患者さんからの術後7年目のお便りです。

 

*************患者さんからのお便り************


拝啓 里山も少しづつ装い始め色濃くなってきております。

 

PtLetter80米田先生には大変御無沙汰申しております。お忙しい毎日をお過ごしの事と存じます。

手術前、心臓音は弱かったと思いますが、元気な心臓音で目覚めるしあわせな瞬間です。
 

手術していただいた2005年12月12日、麻酔より目覚めさせていただいた時、私は生かされていると先生方に心より感謝致しました。

外出以外の朝6時半頃より、里山の坂道を登り地ぞう様にお参りし、四季を愛でつつ1.5時間くらい散歩いたしております。

しあわせの時です。

手術より7年目を生かされている私です。

先生には感謝の言葉しかございません。

私より元気だった大切な友人が一人二人と旅立ってゆきさみしいです。

父の分、友の分まで大切に生きさせていただこうと思います。

初孫も2歳を迎えました。

『孫のキス スカイプ繋ぐ 冬の虹』

孫に会いにアメリカにも行こうと楽しみにしているところです。

米田先生、御自愛なさりおすごし下さいませ。

7年目の感謝状

かしこ

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お便り79 バルサルバ洞瘤の再破裂

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バルサルバ洞破裂は大人の心臓病としてはそう多くはありませんが、修復に注意を要することが多々あります。

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たとえば大動脈弁が壊れつつあるときとか、右房や右室での修復に注意を要するとilm17_da05001-sきとか、さまざまな盲点があります。

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以下の患者さんは関西の病院でそのバルサルバ洞破裂に対して修復術を受けられました。

破れたバルサルバ洞瘤を大動脈側からと右房側から縫合閉鎖し修復されたようです。

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ところが、手術後まもなく、その縫合閉鎖部位がまた破れて心不全が発生し、それから思い余って私の外来へ来られました。

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手術を受けた病院ではどうにもならない、あるいは返事をもらえないなどで、見捨てられた形となったようです。セカンドオピニオンの病院ももとの病院に遠慮して、あるいは何か他の理由でとりあってくれないとのことでした。

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精密検査ののち、これは私たちが開発した大動脈基部修復の方法で、しっかりと強い組織を活用して完全修復するしかないと判断しました。

なにしろ、一度失敗したあとの再建というのは、野球でいえば4-0で負けている状態から試合を始めるようなものですから、結構大変です。

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しかし患者さんを救うためには着実に塁を埋め、逆転のタイムリーヒットを打たねばなりません。

そこで私たちの方法をもちいたのです。

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具体的には大動脈の壁(バルサルバ洞)はすでに瘤化しており弱いため、ここではなく、もっとしっかりした大動脈弁輪に糸をかけてそれでパッチを内張りとして縫い付けました。

これは大動脈基部再建だけでなく、大動脈弁輪形成と保護を兼ねたものです。デービッド手術やヤクー手術の経験が役立ちました。

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これだけで破裂したバルサルバ洞(つまり破れたところの入口側)は落ち着いたのですが、さらに右房側(つまり破れたところの出口側)から、三尖弁の弁輪をも活用して、もう一枚のパッチを縫着し、確実を期しました。

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術後経過は良好で、エコーでもバルサルバ洞の破裂による異常血流は完全に消えて正常化しました。

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患者さんはお元気に退院されました。

以下はそのお父さんからのお便りです。ご期待に沿うことができ、私たちも本当にうれしく思います。

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*******患者さんのお父さんからのお便り*******

 

名古屋ハートセンター
米田 正始 先生様

*****の父です
息子の*** 11月1日退院しました

この約3ヶ月の間 非常に不安な思い、辛い思いで過ごしてきました。

ですが 米田先生との出会い、ハートセンターさんとの出会いによって 本人、家族共々 幸せな気分になりました。

まだまだ 経過をみていかなくてなりませんが 私達にとっては 米田先生や名古屋ハートセンターの皆さんが付いてくれていると思うと心強く感じます。

また 検診等で 名古屋や奈良に行かせて頂きますので 今後とも宜しくお願いします

本当に有難うございました。

 

*****************************

上記のメールをいただき、このホームページに掲載してもよろしいですかとお聞きしたところ、ご快諾をいただき、さらに以下のメールを下さいました

**********お便り、その2***********

 

名古屋ハートセンター
米田 正始 先生様

****の父です

7月初旬 息子のバルサルバ洞動脈瘤破裂 発覚し 心臓の手術が必要 いきなりの電話でした

近くの病院で 比較的簡単な手術と聞き 任せる事にし 8月中旬に手術しました

ですが 術後4,5日で再破裂を聞かされ 再手術が必要とのこと 本人も家族も気分はどん底に落ちました

今の病院で再手術か 他の病院を探すかもわからなくなってる状態が続きました

 

セカンドオピニオンがスムーズに行く方もいらっしゃるかもしれませんが 私達家族は 初めはとてもためらいました

先生に失礼ではないのではとか それをする事によって 元の病院に戻りにくくなるのではとか 色々と悩みました

しかし どうしても納得いかず セカンドオピニオンをし 親切に対応をして頂きましたが 最終的には「前の先生は きっとご自分で治してあげたいと思ってますよ」と
断られてしまいました

セカンドオピニオンってなんだろうと思いました

いろいろ調べてるうちに 米田正始先生の事を目にしました

すぐさまメールで問い合わせしましたら 一度来てくださいと返事を頂き 先生と会うことができました

先生とお会いして 「手術を受けていただけるのでしょうか?」「受けますよ」一瞬で話が決まりました

涙が溢れたのは今でも忘れません

診察、検査入院、手術日決定、入院、手術とスムーズに日程を決めて頂き 本人、家族共 非常に助かったのが現実です

なぜなら 本人、家族で手術日を決めようにも 2度目ともなれば 決める事は 非常に難しい事だったからです

「断らない・待たせない・温かい」 名古屋ハートセンターのうたい文句 素晴らしいです

入院中に他の患者さんや家族の方とも お話しましたが みなさんいろんな悩みや不安な思いを持っていて 
米田先生に相談できた事から ハートセンターでの手術を決意できたという患者さん、家族の方が多くいました

 
またみなさんは ここを(ハートセンター)見つける事が出来たことを幸運に思っていました

あと 先生方やスタッフの方々の患者さんへの対応も 非常に驚きました

 
会話にしても患者さん目線で 温かい対応でした (他の病院では 上からいろんな事 言われましたが)

この約4ヶ月の間 非常に不安な思い、辛い思いで過ごしてきました。

 
ですが 米田先生との出会い、ハートセンターさんとの出会いによって
本人、家族共々 幸せな気分になりました。

まだまだ 経過をみていかなくてなりませんが 私達にとっては 米田先生や
ハートセンターの皆さんが付いてくれていると思うと心強く感じます。


心臓の手術で困っている方は 全国、世界に数知れずいると思います


1つの出会いで それが解決されるでしょう

また 検診等で 名古屋や奈良に行かせて頂きますので 今後とも宜しくお願いします

本当に有難うございました


************************

その後も定期検診のため外来に年1-2度お越しい A335_018ただいております。

米田正始が2013年10月に高の原中央病院かんさいハートセンターを立ち上げてからは奈良へ来て下さっています。

心臓の調子も大変よく、血液の漏れも全くなく、正常所見です。

これからは前向きに活発に楽しい生活を送って下さい。

これも患者さんとご家族の決意と努力の賜物なのですから。

黙々と頑張って下さった患者さんとご家族に私は今も感謝しています。

なお私たちはどんなに経過が良い患者さんでも年一度は定期検診でフォローするようにしています。

かかりつけ医の先生と協力して患者さんに役立つことが多々あるからです。


***** 手術から3年の時が過ぎました。新年にメールを頂きました****


米田 正始 お便り79の写真 先生

新年明けましておめでとう御座います

年1回しか お会いできませんが 本年もよろしくお願いいたします

ハートセンターにて 息子の手術が終え 3度目のお正月となりました
先生には 感謝の一言です

いろんな患者さまが 先生への感謝の気持ちを持っていることが (患者さんの声) よりよくわかります

感謝する側 される側 これも 人と人との 絆なのでしょうか

私たちも そういう事を大切にし 生きていきたいと思っております

短文では ございますが 米田正始 先生 今後ともよろしくおねがいします

**家 家族一同

 

*****************************

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バルサルバ洞破裂への新手術から4年が経ちました。

この病気は比較的珍しいため手術経験をもつ心臓外科医は少数ですが、それでも4名の方をお助けできています

過日のAATS(アメリカ胸部外科学会)の大動脈シンポジウムの日本版でこのバルサルバ洞瘤形成の新術式を発表し、デービッド先生はじめ権威の先生方にお褒め頂きました。

これからますます多くの患者さんのお役に立てればうれしいことです。

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さて今年もまたメールを戴きました。

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お元気そうでなによりです

また外来でお会いしましょう

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**********術後4年目のお便り**********

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新年あけまして おめでとうございます。
今年もメールで申し訳ありませんが ご挨拶させて頂きます。

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先生の手術を受けて 4度目となるお正月を迎えさて頂きました。お便り79のNewFigure

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米田医院での診察から始まり 名古屋ハートセンターでの手術 高の原中央病院での検診 今では仁泉会病院での検診
と先生が我が家の近くに居る安心感 (ある意味 不思議なくらいです)。

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息子はもう大丈夫でしょうけど あの時の本人、家族の苦しみは 忘れてはいけない事だと思っております。

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それと同時に あの時 米田先生やハートセンターの方々に助けて頂いた感謝の気持ちも忘れてはいけないと思っております。

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何年たっても感謝の一言です。
有難うございます。

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あと前回の検診の日に 妻までお世話になり 申し訳ないです

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次の日 早速 山岸眼科様の方で診察して頂きました
お礼の方 遅くなり 申し訳ございません。

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また今年の秋に検診に行かせて頂きますので宜しくお願いいたします。

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****  家族一同

 

**************************

 

手術から5年が経ちました。現在は仁泉会病院の外来で定期健診していますが、お元気で心臓になんら問題なく嬉しいことです。今年もお手紙を頂きました。

 

******** 術後5年のお便り ********

今年も 新年の挨拶として メールを送らせて頂いたのですが
メールアドレスが 変わっているようで
病院の方の相談 お問い合わせの方に 送らせていただきました(いいのかダメなのか わからずに)

失礼いたします

新年明けましておめでとうございます

 

2012年10月 名古屋ハートセンターでお世話になりました **** 家族一同です

今年も無事に お正月を迎える事ができました

 

これも先生のおかげだと思っています (これは私たち家族だけでなく 数多くの家族が思っているはずです)

 

人間は 不思議なもので 普通に生活を続けていると あの時大変だったことも 薄れていくことがあります
これは 良い事なのか 悪いことなのかは 私にはわかりません

ただ親としては 正貴に対し あの事は 忘れ生活して欲しい

私達家族を救って頂いたことは 決して忘れる事のない事

時折 そういうことを 考えたりします
これも無事に生活を送れてるからなのでしょうか

 

先生への感謝の気持ちは 数多くの家族の気持ちです

先生の益々のご活躍を期待いたします

 

**** 家族一同

 


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お便り78 ベントール手術をミックスで受けられた患者さん

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大動脈基部拡張症心臓手術のなかでも大きめの手術が必要です。

IMG_5500bなにしろ伸びきった大動脈の根っこ部分を人工血管で置き換え、左と右の冠動脈の入口部分をいったん切り離し、それを人工血管にぬいつけ、そして大動脈弁を形成または置換することが必要だからです。

下記の患者さんはまだ30台のお若い女性で、この大動脈基部再建を、小さい創のミックス手術で希望して山口県からお越し頂きました。

手術中は、弁が予想以上に肥厚し短縮しており、患者さん自身の弁を温存するデービッド手術は不適当であることが判明しました。

そこで生体弁をもちいたベントール手術を行いました。

将来、この生体弁がいつの日か壊れたときに、再手術を回避しやすいよう、TAVIつまり折りたたんだ生体弁をカテーテルで植え込む方法がつかえるよう、十分なサイズの生体弁を取り付けました。

創もかなり小さく、夏服でも見えないレベルにとどめました。手術中の安全性を損なわぬよう、さまざまな工夫を凝らしました。

術後経過も順調で、遠方のため余裕をもって帰宅いただけるよう、ややゆっくり入院して戴きましたが、手術後10日で元気に退院されました。

 

*************患者さんからのお便り***********

米田先生へ

先日土曜日に退院させていただくことができました。

傷も本当に小さく痛みもほとんどありませんし、帰ってすぐに軽い食事の用意が出来
ることに自分自身驚いてます。

術前は脈100ぐらいになると心臓あたりがドクンドクン暴れて脈が速くなるのが怖いぐら
いでしたが、

術後は常時脈100近くありますがドクすら感じないので楽でよくなったんだあと感じるのと

、昨日久しぶりに自宅の湯船でゆったり浸かり苦しさを感じることがなくスーと息が入る感じをうけ改めて手術してもらってよかったと思ってます。

 
家事がリハビリで日に日によくなってるのを感じ嬉しいです。ご縁を頂いて本当にあ
りがとうございました。

またハートセンターさん全スタッフさんの志の高さに感銘をうけたのと、各部署での
職人魂のようなものを感じることができ私も随分元気を戴きました。

徹底したお掃除・配膳の方々の優しいあいさつ、知識経験豊富な看護婦さんに相談し
て癒され、先生方からはパワーをもらいみなさんのお蔭で今日の元気な一日があると感謝してます。

米田先生は超ご多忙と思いますが、お身体だけはご自愛下さい。

****

 

その後、上記のメールをホームページに掲載してもよろしいですかとお伺いしたところ、次のお返事をいただきました

********患者さんからのお返事メール*******

米田先生へ

大変ありがたいメールいただきまして、感謝で一杯です。

今朝も昨日より階段がスラスラなことに驚いています。

ホームページ掲載は同じ患者さんとして安心して手術を考慮し受けて戴ければ
幸いです。

実際に私もお便りのコーナーでどれほど勇気付けられ助けられたか
わかりませんので、どうぞご利用ください。

****

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り77 大動脈弁狭窄症のエホバ証人の患者さん

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エホバの証人の患者さんは信仰上の理由から輸血ができません。

一般の方々には不思議なことのように感じられるかも知れませんが、信者さんにとってはいのちがけの、大切なことです。

Ilm10_df01001-s私たちは信仰の自由を尊重し、輸血なしでも患者さんをお助けできるよう、全力をあげています。

以下の患者さんはこのエホバの証人の信者さんで、大動脈弁狭窄症という、手術なしでは突然死することさえある心臓病のため私の外来へ来られました。

精密検査の結果、心臓だけでなく、肺もかなり悪いことが判りました。

その原因のひとつが肥満やメタボであることもわかりました。

心臓プラス肺プラス「メタボ」プラス絶対無輸血というのはかなり厳しい条件です。

しかし患者さんが生きるためには何とか手術を乗り切って頂く必要があります。

そのためさまざまな努力や工夫をしました。

まず科学的ダイエットであるローカーボダイエットで積極的に脂肪を減らし、横隔膜が動きやすいようにし、あわせて呼吸運動を毎日励行いただき、メタボと肺の改善に努めました。

1か月以上の時間をかけて十分に態勢をととのえ、肺機能も改善したところで手術に臨みました。

肺に負担をかけぬよう生体弁で短時間に大動脈弁置換術を行いました。

徹底止血して輸血なしでも大丈夫な状態を維持したことはいうまでもありません。

患者さんもしっかり頑張って下さり、手術のあとはとくに問題なく順調に回復され、術後10日で元気に退院されました。

以下のお便りはそのエホバの証人の患者さんからのものです。

患者さんといっしょに苦労して得た大きな成果はまた格別なものがあると思いました。

 

*******患者さんからのお便り**********

米田正始 先生へ

 平成24年8月31日に大動脈弁狭窄症の手術をしていただきました****です。

昨日術後1ヶ月の検診を北村先生にしていただきました。

順調に回復していて改めて米田先生、北村先生、深谷先生、木村先生、看護士の皆さん、ハートセンターのスタッフの皆さんに感謝しています。

米田先生に昨日はお会いできないと思っていましたが、お会いする事もできうれしかったのですが、ゆっくりお礼が言えずに帰宅してしまいました。

もっと早く米田先生にメールを送りたかったのですが遅くなってしまって申し訳なく思っています。

 7月2日に他の病院で弁膜症だと診断された時、実母を同じ弁膜症により術後1ヶ月で人工呼吸も一度も外れず66歳で亡くしておりましたので、弁膜症に知識と経験のある先生の診察を受けなくてはと思いました。

また私の信仰上の理由で無輸血で手術してくださる先生を探さなければなりませんでした。

家族がネットで米田先生のことを知り、また無輸血で私たちの仲間を手術していただいている事もわかり米田先生にお願いするしかないという思いで、7月23日に先生の診断を受けました。

7月2日に他の病院で弁膜症と診断されたときから比べると、一段と急激に調子が悪くなり歩くのもやっとという感じになっていて、先生に診ていただくのが数日遅かったら、命を落としていたのではないかと思うほどでした。

先生に始めに診ていただいた日に無輸血で手術していただきたいとお願いすればよかったのですが、その日は米田先生のお話を伺っているだけで精一杯で話しをできずにきてしまったので、先生たちをびっくりさせてしまい、申し訳なかったと思っています。

私の実母も弁膜症で手術した際に、大量に輸血をしていましたので、無輸血で手術する事がどれだけ先生方の手を煩わせ、大変かと言うことも母を見ておりましたので、よくわかっているつもりです。その上私は肺が悪いということもわかり、貧血もあり、体重も落とさなければいけないこともありと、二重三重に、お手間を取らせてしまいました。

そのような中で手術していただき、止血に十分時間をさいていただき、手術を成功させていただいたこと、生涯忘れません。

 FFPに関しても米田先生が私の信仰の自由を最後まで守ってくださり先生の懐の深さにただただ感謝しております。

 入院中はローカーボ食にしていただき体重を約10キロ落とす事もできました。

家ではなかなか痩せることもできませんでしたが、体重を落とすこともでき、今後元気でいるためにも頑張って体重管理をしていこうと思っています。

 米田先生と一緒に頑張ってくださった北村先生、深谷先生、木村先生にも改めて御礼申し上げます。

北村先生には、忙しく大変な中でも笑顔で励ましていただきました。私のつまらない質問にも応答していただき、色々な不安を取り除いていただきありがたかったです。

米田先生の良き理解者でまじめな深谷先生。始めは先生の事が怖かったけど、今は先生の回診が懐かしいぐらいです。深谷先生に一言もお礼を言えず退院してしまったので、今度お会いしてお礼を言わせてくださいね。

とても細やかで洞察力のある木村先生。CCUでは家族に丁寧に状況を説明くださり感謝しています。患者は先生に癒されていると思います。もちろん私もその一人です。

 看護士さん達にも大変お世話になりました。

特に手術室の下島看護士さんには、私の話しを忙しい中よく聞いてくださり理解を示してくださり大変助かりました。

病棟の大橋看護士さん、私の事情に本当によくご配慮くださって助けていただきました。ありがとうございます。

草野看護士さんは病室に入っていらっしゃるだけでを和ませていただき支えていただきました。ステキな笑顔に救われました。

大谷看護士さんは本当にお若いのに高いプロ意識をもってお仕事されていて、感動しました。

CCUを出た時から数日間男性の看護士さん(お名前を忘れてしまいごめんなさい)にも大変お世話になりました。お仕事大変な中でもとても爽やかでやさしい看護士さんでした。ありがとうございました。

他にも、検査してくださった先生方、栄養士さん、清掃や食事の際にお世話になったスタッフの皆さん、多くの皆さんにお世話になり、心よりお礼申し上げます。

 最後になりましたが、毎日お忙しい日々をお過ごしの米田先生。どうぞお体を大切にしていただいていつまでもお元気でいてください。先生に助けていただきたい患者さんはまだまだたくさんいるのですから。

 これからもどうぞよろしくお願い致します。

 平成24年10月3日

***********

 

あれから2年が経ちました。

私も名古屋での5年間の生活に別れを告げ、郷里にかんさいハートセンターを立ち上げました。

(註:現在は大阪市の医誠会病院と大東市の仁泉会病院にて勤務しております)

全国から多数の患者さんが心臓手術をもとめてお越し下さり、にぎやかにやらせて頂いております。

上記の患者さんからまたお便りを頂きました。

また外来でお元気なお顔を拝見したく存じます。

********患者さんからのお便り******

米田先生へ


2012年8月に手術していただいた愛知県の○○です。

おかげさまで元気に過ごさせていただいております。

先生に普通以上のご迷惑をかけ、たいへんお世話になり心臓を治していただけた今、米田先生に手術してもらえて “本当によかった”と改めて感じる今日このごろです。

奈良に1年に1度は米田先生の心臓チェックを受けに行きたいと思っていますのに、なかなか実行出来ないことを残念に思っています。

でも、健康第一でお元気でいて下さい。

先生を必要としている人間はますます多くなっています。

その人たちも助けてあげてほしいです。

この健康に日々感謝しています。

ありがとうございます。


2014.8.29

 

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お便り75 大動脈弁置換術の複雑な再手術を乗り越えた患者さん

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弁置換手術の際に生体弁が広くつかわれるようになり、その後長年月たってから再手術する機会も増えました。

Ilm10_de01004-s患者さんは三重県在住の80歳男性で、10年まえに他病院で生体弁での大動脈弁置換術を受けられました。

1年前から胸痛や全身のだるさを覚えられ、近くの病院で生体弁が壊れて逆流を発生しているため再手術が必要と言われてから私の外来へ来られました。

手術では前回手術の影響か、周囲組織との癒着が高度で(ようするにがちがちに貼りついて、心臓にすぐ到達できない状態で)、それを剥離するために時間を要しました。

とくに上行大動脈の癒着はきびしく、安全のためにこれを人工血管で置換しました。

通常の再手術ではこれほどの癒着は珍しいのですが、ときおり遭遇する状況ですのでじっくりと対処しました。

新たな生体弁を植え込み、術後8日目に元気に退院されました。

手術はけっこう大変でしたが、患者さんはすっかりお元気になられ、順調な回復ぶりで、チーム一同、やりがいのある大きな仕事だったねとうれしく思っています。

そのあとその患者さんの息子さんも心臓病があることが判明し、その心臓手術までお引き受けしました。

息子さんはまだお若いため、通常の生体弁よりも長持ちしやすい自己心膜による弁再建を行いました。

その患者さんの年齢や体力、ライフスタイルに合わせたきめ細かい治療、つまりオーダーメイド治療が良いと思うからです。

ともあれ、このように大切なご家族まで任せて頂けることを光栄に思います。


以下はその患者さんからの感謝のお便りです。病院のご意見箱に入れられました。

 

*************************

乱筆乱文をお許し下さい。

80才になろうとする私に新しい命をくださったことこの上もない喜びであります。

心から感謝し厚くお礼申し上げます。 ありがとうございました。

おそらく四日市などの他の病院へ行っていたらこの命はなかったのではないか
と思っています。

今までいくつかの病院へ入院しましたが、この名古屋ハートセンターのようなすばらしい病院ははじめてです。

まず米田先生の自信に満ちあふれた言動と説得力にそれまでの不安と迷いはかき消されました。

米田先生を中心に北村先生、深谷先生、木村先生のチームが12時間にわたる手術を成功させ、私の命を救ってくださいました。

次に看護師さんたちの真心のこもった対応が心に残りました。
 

まず、手術日前夜、家族のものも帰り、やや気持ちがふさいでいたところへ、若いめ
がねをかけた看護師さんが(名前を忘れて申し訳ない)来てくれて、「大丈夫けん元気
を出して、わたしのパワーをあげるけん」と言って私の手をぎゅっと握って何度も何度
もはげましてくれたこと、おかげで手術日当日は何の不安もなく、元気に手術室へむ
かえました。

退院の日にもその看護師さんが来てくれて「よかったね」と笑顔で言ってくれたこと、CCUで苦しんでわがままを言う私に、やさしくはげましてくれた玉置さん、
天野さん、5階のチーフの草野さんは、CCUへ何度となく私をはげましに来て下さった
こと、私がナースカウンターの前のいすで休んでいると何人かの看護師さんが「**
さん、元気になってよかったね」とことばをかけてくださったこと、それにしてもどの看
護師さんも私の名前をきちんと覚えてみえることには私の家族もみなおどろき感心し
ていました。
 

私はお世話になった看護師さんの名前をすぐに忘れてしまって恥ずかしい。

次に掃除婦の方が毎朝すみからすみまでていねいにきれいにしてくださって「**さん名前、***と言われるの あたった」と明るく接してくださったこと。

配膳の係の方も、もらいにいかなければ、返しにいかなければ、と思っていると、先をこされてもってきてくださったこと。

おかげで辛いはずの入院生活の10日間は楽しく過ごさせていただきました。

改めて、先生方、看護師のみなさん、職員のみなさんに 心からお礼申し上げます。 ありがとうございました。

一生忘れることのできない名古屋ハートセンターのすばらしいことを。

私の娘も長男もハートセンターでお世話になります。 よろしくお願い申し上げます。

 

 

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お便り73 リウマチ性連合弁膜症と心房細動をミックス法手術で克服

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リウマチ性弁膜症は通常の年齢性の弁膜症と比べて弁の変化・変形が強く起こります。そのため弁形成にもそれ相応の経験と戦略が必要となります。

Suzuran患者さんは69歳の女性で、的確な心臓手術をもとめて千葉県から来られました。

リウマチによる僧帽弁膜症のため弁が石のように硬くなり僧帽弁狭窄症と閉鎖不全症の両方をもつタイプでした。こうした硬い弁は形成に適さないのですが、私たちはパッチなどを駆使して形成することが近年増えました。

ただこうした複雑な僧帽弁形成術は時間がかかり、重症患者さんの体への負担が少なくありません。70歳近いご年齢からは、むしろ確実に短時間で完了する生体弁による弁置換が安全で、しかも生体弁の耐久性もこのご年齢なら20年近いため、この点でも生体弁が選択肢と考えられました。むしろ時間的余裕をつくって心房細動に対するメイズ手術等をしっかり行うメリットが大きいと言える状況でした。

さらに高度の変化をともなう三尖弁閉鎖不全症があり、そして強い肺高血圧つまり肺の動脈圧が高く危険な状態で、てきぱきとポイントを押さえたコンパクトな手術が望まれる状況でした。

こうしたことを考慮し、手術は記録にこだわりなく患者さんにもっとも益する手術を行いました。まず生体弁で僧帽弁置換術(MVR)を行い、ついで三尖弁には弁の異常が強く通常の弁輪形成だけでは逆流が残るタイプでしたので、確実に生体弁で弁置換(TVR)しました。せっかく生体弁を使うのですから、何とかワーファリンの不要な生活をと、両心メイズで徹底的に除細動しました。

これらを皮膚切開10㎝の小さい創で、MICS法(ミックス法、小さい切開で患者さんに優しい手術です)にて行いました。

術後経過は良好で、弁機能、心臓の機能とも良好で、手術前の肺高血圧症も治り、リズムも正常化してまもなくワーファリン不要の状態となられました。

以下はその患者さんからの礼状です。大きな手術をよく決意し頑張って下さったと思います。


***********患者さんからのお便り*******

 

先生、その節はありがとうございました!

これまで他では一度も経験したことのない病院のやさしさとあたたかさにはじめは却って戸惑うほどでしたが、いつしか安心とリラックスの中で病院生活をさせていただきました。

本来なら、今ごろはなかったかもしれないいのち、歩くことお茶わんを洗うこと、すべてがいとおしく大切に過させていただいております。

無言で教えていただきました「愛」を私もこれから出会う人や周りの人達に対して実践できたらと思っております。

只、入院中に一度と、退院した日に強いストレスを受けることがございました。そのために治していただいたばかりの身体に何らかのショックを与えたかもしれません。

脈拍が突然はやくなったり、色が突然変わったようにゆっくりになったりということをときどき経験致しております。

自身を持って焦らず治癒する日を待たなければと思っておりました。

先生に出会わせていただけました幸運とともにいのちのあることをかみしめております。
心よりありがとうございました。ありがとうございました。

****
米田正始先生
三月二十八日


患者さんのお母様からも礼状を頂きました。

*********患者さんのお母様からのお手紙******


突然のお手紙で失礼を申し上げます。

私は****の母親でございます。

この度、私の娘****が元気で私の元へ帰って参りました事に先生にお目にかかって御礼申し上げたいと願っても年を取っていてかないません。

 
尊い先生という事も娘から聞き遠くから手を合わせさせて頂いて居ります。

沢山の御礼を申し上げます。

 

その後外来にてお元気なお姿を拝見し、うれしく思っています。

患者さんの会社で発行している新聞に手記を掲載されました。皆様のご参考になるかもと考え、以下に許可をえて掲載します。

 

************ 新聞の手記 ***********


「50歳になる頃には心臓の手術をすることになるでしょう」と子供の頃から言われつづけていたその50歳を越え、更に20年近い歳月が経ちました。

5・6年前から心房細動という発作が起こり初めていたので、5月(23年)になって「心不全です。だから手術が必要」と言われた時も、さして驚くこともなく、3歳から背負ってきた人生にいよいよ決別するときが来たのだと思いました。

 

「本当に奇跡を起こしていたのね。心臓の寿命を予定より20年近くも延ばしたなんて…」Aさんがそう言いました。

そのあと呼吸法の会を催すことになったのです。

みんなで呼吸法や瞑想、そしてアファメーションなどを行って、お互いに気を送り合いました。

宇宙空間にあずけた魂は超然として心底休息をとりました。

心臓の機能が落ちれば苦しい筈ですが、新鮮な酸素をいっぱいに吸って、アファメーションでは「元気だ」と言い聞かせられている身体は、思うほどの症状はなく、会社の仕事をはじめとして、2ケ月に及ぶ、床暖房の修復工事をしたりして、私はすべきことを着々と果たして行きました。

病気がなくても病気の人もいれば、病気はあるけれど元気に暮らしている人もいる。

病気のあるなしに関わらず、最期のときまで元気で生きられるかどうか、それが重要なことだと思うのです。

昔の人たちは神に与えられた生命を自然に全うしました。

 
オムツで世話になり屍のように生かされつづけてしまう、現代特有の長寿を考えるとき、つくづく執着しない自然な“生”でありたいと願うのです。

仮にもし、私がここで死ぬことになれば、ぎりぎりまで元気に生きて、昔の人たちに近い死に方をすることになるのではないか、これから老いる一方である筈の自分の年齢を考えました。

けれども親がいて、何よりも、私にはしたいことが沢山ありました。この期におよんで、“生きたい”という思いが手術への期待感を募らせました。
手術の宣告を受けた同じ23年の11月初旬、私は自転車で出かけて転倒しました。血液さらさらのお薬のせいか出血をして救急車で運ばれました。

4針ばかりの縫合手術をしました。

「病気になってもお転婆が治らない。それでは怪我でもさせて安静にさせようという、神様の計らいだったんだと思う」とTさんは言いました。

 
懐石料理を作ってくれるという人に出会ったのもその頃のことでした。懐石料理のお店を開いていたけれど、彼女はそのお店を閉じざるを得なくなったのです。

初めの日は、鯛の昆布〆や茶わん蒸しなどを作ってくれました。

私は、若いころからずっと食事を作りつづけてきたので、いよいよ作って貰える番がめぐってきたのだと思いました。

名古屋の病院では、先生や看護師さんばかりでなく、事務の方たちやお掃除の方々にいたるまで明るい愛の気が発信されていました。

病院であるにもかかわらず緊張を必要としない、安定感のあるゆるぎないやさしさに少なからず驚きました。

同じことを感じているらしい、付添のTさんは「もともと人格や人柄に素質のある人か採用されているのでしょう。

ただ教育されたのとは違う、包容力のあるやさしさに、ホッとしますね。」と言いました。

“神の手”と呼ばれるK先生からは、少しでも多くの患者さんを治したいという、やむにやまれぬ思いが大きなオーラとなって伝わってきて、伺った私達4人皆が感動をしました。

検査の結果が出たあと、先生の表情はあきらかに曇っていました。「重症です。安静にして、このまま手術の日まで名古屋にとどまって下さい」
けれども、まだ残っている“すべきもの”を果たすために決心をして、-時、市川に戻りました。

病気は、“憎帽弁閉鎖不全症”の上に、いつの間にか狭窄も起こしていて、逆流で行き場を失った血液が三尖弁にまで流れ込み、そこでも血液の逆流を起こし、あふれた血液が肺を水浸し(血浸し)にしているというのです。

昔の人なら正にこれが生き切った状態といえたでしょう。

大学教員で普段は多忙な妹が春休みになり、入院に付き添ってくれることになりました。

病院のベッドで、彼女から名古屋の街の探検話を聞きながら、私は、随分長い間ショッピングをしていないことに気づきました。

元気になって、再び街を歩けるという新たな励みを貰ったのです。

手術当日の朝、K先生を除く先生方と手術室の看護師さんたちが、ストレッチャーをにぎやかに引っ張って病室に迎えに来てくれました。

青空のように明るくてやさしさに満ちていて、大勢で手術室の扉をくぐった時には、私はすでに安心の境地にありました。

安定剤をまったく必要とせず、ぐっすり眠った心身はとても平和で静かでした。

 

手術が終わって起こされた時、眠りとは違う、“虚”というべきか、私は、麻酔というものの不思議な感覚の中にいました。

眠りには、時間の経過の記憶が身体に残っているけれど、麻酔には時間がなく、肉体が、自分から遮断されていたという強烈な感覚がありました。

起こされた時、一挙に肉体が戻ってきたといった実感に少なからずショックを覚えました。

そして私は「いま何時なの?何日なの?」と、今おかれている自分の位置を確認しなければなりませんでした。

 

「5時間半という時間、待っている身には長くて耐え難い時間だった」そういう従兄弟のK君には、子供の頃、お風呂に入れたり遊んだり可愛い思い出がいっぱいあるのです。幼かったそ彼が今は、私の身元引受人となって、忙しい会社経営の仕事の合間に面倒をみてくれました。

そして手術が終わった時、たちまちその成功が身内に知らされたそうです。知らない間に私はみんなに心配をかけていたのです。

覚醒からしばらくして車椅子まで歩きました。手術直後からリハビリが始まっていたのです。

 

静養室に移ってうとうとしているとき、廊下から、誰かが、私に自分の存在を気づかせようとしていることに気づきました。

それは母の弟の叔父でした。

私は「近くに来て頂戴」と無言で頼みました。けれども彼は温かい表情を残したままそれ切り消えてしまったのです。

短い時間だったけど、私は、叔父の姿をみて安心を覚えました。

叔父は後で「面会は病室の外から5分だけと言われたのだよ。私は、あの時バイキンだったからね」と言いました。

妹は、春休み中にすべき仕事をごまんと抱えていて、そのため、手術後3日目の朝には東京に発たなければなりませんでした。

妹がいなくなった後、身体に沢山の管をつけたまま車椅子でナースステーションに移動し、そこで励まされながら食事をしました。

食べることは戦いでした。

そしてすべての管がとれた元気な姿を再び戻った妹に見せることができたのです。

リハビリに励んでいるとき、ひとりの男性が私の前を歩いていました。そのうしろ姿は肩を落としてうなだれ、力をすっかりなくしているように思われました。

昔、刀で切られた人は力を失くして恐れや不安などの感情に支配されただろうと思います。

「心臓の手術は他の臓器の手術とは違うのよ」と言った人がいました。
 

前を歩く人の背中を見ながら、私も、彼と同じであることに気づきました。そうだ。いつものアレをしよう!いつものアレとはと呼吸法のことです。

呼吸法のときの姿勢は満ち足りていてうつくしい。頭のてっぺんを宇宙から吊り下げて、顎を引き、鼻とお臍をまつすぐに結びます。

そして腰椎を立てました。すると自然に胸が出てきます。

健康な姿が出来あがり、次は、鏡の前で思い切り笑顔を作ってみました。

愉快になって来ました。いつもの自分の姿がそこにはありました。

痛みもつらいことも何もないのだから、畢寛、うなだれる理由もないということなのです。
 

私は、いま作ったばかりの姿勢のまま部屋を出て行き、病棟のロビーの椅子にシャンと腰を下ろしました。

かばう姿勢よりも自由になれて自信がもてて、血液の循環にも良いのです。

 

心のことをハートと言い、心臓のこともハートと言う。

ある看護師さんは、心臓はその人の心そのもの、というよりもその人自身だというのです。

「身体を救うために、そのこころに傷をつけなければならない」その言葉を、手術が終わった直後から、私は実感することになりました。

身体は痛みもなく何ともなかったけれど、心を、そして心臓を切られてしまった叫びなのか、かなしみとも違うハッとするような感情が私を支配していました。

日頃の自分の“根っこ”はどこに行ってしまったのか、不安定すぎる自分の心を支え切れず、胎内のような絶対の愛と安心を求めて誰かにハグしてほしいと思いました。

そんなときに、従姉妹のSちゃんが「お姉様、よく頑張ったわね」と言って、しっかりと抱きしめてくれました。涙があふれました。’

支障が生じる人や用事のある人以外には極秘で入院しましたが、場所か名古屋だったおかげで、友達や従姉妹たちや、普段には決して会えない遠い地の人たちにも逢うことができました。

お見舞いにいただいたお花が、傷ついた心身に思ってもみないほど大きな慰めとなりました。

それに、初めてと言ってよいほど沢山のメールをいただき、それにはどんなに励まされたか分かりません。

こうした体験の後だったからこその力づけでした。

 

退院後のお見舞いでは驚かされることがありました。中でも感動したのは、Kさんが夕方訪れて、音楽室の灯りを消し、天井から壁・床に至るまで部屋中にお星様を散りばめて見せてくれたことです。

いつまでも見ていたいと思うほど幻想的で美しい光のページェントでした。

 

彼女は材料を持参してテーブルの上で釜めしを炊いてくれました。

デザートも用意されていて、温かで素朴ですばらしいパーティでした。

釜めしはアツアツでおいしくて彼女のぬくもりそのものでした。

手術の一連がくれたこうした豊かなものを家族共々一生忘れることはないだろうと思います。

 

退院すると、母は、あずけられていた施設から飛ぶように戻ってきました。

会社では大きな仕事が待っていて、私は手術後2ケ月で復帰することになりました。

壊れていない心臓は、私に生まれて初めてと言ってよいほど幸せな日々をもたらしました。

F先生は「腎臓にしても胃袋にしても、普通、その臓器の一部をなくした状態で“治った”と言うことが多いけど、心臓だけは完璧なかたちで治るんですよ」とおっしゃいました。

 
後半の人生に向かって新たな夢がひろがっています。それでいて、“生きること”それが人生の目的なのだと、単純で、かつ当たり前のことを、初めて悟ったような気もしています。

「手術をおえて、いま、どんな気持ち?」

「新しくなった気持ちよ。何でも素敵に見える。今まで見過ごしていたようなことまでみんな素敵に見えるわ」

「ふ-ん。私もどこか切らなくちゃ」…。

 

お見舞いを直接はいただかない方の心も伝わって来ました。

忙しい日々折々の中、ご心配いただいたことを本当に感謝しています。

本格的な始動は9月からです。宜しくお願い致します。  

    

24年7月  

****

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お便り72 二弁置換とメイズ手術をミックス法で受けた患者さん

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ミックス手術つまり小さい皮膚の創で患者さんへの負担が少ない、小切開低侵襲手術はこれまでのところ、限られた数の病院で、しかも一部の比較的簡単な心臓手術にしか使われていないという傾向があります。

IMG_5568bたしかにミックス手術は視野が限られるため、あまり大きな手術には不向きと言う意見も一理あります。

しかしミックス手術が安全にできる範囲内で、なるべく多くの患者さんたちにその恩恵が届くように、という努力を私たちは続けています。

つまり簡単な手術の、それも若い患者さんだけでなく、より複雑な心臓手術それもより高齢の患者さんにも安全にできるミックス手術を推進しています。

下記の患者さんは60台半ばの女性で、二弁が硬く狭くなっており、しかも心房細動になっておられたため、二弁置換とメイズ手術という、比較的大きな手術を希望して来院されました。

大学病院ではミックス手術などありえない、そんな必要はないといわれてのご来院でした。

 

ミックス手術は不慣れな心臓外科医が行うには多少とも危険な手術です。しかし熟練した外科医が、快適にやれる場合は前向きにやるのが良いと考えています。

それは手術のあとの痛みが少なく、運動もしやすいため術後肺炎や静脈血栓症などの合併症も予防しやすく、早く普通の生活や仕事にもどれるためストレスが少なくご家族の負担も軽くなるから良いのです。

美容上のメリットつまり夏服でも創が見えない見えにくいというのは確かに大きなメリットですが、それは結果にすぎません。

ミックス手術のほんとうにあるべき姿を見失わない、これが大切なのです。

患者さんは二弁ともきれいに作動するようになり、心房細動も治りました。

多数の弁形成手術の経験から、こうした弁がカチカチに硬化・肥厚した弁で比較的ご高齢の場合は複雑な弁形成よりも生体弁が有利なことが多々あり、内容的にも良かったと思います。

 

*********患者さんからのお便り*************

米田正始先生

22日に2弁の置換、心房のメイズ手術をしていただいた****です。
 

退院の翌日、6月3日の録画をみて、”私もこんな大変な手術をうけたと
自分の心臓をいとおしく思いました。

今日はじめてPCを開きました。”いい心臓、~”からその録画が先生の
ホームページにUPされているのを知り、もう一度みました。

セカンドオピニオンは”患者の権利”とはいうものの、とりづらいものです。
とくに私は3年間受診し、手術を前にしてのことでした。

でも何かに導かれるように米田先生に出会うことができ、本当に幸運
だったと思っています。

手術後、先生が”自分の症状を調べ、勉強したごほうびです”とおっしゃってくださいました。うれしかったです。

北村先生、深谷先生、木村先生の朝の回診。いつも笑顔で・・・色、形は
ちがいますが・・・どんな質問にも応じて下さいました。患者が心待ちにしている
回診、それまでの私の回診のイメージとは全くちがいました。

手術後、まだつらい時に夫の命日を迎えました。

暗い部屋の中で、涙を流していると、やさしく声をかけて下さった看護士さん。

18日間の入院中、たくさんのみなさまにお世話になりました。

心よりお礼申し上げます。

9月11日

****

 

Ilm09_ak02018-sご主人さまの命日のお話を知ったとき、ジーンと来ました。

つらい中を本当によく頑張って下さったと思います。

これからご主人の分も楽しく元気に暮らして下さいと願わずにはおれません。

支えになってくれた看護師さんにも感謝しています。

 

上記のお便りをいただいてから、その掲載許可をお願いしたところ、以下の追加のお便りを下さいました。ありがとうございます。

 

********** 追加のお便りです **********

米田正始先生

先生のホームページに掲載の件、私の経験がお役に立つのであれば
うれしいことです。

私は、手術は大学病院でするものと思っていましたので、ハートセンター、
米田先生についての知識は全くありませんせした。

先生が広く情報を発信してくださっているおかげです。

そしてコネもないのに快く受け入れてくださいました。

これは独り言です・・・患者にとってメリットばかりのMICS、どうして名古屋の
大学病院では無理なのでしょうか? 旧態依然???

今、”患者さんの会のご案内”読ませていただきました。

おもしろい、楽しそうな演題なので、ぜひ参加したいと思います。

9月12日


**********************

いつしか時間が経ちました。 Sirayuri

外来でお元気なお姿を拝見するたびにうれしく思っています。

前向きの姿勢で楽しい生活をお送りください。

そうこうしているうちに2年あまりがたち、お正月にメールマガジンに対してお返事をWEB経由で頂きました

海外旅行楽しんできてください

******* 2年後にいただいたメールです ******

 

57号読ませていただきました。 お便り72コメント

私は2012年8月に名古屋ハートセンターで、2弁置換とメイズ手術を先生にしていただきました。

すっかり健康になり、水泳、ゴルフ、旅行と元気に過ごしております。

手術の傷痕を見なければ手術したことを忘れるほどです。先生のおかげで大学病院で言われた半分以下の創ですみ、普通の夏服や水着が着られます。

大学病院で手術も決まっていたのに、先生にお会いでき不思議な気がしております。

幸運でした。

5日からスリランカに行ってきます。

ここに書くのは場違いと思いますが、お許しください。先生のご健康をお祈りします。

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こうした楽しいお便りを頂けるのはほんとうにうれしいことです。

なお米田正始は2016年8月から医誠会病院で心臓手術(外来は仁泉会病院でも)をしています。

メールマガジンはこのホームページの右段にご案内がございます。

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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