お便り28 (エホバの証人の患者さん)冠動脈バイパス手術でマラソン復帰へ

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Sexmc009-s 信仰はそのひとにとっては命です。

これは私が天理よろづ相談所病院のレジデント(研修医)のころ、

当時院長だった柏原貞夫先生から教わった言葉です。

さらに当時の指導者であった今中孝信先生らから

病気を本当に治すためにはその病気や臓器だけでなく

その患者さんの全体、ひととなり、

さらにそのご家族や社会まで考えることを教えられ、

できるところから実践して来ました。

 

この考えは国内だけでなくその後海外での心臓外科臨床修練の際にも多くの患者さんのお役に立ちました。

 

 

お便り17

にもありますように、エホバの証人の信者さんは、宗教上の理由から輸血を受けられません。

治療するものとしてはこれは大変つらい、困ったこともあります。

輸血さえできればこの患者さんはすぐ元気になれるのに!という状況にはしばしば遭遇します。

しかし技術やくふうでできるだけ患者さんの夢を叶えることができるようにと念じて日々努力して来ました。

 

 

Wor1009-s 下記はお仕事のためシンガポール在住のエホバの証人の患者さんからのお便りです。

シンガポールには畏友CN Lee先生やHS Saw先生はじめ立派な心臓外科医がおられるのですが、

十分な下調べや勉強ののち日本のハートセンターに私を信じて来院して下さったことを光栄に思います。

 

手術は両側内胸動脈と1本の静脈グラフトを用いた4本バイパスで順調に完了しました。

冠動脈バイパス手術のあとはカテーテルによるステントと比べて強い薬も不要で、

スポーツなどにも向いており(お便り22 をご参照ください)、

患者さんの長生きと生活の質の向上の両方に貢献します。

 

重症の狭心症、冠動脈狭窄でしたが、

オフポンプ冠動脈バイパス術にて安全に、かつ問題なく元気に回復され、

シンガポールに戻られました。その患者さんからのお手紙です。

なおその1年半後、天皇陛下もオフポンプ冠動脈バイパス手術を受けられました。それへの感想を2つ目のメールとして戴きました。

それも記載させていただきます。

***************************************

米田正始様、スタッフの皆様、

 

この度は、米田先生を始め、深谷先生、北村先生、小山先生また担当看護師の皆様、本当にありがとうございました。

 

私は、8月3日、妻と共に無事シンガポールに戻ることができました。

冠動脈バイパス術という簡単ではない手術を、私の信仰上の理由から、無輸血という方法で実施していただくことを快く引き受け、無事成功させてくださったことに、言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。

思い返せば、マラソンを完走するため日々トレーニングに励み、健康だと思っていた体に、突然、心臓の血管が詰まっていると知らされたときは愕然としてしまいました。

その後、精密検査を受ける中で、バイパス手術が必要と知らされたときには、言いようもない不安に襲われたことを、今でも鮮明に思い出します。

 

私はエホバの証人で、聖書の教えによって体外からの血液を受け入れないことを信条としており、無輸血手術という条件の下で施術していただくことができる医療機関を探すことも挑戦となりました。

シンガポールの医療機関では、この条件に同意していただくことが難しい状況でしたので、知人の紹介なども受けつつ、インターネットで検索していたときに、偶然、米田先生のHPにたどり着き、私たちの信仰に対する先生のご理解に感銘を受け、早速、失礼ながらE-Mailでコンタクトさせていただきました。

さぞかし多忙を極めておられる先生だろうと思い、返事がすぐに返ってくることは期待せずメールを出したのですが、ものの1時間とかからずに返信メールが届き、私たちのような遠距離の患者に対する対応にも感激し、即座にこの先生にお願いしようと決意しました。

その後何度かのメールでのやり取りの後、実際に先生にお会いして、さらに信頼が深まり、安心してお願いすることができました。また、ご担当いただいた深谷先生、北村先生、小山先生からの回診時の励ましや、看護師さんたちの親身になったお世話により、”医は仁術”ということを実感しました。

現在、私は仕事に復帰し、徐々に運動量を増やしてマラソンに再挑戦する準備もしたいと思っております。

最後になりましたが、ハートセンターが私たちのような信条の患者にも開かれた医療機関として、今後もますます発展されますように祈念しております。

皆様への敬愛と感謝をこめて、

2010年8月8日


***********天皇陛下が冠動脈バイパス手術を受けられることになってメールを下さいました**********

 

米田正始様、

米田先生、いかがお過ごしでしょうか。
大変ご無沙汰いたしております。

先日、1月23日にシンガポールから一時帰国し、ハートセンターで、定期健診を受けました。治療していただいた冠動脈と心臓、血液については問題ないとの診断をいただき、安心しました。

先生にお会いするはずだったのですが、緊急手術のようだったので、お会いできずその点は残念でしたが、代わりに深谷先生とお会いすることができました。

先生に是非お見せしたかったものがあり、持参したのですが、深谷先生に見せました。フルマラソンを完走した証しのTシャツです。

ところで、今日ニュースを見ていますと、天皇陛下も冠動脈バイパス手術をされるとかで、判断の理由となったのは、ご公務を果たし、テニスなどの楽しみも続けられるように、今後の生活の質を維持するためとのことでした。

私も先生から生活の質(仕事や運動量)を維持するためにはバイパス手術が最善というご説明をいただき、フルマラソンを完走できるまでになったことを、本当に感謝しております。

これからもわたしたちのような疾患を抱えたものが一人でも多く助かり、普通の生活に復帰できるように、先生方の益々のご活躍を祈っております。

 

平成24年2月12日

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り27 収縮性心膜炎の患者さん

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患者さんは50歳男性で

難治性心不全のため大阪から名古屋ハートセンターまで来院されました。

 

ことの起こりは次のようなお手紙(①)を患者さんのお母様から頂いたことでした。

心筋炎後の心筋症のため心不全に陥っておられるものと拝察し

早速名古屋まで来て戴きました。

その段階では場合によって僧帽弁形成術左室形成術などが必要かも知れないと考えていました。

 

検査の結果、重度の収縮性心膜炎であることが判明し、

まもなく手術を行いました。 Ilm10_de01003-s

 

心膜は厚さが1cmにもなるほど肥厚しており、

それも心臓の前後左右ともで、収縮性心膜炎の中でもかなり重い状態でした。

患者さんはほとんど動けないほどになっておられました。

 

手術ではオフポンプ冠動脈バイパスの方法を用いて体外循環を使わず、

肥厚した心膜を徹底して剥離・切除しました。

横隔膜面の心膜も病変著明だっためこれも切除しました。

 

その結果、収縮性心膜炎はほぼ解消され、心臓の性能は大きく改善しほぼ正常レベルにまで回復しました。

患者さんの症状が軽快しお元気になられたのは言うまでもありません。

術前の硬いご表情が柔らかな笑顔に変わったのが印象的でした。

 

退院後に患者さんのお母さんからまたお手紙を頂いたのが②です。

簡潔なお手紙のなかに心のこもったものを感じ、うれしく思いました。

 

*******************************

お手紙①

 

前略 突然のお手紙お許し下さいませ。

昭和35年生まれの長男が平成20年1月、急性心筋障害の為3ヶ月の入院、その時心臓の働きは健常者の2分の1ですと云われ多量の薬を服用して現在に至って居ります。

ダラダラ歩きは良いのですが、普通の速度ですと5分もしないうちに胸が苦しくなり顔は黒くなります。又、目の前が暗くなり座り込む事も有ります。

米田先生の事を知りまして、すがる思いでペンを取りました。私母74歳、母ひとり子ひとりですので私の元気なうちになんとか手術をして軽い仕事にでもつかせたいと願うばかりです。本人も強く望んで居り、希望が見えてきたように明るくなっています。

どうぞよろしくお願い申し上げましてペンをおきます。

米田先生御手許へ

*******************************

お手紙②

お便り27の実物写真 前略 退院の日はオペ室に入られたとのこと仕方なく帰って参りました。
本当に有難うございました。

帰路桜散る名古屋城の桜並木を歩いておりまして、気がつけば長男が先を歩いて居りまして、声をかけると本人も後ろを歩いている親を見て驚き感激して植込みに散り積もった桜の花びらを両手いっぱいにして頭からふりかぶって居りました。

外見とのギャップがありすぎて苦笑やら泣き笑いでございました。

18日はお伺い致しますが、お忙しい先生のこと必ずお遭い出来るとは限りませんのでお手紙致しました。
くれぐれもご自愛下さいますように。

米田先生御手許へ

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お便り26: メイズ手術の患者さん

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患者さんは40代の男性で、

以前に関東の大学病院で、

肺動脈弁狭窄症心房中隔欠損症(ASD)および心房細動への手術(いわゆるメイズ手術)を合計2度にわたって受けられました。

心房細動が難治性で手術でも治らず、

それを治して下さいと希望してハートセンターへはるばる来院されました。

 

このホームページの弁膜症のページなどでも論じていますように、

心房細動は近年、長期死 Hana_16 亡率の高い、予後の悪い疾患であることが認識されるようになりました。

それは心房細動が心房内に血栓を造りやすく、

それが壁から外れて血流に乗って脳に届くと脳梗塞になるからです。

たとえば野球の長嶋さんやサッカーのオシムさんらのように。

 

そこで心房細動の患者さんにはワーファリンという血栓予防のお薬を用いて対処するのですが、

ワーファリンは切れ味の鋭い薬で、

毎月病院へ通って血液検査を受け、薬の量を微調整することが安全上必要という、

患者さんにとって負担の大きい薬でもあります。

しかもワーファリンを飲んでいても、

時に脳梗塞や脳出血なども起こることがあるという困った状態なのです。

 

この患者さんは昔からよく勉強しておられ、

私たちが普通のメイズ手術では治せないような心房細動でも新しい術式や工夫で何とか治していることを知って、

心房細動をぜひ治してほしいと希望して遠方からお越し頂いたわけです。

 

外来で調べますと、上行大動脈が拡張して瘤になっていましたので、それだけでも手術が必要な状態でした。

一般に心房細動単独で手術することはほとんどないのですが、

他の心臓・大動脈の手術が必要ならそれを治すついでに心房細動も治すというのはガイドラインでも認められていることですので、

手術することになりました。

 

3度目の手術のため、いつもどおり丁寧に癒着(心臓と周囲組織が貼りつきます)をはがし、

それから上行大動脈を人工血管で置換し、

強化メイズ手術(心房縮小メイズ手術)を行いました。

術後経過はスムースでまもなくお元気に退院されました。

今回のメイズ手術は威力を発揮し、無事心房細動も正常リズムに戻りました。

 

以下はその患者さんからのお便りです。

特定の病院等の批判になってはいけませんし、

患者さんに迷惑がかかるのは避けたいものですから、

固有名詞は一部省略してあります。

表現は褒めすぎのところも多々あり、私はそれほどのものではありません。

ただ患者さんの苦悩を何とかしようと努力する執念が人一倍強いだけと思います。

 

より強力なメイズ手術もそうした気持ちから生まれたもので、発表して5年ほど経ちますが、

最近は欧米の学会等でも評価され始め、うれしく思っています。

 

 

******************************

私は、4*年前、先天的に心臓に奇形がある未熟児として、東京に生まれました。

 

当時から心臓の権威と言われていた、**大学病院(以下大学病院)で診察を受け5才までの成長を待ち、

昭和44年に1回目の心臓外科手術が行なわれました。

病名は、肺動脈弁狭窄でした。

心房中隔欠損も認められましたが、成長に従って閉じるであろう。と言う判断から放置されました。

 

Carnation_1 その後、母が心臓病で他界し、父が私を育ててくれました。

私は自分のハンディに負けまいと努力を重ね、美大のグラフィックデザイン科から最大手広告代理店に入社し第一線の現場で10年以上働きました。

その後一人息子と言う事情もあり実家に、

戻り鍼灸師と整体師の資格を取得して治療家の道を歩み始めました。

 

しかし長年の無理のせいか、私の心臓はとても悪い状態でした。

ついに平成20年6月私は急性心不全を起こし、大学病院に緊急入院しました。

検査の結果、慢性不脈脈があり、心房中隔欠損は1cm以上開き、

右心房と大動脈は拡大し、左心室は小さくなっていました。

 

経食道エコー検査では、左心耳のくぼみに血栓が見つかり、

血栓が完全に解けないと手術はできないと言うことで、

1年に渡るワァーファリンの治療が始まりました。

 

翌平成21年7月、2回目の胸部大手術が行われました。

目的は、中隔欠損の閉鎖と不整脈根治のためのメイズ手術でした。

東京ではこと心臓において同大学病院が日本一の病院であると、多くの人に信奉され、

実際多くの心臓病患者は同病院に頼るのが現実です。

 

私たち親子も、必ず手術は成功し、治ることを信じていました。

病院側も最大の努力はして頂いたと思います。

当初、手術は成功に見え、チアノーゼもなくなりました。

しかし、不整脈は残りました。

2度のDC(除細動)を行いましたが、治りませんでした。主治医は、私にワァーファリンを飲み続ける事、将来ペースメーカーを入れる事を進めました。

私は、将来を悲観し深く絶望してしまいました。

人はどんな境遇でも生きなければなりません。

しかし、なぜ自分だけがという無念の思いは、多くの心臓病患者に共通するものだと思います。

 

退院後、悩んでいた時、知人から名古屋に心臓外科専門の病院がある事を聞きました。

大学病院でも治らなかった、今の私の病気を本当に治して頂ける先生が居るのだろうかと、私は、藁をもすがる思いで、インターネットを検索していました。

そして、名古屋ハートセンターを見つけたのです。

そのホームページにあった米田正始先生の聡明なお顔を見て、私の胸は、不規則ながら高鳴りました。

先生のメイズ手術における論文や、輝かしい経歴を拝見しながら、

この先生なら私を助けてくれるかもしれないと思い、

父に相談すると早速、連絡する事を、承諾してくれました。

名古屋ハートセンターに電話すると、

担当の看護師さんが、米田先生の外来の日を速やかに決めて頂き、

先生にお会いすることができる事となりました。

私は茨城県に住んでいましたが、

先生に会うためにはどんな距離も厭わないと、名古屋行きを決めていました。

 

同センターの最新のCTなどの検査機器での検査後、初めて米田先生のお話を聞くことになりました。

先生は、私の画像データを見ながら、

一般に行なわれている簡易型メイズ手術と本物のメイズ手術では、その成績に差があると話され、

メイズ手術開発者のアメリカの先生と、この問題について議論されるそうです。

ですから名古屋ハートセンターでは、米田先生が本物のメイズ手術を行う事ができるので、

殆どの確率で心房細動を取る事かできる。とおっしゃっていました。

 

更に、先生は、わたしの拡張した上行大動脈瘤の将来の危険性を指摘され、

人工血管に置換する事を勧められました。

先生はこれらの話を、気さくにごく自然に話され、私は夢でも見ている心境でした。

同時にこの時、私の最後の救世主は、米田先生以外にいないと確信しました。

時期を見て、父との面談も経て、先生は心よく執刀を約束してくれました。

先生は、京都大学教授時代から日本を代表する心臓血管外科の名医として知られていた方で、

私は本当に幸運な患者の一人だと思います。

 

平成22年3月31日、私は三回目にして、

大学病院では治らなかった心房細動を治すための新メイズ術と、

最難関心臓血管外科手術と言われる大動脈瘤置換術を、

名古屋ハートセンターで、米田先生の執刀により受ける事となりました。

 

そして、集中治療室で、目を覚ました時、手術が成功した事を聞かされました。

 
米田先生からお父さんに電話してあげなさい。と言われ電話すると、

父は、嬉しさで号泣していました。

米田先生の優しさと偉大さには、心から感謝しています。

その後度々、先生が回診に来られ、私は順調に回復して行きました。

 

私は、大学病院と、米田先生の新メイズ術にどのような技術的な違いがあるのかわかりません。

しかし、はっきり自らわかる事は、拍動が以前より安定して、自分は助かったという実感につながったと言う事です。

あのままでは、一生薬を飲み続けなければならず、いつ脳梗塞になるかわからない、と言う状態から、

米田先生の手術で、健常者に近い状態にして頂いたという事です。

 

私は、幸運な偶然と皆様のお陰で、先生の手術を受ける事ができました。

しかし、全国の多くの心臓病患者は、先生の様なスーパードクターの存在をもっと知る必要があり、

心臓血管外科などの高度な専門医療おいては、

一般の社会通念では理解できない、技術に差がある現実を知る必要があると思います。

 

開かれた高度な日本の医療の発展と実現のために日々努力される先生方に対し、

我々患者も社会も国も深く理解を示し、敬意を持つ事が大切です。

米田先生も、日々後進のご指導にご尽力されている事と思いますが、

この分野において一人でも多くの経験豊かな先生の様な、名医が育つ事を、一患者として願ってやみません。

 

最後に私の治療のためにご尽力頂いた、米田先生はじめ若き先生方や、

ハートセンターのスタッフの皆様に心より感謝を表し、

私の手記とさせて頂きます。

本当にありがとうございました。

 

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執筆:米田 正始
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お便り25 連合弁膜症の患者さん

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患者さんとのお付き合いの中で信頼を得ることは医師医療者としてもっとも大切でうれしいこ 和歌山県の花です とです。

私個人の信頼のバロメーターとして、

かつて手術した患者さんのご家族が心臓手術が必要となったとき、

自分たちの病院へ来て下さるかどうかを重視しています。

 

下記の患者さんは以前に3度目の手術のため和歌山県から来て下さった患者さん(お便り5の方です)の奥様です。

奥様も連合弁膜症にかかられ、是非にということでハートセンターまで来て下さいました。

この信頼関係を私たちは大変うれしく光栄に思いました。

一見お元気そうでも、精密検査しますと心臓への無理がかなりかかっており、

近い将来状態が悪化することが明らかになりました。

連合弁膜症の名が示すように、複数の弁が壊れており、心臓やからだへの負担が普通の弁膜症よりも大きいのです。

 

日米のガイドラインでこれは手術が勧められるというレベルに達していたため、手術をお勧めしたわけです。 

 

以下の3つはその患者さんのご家族からのメールです。許可を得て掲載いたします。

********** 以下は手術直後のメールです **********

米田先生御机下

お世話になっております。23日の手術が無事終了し、有難うございました。手術では思いがけない血管病変があったようで、私たちの中で母のリウマチについては記憶が薄れていましたので情報としてお伝えできず申し訳ありませんでした。

12,3年前に白血球数と炎症反応が高く精査したところリウマチ疑いの診断をうけ、特に治療はしていませんでしたので、そのままとなっていました。昨年の父の手術に続き今回の母の手術に関してもハートセンターでお願いできてよかったと家族で喜び、感謝しております。

3月27日、28日に面会に行きましたが、手術後4日目にして元気な姿に驚きました。少し声が出にくいと聞いていましたが普通に話ができ食事もおいしいと言っておりましたし、28日には5階へ部屋替えとなり安心しました。

また、*先生へのご配慮も有難うございます。27日に父が帰省し*先生に受診した時に、米田先生から連絡があったと話されたようです。

これからも、よろしくお願いいたします。

********** 以下は退院時のメールです **********

米田先生御机下

今日、母親が無事に退院ことができ、本当に有難うございました。昨年の父親に引き続き、米田先生をはじめ先生方や看護師の皆様には家族全員が感謝をしています。

昨年の父親は3度目の手術でしたが、体調も悪く手術を迷うことはありませんでした。しかし、今回の母親は体調も日常生活に支障がない程度でしたので先生からの診断を受けるまでは将来的に手術を考えていましたが、早い時期での手術の大切さを聞いて手術をすることにしました。

手術では予想外の病変があって難しい手術になったそうですが先生方のおかげで予定通りに終えることができました。

心臓手術という大きな手術を二人が受けて、ともに元気になり、退院できたことは家族にとって本当にうれしいことです。これからも夫婦でハートセンターにお世話になりますがよろしくお願いします。

********* 以下は退院2週間後のメールです **********

米田先生御机下

退院して2週間がたちましたが、体の痛みも軽くなり母親の体調は順調に良くなっているようです。

電話の度に手術をして良かったと言っており、27日に名古屋に行くための切符を買うなどの準備をして活力も出てきています。
19日には*先生に受診をしてワーファリンが中止となりました。

父親と母親の二人の心臓手術が無事に終わり、おかげさまで二人とも元気になりました。特に母親は心臓以外に特に悪いところがなかったせいか二つの弁置換、一つの弁形成という大手術でしたが回復の早さに家族も驚きました。

これも米田先生をはじめハートセンターのスタッフのみなさまのおかげだと感謝しております。

 

HPの件は父親の時と同様、 先生のお役にたつことでしたら使って頂き、少しでも他の患者様、そのご家族の方々が私方のような思いを共有する事ができたらと思っています。

27日に受診をしますが、これからもよろしくお願いします。

********* 以下は退院半年後のメールです **********

米田先生 御机下

御無沙汰しております。3月の母の手術から半年が経過しました、おかげさまで体調も良く、元気を取り戻しています。9月の20日、21日に両親と私の家族と5人で京都へ行ってまいりました。

和歌山と京都は近いのですが、二人とも奈良、名古屋の病院には縁があっても旅行には縁がなかったようで、?十年ぶりにもう一度京都に行きたいとのことで今回の旅行に乗り気となっていました。

これも、今は二人とも体調がいいからそういう気持ちになったんだと思い、先生に願いして良かったとつくづく感謝しております。

旅行の計画を始めてからは、二人とも2カ月近く、毎日夕方に紀ノ川の河川敷でウォーキングをして準備をしていたと聞き楽しみにしてもらえたことをうれしく感じました。また、利尿剤服用中の不安もあったようですが、問題もなく安心したようでした。嵐山はトロッコ電車から人力車にのり緊張したようです、清水寺の階段が心配でしたががんばっていました。

今回のような親孝行ができたのも、父親についてはもちろんですが、母親の早期の手術をすすめて頂いたことのおかげだと思っています。両親が体調がいいと喜んでくれると、手術をすすめてくれた米田先生、それを受け入れてくれた三浦先生の2人の先生に出会えてよかったと話しています。親孝行をさせていただきありがとうございました。お忙しいところ、ずうずうしいとは思いますが写真をみて頂けると嬉しいです。

先生のご健康と、ますますのご活躍をお祈りしています。

 

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お便り24 IHSS(大動脈弁下狭窄症)等の患者さん

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患者さんは80歳女性で、

高度の大動脈弁狭窄症(AS、つまり大動脈弁が狭くなります)、

冠動脈3枝病変(心臓へ血を送る血管が詰まっています)、

特発性肥厚性大Health_0048動脈弁下狭窄症(IHSS)

しかも脳出血後の状態で来院されました。 

ここで特発性肥厚性大動脈弁下狭窄症というのは、略称IHSSとも呼び、

弁の下の筋肉が張り出して血が流れにくい、危険な状態です。

重症では突然死されることさえあります。

肥厚性閉塞性心筋症HOCMと同じ意味でつかわれることもあります。

 

患者さんは脳出血の後で車いす生活でもあり、私は手術をやや消極的に考えていましたが、

車いすの上で意識が薄れる発作が出現し、

いのちが危険な状態となったため、

患者さんやご家族と相談のうえ、

危険回避のために手術することにしました。

 

手術は大動脈弁置換術(AVR)

冠動脈バイパス手術(CABG)

左室流出路異常心筋切除を行いました。

術後経過も順調で意識が薄れることもなくなり、お元気に退院されました。 

その後はお元気に楽しい生活を送っておられます。

 

手術前、脳出血の後遺症がある中を、生きるために自らじっくり考え、決断し、

手術を受けますと言って下さったときの毅然としたお姿が今も脳裏に焼き付いています。

 

ある程度の高齢者の患者さんの場合は、

心臓手術のような大きな治療を手控える傾向が患者さんにもご家族にも社会全体に感じます。

とくに公的病院では手間のかかるケースやリスクの高いケースを安全管理委員会の名で断ることがよくあると言います。

しかしこれほどしっかりした患者さんなら、

手術後の充実した人生を有意義に過ごして頂けると思いましたし、

その通りになったように思います。

 

その患者さんのご家族からお礼のお手紙を戴きました。以下に掲載します。

 

 

****************************

謹啓

お便り24の実物写真 春寒しだいに緩む頃、益々ご健勝のこととお喜び申しあげます。
さて、このたびは心臓弁膜症の手術に際しまして大変お世話になりました。

 

今まで足腰以外に悪いところはないものと思っておりましたのに、二月の初めに検査にて、**病院の**先生に「心臓弁膜症です。すぐに手術をしたほうがよろしいですよ。しなければあと数年です。」と突然言われまして、どうしてよいか分からずに、目の前が真っ暗になり、相当ショックを受けました。

八十歳と年齢も高く足腰も悪いのでとても手術なんて無理と思い、また手術に対する恐怖もありまして不安でいっぱいでした。

そのような時にご紹介いただきました。

米田先生の「大丈夫ですよ。元気になれますよ。」と暖かく優しく力強いお言葉に励まされ、急なことで心の準備もできませんでしたが母も手術を決心することができました。Hana_9

米田先生をはじめ他の先生方のおかげで手術も無事に成功し、命を永らえることができましたことは言葉では言い表せないほど感謝申し上げております。

「先生は命の恩人です。生かしていただいた命を大切にしたい。」と母も心より喜んでおります。今後は療養に努め焦らずゆっくりと元気を取り戻し、楽しい余生を過ごすことができればと思っております。

米田先生、本当にありがとうございました。書面にて失礼ながら今後ともお世話になります。なにとぞ宜しくご指導賜りますようお願い申し上げます。

謹白

平成二十二年三月七日

 

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お便り23 僧帽弁置換術の患者さん

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患者さんは鹿児島在住の40代の女性です。

 
20年近く前に地元の病院で僧帽弁狭窄症に対して僧帽弁交連切開術を受けられました。

Tutuzi房中隔欠損症への手術も合わせて受けられました。

 

その後お元気にしておられましたが、僧帽弁は次第に再狭窄(せまくなることです) を起こし、

さらに三尖弁閉鎖不全症や慢性心房細動AFも合併したため

2度目の心臓手術が必要と言われました。

2度目の手術はご自分の納得行く病院でと考えられ、

熟慮のうえで名古屋ハートセンターまでご来院されました。

 

そして手術(僧帽弁置換術三尖弁形成術そしてメイズ手術)を受けられ、

心不全はもとより不整脈(心房細動)も治り、順調な経過で退院されました。

 

近年は狭窄といえどもなるべく弁を形成するようにしていますが、

この患者さんの場合は僧帽弁が石のように硬くなっていたことと、これで最後の手術にしようという考えで、僧帽弁置換術を行いました。

 

私たちは患者さんがじっくり納得行くまで調べ、

そして私たちの治療を求めて遠方からお越し下さったことを光栄に思い、

チーム全員、張り切って手術と治療をさせて頂きました。

遠方からも多数の患者さんが来て下さいますが、

距離のハンデを埋めるべく一層の努力をしています。

治療前からお互いの信頼関係があるとき、医療はスムースに進みます。

医療の原点と思います。

 

以下はその鹿児島の患者さんからのお手紙です。

 

*********** お手紙 ***********

 

米田先生、北村先生・深谷先生・小山先生、スタッフの皆さま

お久しぶりです。

手術の時は大変お世話になり有難うございました。

手術する前は、階段を上がることもできず主人に背負ってもらいながら周りの冷たい視線を気にしていたものでした。

 

今は、手術が無事に終わった喜びと、自分が正しい選択「病院」が出来たことへの満足の毎日です。

私は、今回2度目の開心術でした。

同じように心臓病で悩んでいらっしゃる方にとって、少しでも参考になれたらと思い、今までの経過を書いてみました。

 

最初の手術は1992年、地元の病院で受けました。

生まれつき心臓に穴があいている「心房中隔欠損症」と「僧帽弁狭窄症」で、

手術は無事成功して元気に過ごしていました。

 

今から5年前(2005年)、「心臓粗動」という不整脈になり、

カテテーションアブレションで根治手術を受け、

その時の説明の中で「僧帽弁狭窄症」は軽症という診断でした。


不整脈が治った喜びもつかの間、3年後(2008年)、

「心房細動」という不整脈になり手術が必要と言われました。


手術を受けるなら再手術の危険性も考えて自分で納得できる病院を見つけようと思いました。

大学病院の先生に手術の事を相談し、

ハートセンターへの紹介状を書いてもらいました。

私の住んでいる所から遠い病院です。

 

米田先生のブログを目にする機会があり、

先生の医療に対する取り組み、考え方に感動して、

まだ会ったことのない米田先生への尊敬の気持ちから手術をするならこの先生にお願いしたいと思ったからです。


「弁置換(僧帽弁置換術)なら手術方法にたいした差はないですよ」


「メイズ手術もこれくらいの心臓の大きさなら縮小手術はしませんよ」

 

そう言われてはいたのですが、不安な気持ちの中、初診で初めて米田先生にお会いした時、私達夫婦の「お願いします」という言葉に「はい、解りました」と答えてくれた米田先生の言葉でほっとしたのを今でも覚えています。


手術説明も解りやすく丁寧に話してくださり、

不安な気持ちも半減し安心して手術を受けることができました。

 

術後はスタッフの親切丁寧な看護のおかげで経過も良く、

日ごとに体調も回復していきました。

それと院内がとても明るく綺麗で、快適に入院生活を過ごすことができ、

また隣にマックスバリューもあり買い物とかも非常に助かり便利でした。


これからは塩分・水分の制限に気をつけながら毎日過ごしていきたいと思います。


有難うございました。

これからも宜しくお願い致します。

平成22年4月

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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第7回患者さんの会のご報告と御礼 (新しい糖質制限食ダイエット法なども)

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皆さんこんにちは

本日、3月7日日曜日にいつもの祇園ホテルにて第7回患者さんの会を開いて頂きました。

最近暖かい日が多かったのですが本日は雨でしかも寒く、あまり良い日ではなかったのですが、60数名の患者さんとご家族がご参加下さり、会場は満杯になりました。

今回は新しい科学的ダイエット法であるローカーボ・ハイファットダイエット(糖質制限食)つまり低炭水化物・ダイエットはこれまではカロリーを減らすことが中心でした。それも大切ですが、カロリーの内容やバランスも重要であることが知られつつあります 高脂肪食ダイエットの実際をご紹介しました。春日井の名開業医・灰本先生(灰本クリニック)の7年以上のご経験から教えて頂き、すでに私自身で、あるいは私の患者さんや友人でも実績のある方法ですので、実際の経験談を交えてお話しました。

体重が減り、中性脂肪が大きく減り、善玉コレステロールが増え、血糖値も改善した実際のデータに大変反響ありました。今後、心臓病、糖尿病、高脂血症、動脈硬化、脳梗塞、腎臓病、膝関節症、その他さまざまな方々のお役に立つことを期待しています。

実際、以前に私の心臓手術を受けて戴き、その後も心臓は快調ながら太りすぎがもとで内臓に変調をきたし体調が今一つの方もおられましたので、そういう方には大きな福音になると思います。

また4年前に左室緻密化障害という病気に世界で初めて左室形成術を行わせて頂いた患者さんもご参加下さり、お元気な姿で皆さんのご挨拶戴きました。この患者さんの手術報告はアメリカのトップジャーナルにも掲載(英語論文194番)され、その後多数の左室緻密化障害患者さんのお役に立っています。皆さんの拍手とともに、ありがとう!と叫びそうになりました。

一緒に勉強される患者さんたちです。Q&Aの時間にはさまざまなご質問やお話を頂きました。一体感のある和やかなひとときでした。 また数年前に大きな手術を受けて下さった大阪在住の患者さんのご家族がご参加下さり、最近とつぜん誤嚥性肺炎で危篤状態となり、私に緊急の電話をされ、それから急遽、私の友人で実力派内科医の近隣の先生にお願いし、危機的状況を無事脱したことをご紹介下さいました。遠方にいても連携プレーで命が助かる、医者冥利のような話しで、こうした形でも皆さんのお役に立てれば幸せと思いました。

こうした経験の中で患者さんご自身やご家族はチーム医療の中心部にある重要メンバーであることを改めて感じます。通常、チーム医療には患者さんは対象であってもメンバーではないような扱いになっていますが、今後は患者さんの主体的参加が普通のことになるでしょう。

そうしたことを感じさせてくれた今回の患者さん会でした。いろいろご質問や御礼その他のありがたいお言葉を戴き、前回同様、世話人のひとり、全さんの手作りのケーキでお茶の時間を持ちながら和気あいあいと歓談できました。世話人の松岡さん、中村さん、ありがとうございました。

次回は9月ごろを考えておりますが、もう少し早目にして下さいという声も戴きましたので、世話人の皆さまとご相談し夏ごろを検討したく思います。

また皆さんのお元気なお顔を拝見できるのを楽しみにしています。

平成22年3月7日

米田正始 拝

追伸:かつて米田正始の手術を京都大学病院や康生会武田病院、医仁会武田総合病院、洛和会音羽病院などで受けられた患者さんやそのご家族・ご友人はどうぞ遠慮なくご参加下さい。ご連絡法はこのホームページに記載してあります。

 

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お便り22 オフポンプ冠動脈バイパス手術の患者さん

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狭心症・虚血性心疾患の治療には

食事や適度な運動療法、お薬から始まってカテーテル治療(PCI)さらに冠動脈バイパス手術とくにオフポンプ冠動脈バイパス手術であります。

冠動脈の重要部分が狭くなり胸の痛みが強く、あるいは痛みはそれほどではなくても心筋梗塞になりそうなときや命の危険があるときなどにはそうした強力な治療を考えます。

 

日本では手軽なことが受けてPCIが断然多いのですが、

オフポンプ冠動脈バイパス手術にも長所があり、うまく使い分けようというのが識者のご意見です。

 

前者は創も小さく回復も早いのですが、

この数年間多用されるようになった薬剤溶出性ステントは強力なお薬、抗血小板剤という血栓予防のお薬を使わないと心筋梗塞で突然死するケースがまれにあることが判り、

当初は3カ月間だけとか1年間だけという意見もありましたが、

最近は延々と使うケースが多くなりました。

その場合、がんの手術には支障があり得ますし、

たとえば大腸ファイバーでポリープ(がんの前の状態です)をせっかく見つけても普通のようにファイバーで軽く切除できないケースが多く、学会でも問題になり始めています。

もし34b出血すれば止めることが難しいからです。

前立腺がんや乳がんその他でも同様です。

つまり薬剤ステントは手軽で便利ですが新たな病気を抱え込むという一面があります。

必ずしも優しくない治療法という一面があるのです。

 

オフポンプ冠動脈バイパス手術は創は大きいですが、

あまり強力な抗血小板剤を飲まなくても良いですし、

必要なら全然飲まずとも行けますので、スポーツを楽しみたい方や山登りその他怪我をする可能性のある趣味や仕事の患者さんに適した方法です。

最近の欧米の大規模臨床試験(Syntax トライアル)でもしっかり治せる治療法として認識されました。

このSyntaxトライアルの4年後のデータでは、冠動脈バイパス手術を受けた患者さんはステントの患者さんより長生きできることが示されました。

また重症糖尿病慢性腎不全・血液透析などの方にも同様に役立ちます。

この特長はとくに人工の心臓を使わなくて済むオフポンプ冠動脈バイパス手術で際立ちます。

 

将来的には眼科や耳鼻科のように内科外科が融合した総合循環器科の中で個々の患者さんに最も適したものを選んだり組み合わせたり(ハイブリッド治療と呼び欧米では増えています)することが患者中心医療に役立つと思います。

近年、欧米で提唱されているハートチームですね。

こうすることで初めて的確な使い分けができるのです。

 

下記の患者さんは循環器内科の世界的権威である先生から、この人にはオフポンプ冠動脈バイパス手術が適切だよとご紹介頂いた患者さんです。

登山をはじめ、さまざまなスポーツを楽しむ、活発な方です。

手術のあと、安心して仕事やスポーツを楽しんでおられる姿をみて、大変うれしく思います。

 

*********************************

米田先生


私は2009年7月6日に名古屋ハートセンターで米田先生にバイパス手術をして頂きました。
一言感謝の言葉を伝えたくメールしました。
12月27日現在までの経過をお伝えします。


3年前にT病院でバイパス手術しか治療方法は無いと告げられてから、何箇所かの病院の診察を受けました。


T病院で「発作が出たら即、死です」と説明されていましたので不安と恐怖ばかりでした。
頭から離れない不安の生活を続け最後に決断できたのは名古屋ハートセンターでした。
お任せしようと決心してからは迷いは全くなくなりました。

7月3日入院
6日手術
21日退院


退院後で一番不安な時期は9月上旬から中旬の間でした。


寝返りするとき、日常生活の動作の中でいたるところに痛みが現れて、経過が良くないのかと心配が続きました。


その度に「手術後2ヶ月間は痛みがありますから」と米田先生に言われたことを思い出し焦る気持ちを抑えていました。


私独自のリハビリですが入院中は大部屋に移動した翌日から二階のフロアーを開院前後に一日一万歩から二万歩を目標に歩きました。


(我が家は二階が生活ベースなので退院する前に階段を練習したかったのですが病院の階段は段差が大きくてリハビリには無理でした。)


退院後は翌日から近くの天白川沿いを毎朝夕、2時間くらい歩きました。


そして初めての通院8月4日の翌日からスポーツジムに通いはじめました。
(ゆっくり、のんびり2時間くらい)


まだ胸を広げる動作は出来ないのでストレッチや下半身の運動から。エアロバイクでビックリ、手術前の負荷95が60でギブアップ。


それでも週に5日は通い続け(現在は負荷も90)生活の行動範囲も広くなっていきました。
(乗り物に乗り、人ごみに出る練習でこの期間は今までになく映画をたくさん観ました)

 

初めてのハイキング、軽い登山開始は9月26日、岐阜城のある金華山です。

(瞑想の小路を往復)自信を得た私は家族に元気になった姿を見せに上京。たくさんの人が喜んでお祝いをしてくれました。


その後は温泉旅行で元気になれた喜びを感じました。

 

11月には夫の釣りのお供で伊豆大島まで行き三原山を登山したり大島のなかを4日間歩き回ってきました。


その後、曽爾高原ハイキング、鳩吹山を5時間かけて縦走を何度か繰り返し、そして目標だった鈴鹿の鎌ヶ岳を歩いてきました。


回復した実感を掴み嬉しくてなりません。

 

そして12月8日に初スキー、12、13日は御岳で滑り、本格的なスキーも北海道で4日間雪の降り続く中で滑ってきました。


去年までの発作が出たらと思う不安は全くなく、スキーは上達しなくても、マイナス7~8度の寒さの中にいる自分が考えられないくらいでした。もう何でもOKです。


この元気な姿を回りに見せられることがとても幸せです。


心配をかけた人への感謝の気持ちを伝えられたらと思っています。

 

米田先生から紹介して頂いた平光先生は海外スキーも「折角元気になったのだから楽しんできてください」と言ってくれました。


「天にも昇る」そんな気持ちで有頂天になり、早速仲間のオーストリアスキーに参加申込をしました。
来年の1月30日から9日間楽しんできます。

 

入院中に見舞ってくれた友達には「二度とスキーなんかしたくない」と言っていた時から半年も過ぎないうちに「手術したのは去年だったみたい」と勘違いするほどになりました。

 

これ程の元気、幸せ、大切な命を贈ってくださった先生に心から感謝いたします。

米田先生の「祇園ホテル」講演(註:米田正始の患者さんの会のことです)にも参加したいと思っています。

 

私は今回の手術が最高な先生、スタッフ、まわりの人たちの温かい中で行われて今、とても幸せに毎日を送っています。


そしてチョッピリ勇気と頑張った自分を褒めてあげたいと思っています。

 

皆さん本当にありがとうございました。

まとまらないメールです年内に感謝の気持ちを伝えたくてお便りしました。

 

2009年12月27日  ****

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お便り21 僧帽弁形成術の患者さん

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心臓手術はミスが許されない世界です。

そのため心臓手術の一例目というのは大変な神経を使い、

しつこいぐらい十分な準備と少々のことでは揺らがないチーム態勢を整えて臨む必要があります。

しかしどんな病院でも開設第一例目の患者さんは必ず存在します。

 

2008年10月に名古屋ハートセンターを開設したときにも当然第一例目の心臓手術患者さんがおられました。

僧帽弁閉鎖不全症のため僧帽弁形成術が必要になっておられました。

もち62149b2dろん前もって患者さんにこの病院での第一例目ですということをお話しお許しを得て手術させて戴きました。

この患者さんは二つ返事で手術を承諾して下さいました。

そのご信頼に応えるべく、私たちはできる準備は何でもやるという方針で臨みました。

 

病院オープン直後のことですから、酸素やガスあるいは吸引などの配管の検査も専門家とともに全部自分で確認しましたし、

手術道具から人工心肺の器械まで実地予行演習を行い、手術シュミレーションも何度もこなし、

当日は豊橋ハートセンターからも1.5チーム分の応援部隊に来て戴き、

それこそ今日はいったい何例手術するのと聞かれそうなほどの態勢で臨みました。

 

そのおかげか、手術(僧帽弁形成術)はスムースできれいな結果が得られ、

患者さんは間もなくお元気に退院して行かれました。

必ずうまく行くとお互い信じて手術を行ったわけですが、

今思い出しても勇気と決断力と信頼を患者さんは持っておられたと思います。

 

以下はその患者さんからのお便りです。僧帽弁形成術から1年あまり後の最近、頂きました。

思わずジーンとしてしまいました。

**********************************

米田正始先生

ご無沙汰致しております。

手術から早1年が過ぎました。

先生はじめ皆様に大変お世話になりましてお陰さまで順調に回復しまして感謝いたしております

ありがとうございました。お礼のお手紙遅くなり申し訳ございませんでした。

 

テレビで心臓病の番組を見ていた時、米田先生が出て見えて手術の時にはお願いしたいなと、思っていました。

一度診察して頂ければと思いメールさせていただきました。

その日のうちに先生から返信を頂き、診察をしましょうと、予約を頂き 豊橋ハートセンターへ行きました。

 

やはり凄い、思っていた通りの先生、不安が一変に喜びにかわりました。

 

僧帽弁の逆流で色々検査して頂いた結果手術をすれば体も楽になり2週間位で退院できますと言って下さいました。

直ちにその場で決心しました。

 

先生を信じていた為手術に当たって何一つ不安がなく、当日を迎えました。

名古屋ハートセンター開業第一番の手術となり豊橋ハートセンターからも応援に来て頂き盤石の態勢で手術が行われました。

 

手術の時期が遅くなるに従い状態が悪化し人工弁にせざるを得ない時もあるとの事、早期決断により僧帽弁形成術で済みました、

一番良い時期にして頂いたと今では思っています。

 

大成功でした。先生 看護婦さん また周りの方々皆さん行き届いた配慮で安定した入院生活を過ごせました。

心より感謝致しております。

 

術後胸を切ったにもかかわらず何処も痛まず先生に何で?と 何度も聞いていました。

順調に回復したからだと思います。

退院後 地元の病院に通院する段取りも先生がお忙しい中足を運んでくださいました。

 

坂道を登る時、息切れ すぐに体がだるくなっていたのですが今では苦にならなくなり本当に毎日の生活が楽に成りスムーズに過ごしております、皆様のお陰です。

 

益々のご活躍お祈りいたします。

 

平成21年12月**日 *****

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お便り20 ペースメーカー三尖弁閉鎖不全症の患者さん

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患者さんは鹿児島在住の72歳女性。

18年前に僧帽弁置換手術を地元の病院で受けられ、4年前に徐脈(脈が遅くなります)に対してペースメーカーの手術を受けられました。

ところがそのペースメーカーケーブルのために三尖弁閉鎖不全症(つまり弁が逆流します)を合併し、

肝臓がうっ血し肝硬変・肝不全の状態になってしまいました。

 

こうしたペースメーカー三尖弁閉鎖不全症のケースでの三尖弁の形成手術は一般には難しいとされており、

だからと言って三尖弁置換術つまり人工弁に取り換えるのはこの弁の場合は長期の成績が悪いため手術を躊躇する病院が多いです。

それ以上に肝不全があるため、オペを乗り切れるかどうかも不明のため、

近くの立派な病院でも断られ、息子さんがネットを探して米田にメールを送ってこられました。

 

何としても助けたいため、飛行機で来院して戴き、そのまま入院して頂きました。

患者さんご本人とご家族皆さんと相談し、悩んだ末の決断で、

私たちを信頼し命をかけて私たちのところまで来て下さったことをあらためて実感しBara_4感動しました。

 

内臓が衰弱している上に2度目の手術で普通以上の負担となるため、作戦を練りました。

時間をかけて体調を整え、心臓手術に臨みました。

手術法は私たちが開発した新しい三尖弁形成術でうまく行きました。

 

そのあとがさらに課題で、衰弱した肝臓や全身が持ちこたえてくれるかどうか、

みな祈るような気持ちで見守っていましたが、見事に回復してくれました。

その後、なんと畑仕事に復帰するまでに元気になっておられます。

患者さんやご家族が一体となって私たちを信用して下さり、

私たちも患者さんを自分の親のような気持ちで、覚悟を決めて臨んだことが良かったのだろうと思います。

 

退院前にあらためて患者さんがしみじみと御礼を言って下さいましたが、私は思わず私の方こそと御礼を述べてしまいました。

以下はその息子さんが退院後、私に送って下さったメールをもとに、読者に皆さんにも役立つようにと加筆して下さったものです。



*********患者さんの息子さんからのお便り**********

米田先生御侍史

お世話になります。


母の三尖弁形成手術では大変お世話になりました。


本日、退院させて頂き、鹿児島の自宅に18:00頃到着しました。
母は3ヶ月ぶりに自宅に戻り、とても感慨深く感じていたようです。


母は小さい時から心臓を悪くし、それに対してとても我慢強く生きてきましたが、今
回は一度はもう自宅には戻れないと覚悟していたようです。


幸いなことに、先生に心臓手術をお願いすることが出来、家族一同大変幸運であったとし
みじみと話しています。

思えば、本年10月18日に先生に突然ご相談のメールを差し上げたことが始まりでし
た。


その時には、入院していた鹿児島の専門病院から手術は不可能と言われて、本当にできないのか、自宅療養で病気が悪くなる恐怖を抱えながらひっそりと暮らすしか
ないのかと家族で悩んでいたときに、先生のホームページを見つけて勇気づけられ、
最後の頼みとしてご相談したのでした。

 

この体験記を読むことで私たち同様に、勇気づけられる皆さんが一人でも出てこられ
れば幸いです。
簡単にこれまでの経過を記します。

鹿児島在住の母親(72歳)は三尖弁閉鎖不全症による右心不全状態で当時鹿児島の専
門病院に入院しており、今後の治療についてお伺いしたくメールにて相談いたしました。

 

母は、約18年ほど前にリウマチ熱による後遺症で僧帽弁置換術を鹿児島の専門病院で
受け(平成15年頃ペースメーカー装着)、ずっと定期受診してきました。

しかし、ここ1~2年段々と体調が悪くなり、元気がなくなってきていたようですが、

最近になって体に水がたまり、いよいよ日常生活が困難となったため、本年9月1日にその専門病院へ入院しました。


主治医の説明によりますと、入院時、浮腫がひどく、また黄疸も出ていたとのことで
治療をしてきましたが、

三尖弁の閉鎖不全によって全身に、特に肺や肝臓へ水がたまった結果、高度の肝機能異常(総ビリルビン値約8)を来たしているとのことでした。

その後の治療により、浮腫も軽快し尿も一日1500ccほど出るようになり、総ビリルビン値も約4~4.5まで下がって来ました。

ただ主治医によれば、いつまた病態が増悪するか判らないため、この病態から脱するには最終的には三尖弁手術をするしかないとのことでしたが、

肝不全が強く、2度目の手術でもあるため、

当院でのオペは心臓外科の判断で、「術後の肝不全のリスクが高いため、不可能」と言われていたものです。

 

私は母親の今後について、当時の主治医の意見を参考に、家族とも相談してきました
が、

このまま自宅療養で安静に生活することを選択すべきか、

それともあくまでも心臓手術をして弁膜症を治療するべきなのか大変迷っておりました。

 

当時、鹿児島の専門病院の心臓外科より手術のリスクが相当高く(術後の肝不全)、

かえって寿命を縮める可能性があることからオペをしないという決断の勇気も必要で
あると説明を受け、

自宅療養でも何とかこのまま延命できるのではないかと淡い期待をもっていましたが、

米田先生に相談してかなり厳しい状況であることを理解しました。

 

結果として、米田先生の手術を受けることが出来て大変幸運であったと感謝していま
す。

術後は、三尖弁の逆流が改善したばかりか、肝機能もビリルビン値が1.5程度
まで低下し、本当に最良の結果となりました。

 

私たちは幸運にも先生に相談することが出来て、良い結果を得ることが出来ました
が、

一方では心臓手術を受ける機会を得ることなく不幸な転帰を取られる方々も多いので
はないかと思います。


私たちと同様の病気でお困りの皆さんが、この体験記を目にされましたら、是非一度
米田先生にご相談されることを強くお勧めいたします。

 

追伸:母は自宅に戻ってから本当に生きていることを噛み締めているようでした。


私たちも母に辛い手術を勧めたことで本当に良かったのかと悩んでいたことも報われ
た思いです。


母には苦しい思いを2度もさせてしまったこともあり、是非長生きして欲し
いと思います。


これからもよろしくお願いいたします。本当に有難うございました。

 

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執筆:米田 正始
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