お便り80: 困難な状態から再手術を乗り切った患者さん

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Ilm17_da05002-s心臓手術のなかでも再手術はさまざまな注意が必要です。

単に弁を治すだけではなく、壊れた全身を守り助けながら、周囲の組織とくっついた心臓をきれいにはがし出して、そのうえで心臓の中を治すことが必要です。

以下の患者さんは7年前、当時50代で僧帽弁交連切開術後の状態で僧帽弁が再び狭くなり(僧帽弁狭窄症)、大動脈弁まで同様に狭くなり(大動脈弁狭窄症)、心房細動を併発し、さらに大きな脳梗塞まで患っておられました。

他県の有名病院でフォローアップされていましたが、苦しくてどうにもならなくなり、意を決して当時京都大学病院で勤務していた私のところへ来られました。

大きな脳梗塞の後という状況は予断を許さぬものでした。

しかし、当時の私のチームと、なにより患者さんの前向きの頑張りでお元気になられました。

手術は僧帽弁を人工弁に置き換え、大動脈弁も同様に置換し、心房細動に対してメイズ手術を行い、左室のパワーが落ちないようにゴアテックス人工腱索を斜め方向に立てました。

それらがうまく作動し、その後も大変お元気で生活を楽しんでおられます。

私の患者さんの会にも毎回顔を出して下さり、笑顔を拝見するたびに、じいんと来るものがあります。

こちらの方こそ、あの時よく頑張っていただき、ありがとうと申し上げたくなります。

以下はその患者さんからの術後7年目のお便りです。

 

*************患者さんからのお便り************


拝啓 里山も少しづつ装い始め色濃くなってきております。

 

PtLetter80米田先生には大変御無沙汰申しております。お忙しい毎日をお過ごしの事と存じます。

手術前、心臓音は弱かったと思いますが、元気な心臓音で目覚めるしあわせな瞬間です。
 

手術していただいた2005年12月12日、麻酔より目覚めさせていただいた時、私は生かされていると先生方に心より感謝致しました。

外出以外の朝6時半頃より、里山の坂道を登り地ぞう様にお参りし、四季を愛でつつ1.5時間くらい散歩いたしております。

しあわせの時です。

手術より7年目を生かされている私です。

先生には感謝の言葉しかございません。

私より元気だった大切な友人が一人二人と旅立ってゆきさみしいです。

父の分、友の分まで大切に生きさせていただこうと思います。

初孫も2歳を迎えました。

『孫のキス スカイプ繋ぐ 冬の虹』

孫に会いにアメリカにも行こうと楽しみにしているところです。

米田先生、御自愛なさりおすごし下さいませ。

7年目の感謝状

かしこ

*****

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り79 バルサルバ洞瘤の再破裂

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バルサルバ洞破裂は大人の心臓病としてはそう多くはありませんが、修復に注意を要することが多々あります。

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たとえば大動脈弁が壊れつつあるときとか、右房や右室での修復に注意を要するとilm17_da05001-sきとか、さまざまな盲点があります。

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以下の患者さんは関西の病院でそのバルサルバ洞破裂に対して修復術を受けられました。

破れたバルサルバ洞瘤を大動脈側からと右房側から縫合閉鎖し修復されたようです。

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ところが、手術後まもなく、その縫合閉鎖部位がまた破れて心不全が発生し、それから思い余って私の外来へ来られました。

.

手術を受けた病院ではどうにもならない、あるいは返事をもらえないなどで、見捨てられた形となったようです。セカンドオピニオンの病院ももとの病院に遠慮して、あるいは何か他の理由でとりあってくれないとのことでした。

.

精密検査ののち、これは私たちが開発した大動脈基部修復の方法で、しっかりと強い組織を活用して完全修復するしかないと判断しました。

なにしろ、一度失敗したあとの再建というのは、野球でいえば4-0で負けている状態から試合を始めるようなものですから、結構大変です。

.

しかし患者さんを救うためには着実に塁を埋め、逆転のタイムリーヒットを打たねばなりません。

そこで私たちの方法をもちいたのです。

.

具体的には大動脈の壁(バルサルバ洞)はすでに瘤化しており弱いため、ここではなく、もっとしっかりした大動脈弁輪に糸をかけてそれでパッチを内張りとして縫い付けました。

これは大動脈基部再建だけでなく、大動脈弁輪形成と保護を兼ねたものです。デービッド手術やヤクー手術の経験が役立ちました。

.

これだけで破裂したバルサルバ洞(つまり破れたところの入口側)は落ち着いたのですが、さらに右房側(つまり破れたところの出口側)から、三尖弁の弁輪をも活用して、もう一枚のパッチを縫着し、確実を期しました。

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術後経過は良好で、エコーでもバルサルバ洞の破裂による異常血流は完全に消えて正常化しました。

.

患者さんはお元気に退院されました。

以下はそのお父さんからのお便りです。ご期待に沿うことができ、私たちも本当にうれしく思います。

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*******患者さんのお父さんからのお便り*******

 

名古屋ハートセンター
米田 正始 先生様

*****の父です
息子の*** 11月1日退院しました

この約3ヶ月の間 非常に不安な思い、辛い思いで過ごしてきました。

ですが 米田先生との出会い、ハートセンターさんとの出会いによって 本人、家族共々 幸せな気分になりました。

まだまだ 経過をみていかなくてなりませんが 私達にとっては 米田先生や名古屋ハートセンターの皆さんが付いてくれていると思うと心強く感じます。

また 検診等で 名古屋や奈良に行かせて頂きますので 今後とも宜しくお願いします

本当に有難うございました。

 

*****************************

上記のメールをいただき、このホームページに掲載してもよろしいですかとお聞きしたところ、ご快諾をいただき、さらに以下のメールを下さいました

**********お便り、その2***********

 

名古屋ハートセンター
米田 正始 先生様

****の父です

7月初旬 息子のバルサルバ洞動脈瘤破裂 発覚し 心臓の手術が必要 いきなりの電話でした

近くの病院で 比較的簡単な手術と聞き 任せる事にし 8月中旬に手術しました

ですが 術後4,5日で再破裂を聞かされ 再手術が必要とのこと 本人も家族も気分はどん底に落ちました

今の病院で再手術か 他の病院を探すかもわからなくなってる状態が続きました

 

セカンドオピニオンがスムーズに行く方もいらっしゃるかもしれませんが 私達家族は 初めはとてもためらいました

先生に失礼ではないのではとか それをする事によって 元の病院に戻りにくくなるのではとか 色々と悩みました

しかし どうしても納得いかず セカンドオピニオンをし 親切に対応をして頂きましたが 最終的には「前の先生は きっとご自分で治してあげたいと思ってますよ」と
断られてしまいました

セカンドオピニオンってなんだろうと思いました

いろいろ調べてるうちに 米田正始先生の事を目にしました

すぐさまメールで問い合わせしましたら 一度来てくださいと返事を頂き 先生と会うことができました

先生とお会いして 「手術を受けていただけるのでしょうか?」「受けますよ」一瞬で話が決まりました

涙が溢れたのは今でも忘れません

診察、検査入院、手術日決定、入院、手術とスムーズに日程を決めて頂き 本人、家族共 非常に助かったのが現実です

なぜなら 本人、家族で手術日を決めようにも 2度目ともなれば 決める事は 非常に難しい事だったからです

「断らない・待たせない・温かい」 名古屋ハートセンターのうたい文句 素晴らしいです

入院中に他の患者さんや家族の方とも お話しましたが みなさんいろんな悩みや不安な思いを持っていて 
米田先生に相談できた事から ハートセンターでの手術を決意できたという患者さん、家族の方が多くいました

 
またみなさんは ここを(ハートセンター)見つける事が出来たことを幸運に思っていました

あと 先生方やスタッフの方々の患者さんへの対応も 非常に驚きました

 
会話にしても患者さん目線で 温かい対応でした (他の病院では 上からいろんな事 言われましたが)

この約4ヶ月の間 非常に不安な思い、辛い思いで過ごしてきました。

 
ですが 米田先生との出会い、ハートセンターさんとの出会いによって
本人、家族共々 幸せな気分になりました。

まだまだ 経過をみていかなくてなりませんが 私達にとっては 米田先生や
ハートセンターの皆さんが付いてくれていると思うと心強く感じます。


心臓の手術で困っている方は 全国、世界に数知れずいると思います


1つの出会いで それが解決されるでしょう

また 検診等で 名古屋や奈良に行かせて頂きますので 今後とも宜しくお願いします

本当に有難うございました


************************

その後も定期検診のため外来に年1-2度お越しい A335_018ただいております。

米田正始が2013年10月に高の原中央病院かんさいハートセンターを立ち上げてからは奈良へ来て下さっています。

心臓の調子も大変よく、血液の漏れも全くなく、正常所見です。

これからは前向きに活発に楽しい生活を送って下さい。

これも患者さんとご家族の決意と努力の賜物なのですから。

黙々と頑張って下さった患者さんとご家族に私は今も感謝しています。

なお私たちはどんなに経過が良い患者さんでも年一度は定期検診でフォローするようにしています。

かかりつけ医の先生と協力して患者さんに役立つことが多々あるからです。


***** 手術から3年の時が過ぎました。新年にメールを頂きました****


米田 正始 お便り79の写真 先生

新年明けましておめでとう御座います

年1回しか お会いできませんが 本年もよろしくお願いいたします

ハートセンターにて 息子の手術が終え 3度目のお正月となりました
先生には 感謝の一言です

いろんな患者さまが 先生への感謝の気持ちを持っていることが (患者さんの声) よりよくわかります

感謝する側 される側 これも 人と人との 絆なのでしょうか

私たちも そういう事を大切にし 生きていきたいと思っております

短文では ございますが 米田正始 先生 今後ともよろしくおねがいします

**家 家族一同

 

*****************************

.

バルサルバ洞破裂への新手術から4年が経ちました。

この病気は比較的珍しいため手術経験をもつ心臓外科医は少数ですが、それでも4名の方をお助けできています

過日のAATS(アメリカ胸部外科学会)の大動脈シンポジウムの日本版でこのバルサルバ洞瘤形成の新術式を発表し、デービッド先生はじめ権威の先生方にお褒め頂きました。

これからますます多くの患者さんのお役に立てればうれしいことです。

.

さて今年もまたメールを戴きました。

.

お元気そうでなによりです

また外来でお会いしましょう

.

**********術後4年目のお便り**********

.

新年あけまして おめでとうございます。
今年もメールで申し訳ありませんが ご挨拶させて頂きます。

.

先生の手術を受けて 4度目となるお正月を迎えさて頂きました。お便り79のNewFigure

.

米田医院での診察から始まり 名古屋ハートセンターでの手術 高の原中央病院での検診 今では仁泉会病院での検診
と先生が我が家の近くに居る安心感 (ある意味 不思議なくらいです)。

.

息子はもう大丈夫でしょうけど あの時の本人、家族の苦しみは 忘れてはいけない事だと思っております。

.

それと同時に あの時 米田先生やハートセンターの方々に助けて頂いた感謝の気持ちも忘れてはいけないと思っております。

.

何年たっても感謝の一言です。
有難うございます。

.

あと前回の検診の日に 妻までお世話になり 申し訳ないです

.

次の日 早速 山岸眼科様の方で診察して頂きました
お礼の方 遅くなり 申し訳ございません。

.

また今年の秋に検診に行かせて頂きますので宜しくお願いいたします。

.

****  家族一同

 

**************************

 

手術から5年が経ちました。現在は仁泉会病院の外来で定期健診していますが、お元気で心臓になんら問題なく嬉しいことです。今年もお手紙を頂きました。

 

******** 術後5年のお便り ********

今年も 新年の挨拶として メールを送らせて頂いたのですが
メールアドレスが 変わっているようで
病院の方の相談 お問い合わせの方に 送らせていただきました(いいのかダメなのか わからずに)

失礼いたします

新年明けましておめでとうございます

 

2012年10月 名古屋ハートセンターでお世話になりました **** 家族一同です

今年も無事に お正月を迎える事ができました

 

これも先生のおかげだと思っています (これは私たち家族だけでなく 数多くの家族が思っているはずです)

 

人間は 不思議なもので 普通に生活を続けていると あの時大変だったことも 薄れていくことがあります
これは 良い事なのか 悪いことなのかは 私にはわかりません

ただ親としては 正貴に対し あの事は 忘れ生活して欲しい

私達家族を救って頂いたことは 決して忘れる事のない事

時折 そういうことを 考えたりします
これも無事に生活を送れてるからなのでしょうか

 

先生への感謝の気持ちは 数多くの家族の気持ちです

先生の益々のご活躍を期待いたします

 

**** 家族一同

 


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お便り78 ベントール手術をミックスで受けられた患者さん

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大動脈基部拡張症心臓手術のなかでも大きめの手術が必要です。

IMG_5500bなにしろ伸びきった大動脈の根っこ部分を人工血管で置き換え、左と右の冠動脈の入口部分をいったん切り離し、それを人工血管にぬいつけ、そして大動脈弁を形成または置換することが必要だからです。

下記の患者さんはまだ30台のお若い女性で、この大動脈基部再建を、小さい創のミックス手術で希望して山口県からお越し頂きました。

手術中は、弁が予想以上に肥厚し短縮しており、患者さん自身の弁を温存するデービッド手術は不適当であることが判明しました。

そこで生体弁をもちいたベントール手術を行いました。

将来、この生体弁がいつの日か壊れたときに、再手術を回避しやすいよう、TAVIつまり折りたたんだ生体弁をカテーテルで植え込む方法がつかえるよう、十分なサイズの生体弁を取り付けました。

創もかなり小さく、夏服でも見えないレベルにとどめました。手術中の安全性を損なわぬよう、さまざまな工夫を凝らしました。

術後経過も順調で、遠方のため余裕をもって帰宅いただけるよう、ややゆっくり入院して戴きましたが、手術後10日で元気に退院されました。

 

*************患者さんからのお便り***********

米田先生へ

先日土曜日に退院させていただくことができました。

傷も本当に小さく痛みもほとんどありませんし、帰ってすぐに軽い食事の用意が出来
ることに自分自身驚いてます。

術前は脈100ぐらいになると心臓あたりがドクンドクン暴れて脈が速くなるのが怖いぐら
いでしたが、

術後は常時脈100近くありますがドクすら感じないので楽でよくなったんだあと感じるのと

、昨日久しぶりに自宅の湯船でゆったり浸かり苦しさを感じることがなくスーと息が入る感じをうけ改めて手術してもらってよかったと思ってます。

 
家事がリハビリで日に日によくなってるのを感じ嬉しいです。ご縁を頂いて本当にあ
りがとうございました。

またハートセンターさん全スタッフさんの志の高さに感銘をうけたのと、各部署での
職人魂のようなものを感じることができ私も随分元気を戴きました。

徹底したお掃除・配膳の方々の優しいあいさつ、知識経験豊富な看護婦さんに相談し
て癒され、先生方からはパワーをもらいみなさんのお蔭で今日の元気な一日があると感謝してます。

米田先生は超ご多忙と思いますが、お身体だけはご自愛下さい。

****

 

その後、上記のメールをホームページに掲載してもよろしいですかとお伺いしたところ、次のお返事をいただきました

********患者さんからのお返事メール*******

米田先生へ

大変ありがたいメールいただきまして、感謝で一杯です。

今朝も昨日より階段がスラスラなことに驚いています。

ホームページ掲載は同じ患者さんとして安心して手術を考慮し受けて戴ければ
幸いです。

実際に私もお便りのコーナーでどれほど勇気付けられ助けられたか
わかりませんので、どうぞご利用ください。

****

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お便り77 大動脈弁狭窄症のエホバ証人の患者さん

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エホバの証人の患者さんは信仰上の理由から輸血ができません。

一般の方々には不思議なことのように感じられるかも知れませんが、信者さんにとってはいのちがけの、大切なことです。

Ilm10_df01001-s私たちは信仰の自由を尊重し、輸血なしでも患者さんをお助けできるよう、全力をあげています。

以下の患者さんはこのエホバの証人の信者さんで、大動脈弁狭窄症という、手術なしでは突然死することさえある心臓病のため私の外来へ来られました。

精密検査の結果、心臓だけでなく、肺もかなり悪いことが判りました。

その原因のひとつが肥満やメタボであることもわかりました。

心臓プラス肺プラス「メタボ」プラス絶対無輸血というのはかなり厳しい条件です。

しかし患者さんが生きるためには何とか手術を乗り切って頂く必要があります。

そのためさまざまな努力や工夫をしました。

まず科学的ダイエットであるローカーボダイエットで積極的に脂肪を減らし、横隔膜が動きやすいようにし、あわせて呼吸運動を毎日励行いただき、メタボと肺の改善に努めました。

1か月以上の時間をかけて十分に態勢をととのえ、肺機能も改善したところで手術に臨みました。

肺に負担をかけぬよう生体弁で短時間に大動脈弁置換術を行いました。

徹底止血して輸血なしでも大丈夫な状態を維持したことはいうまでもありません。

患者さんもしっかり頑張って下さり、手術のあとはとくに問題なく順調に回復され、術後10日で元気に退院されました。

以下のお便りはそのエホバの証人の患者さんからのものです。

患者さんといっしょに苦労して得た大きな成果はまた格別なものがあると思いました。

 

*******患者さんからのお便り**********

米田正始 先生へ

 平成24年8月31日に大動脈弁狭窄症の手術をしていただきました****です。

昨日術後1ヶ月の検診を北村先生にしていただきました。

順調に回復していて改めて米田先生、北村先生、深谷先生、木村先生、看護士の皆さん、ハートセンターのスタッフの皆さんに感謝しています。

米田先生に昨日はお会いできないと思っていましたが、お会いする事もできうれしかったのですが、ゆっくりお礼が言えずに帰宅してしまいました。

もっと早く米田先生にメールを送りたかったのですが遅くなってしまって申し訳なく思っています。

 7月2日に他の病院で弁膜症だと診断された時、実母を同じ弁膜症により術後1ヶ月で人工呼吸も一度も外れず66歳で亡くしておりましたので、弁膜症に知識と経験のある先生の診察を受けなくてはと思いました。

また私の信仰上の理由で無輸血で手術してくださる先生を探さなければなりませんでした。

家族がネットで米田先生のことを知り、また無輸血で私たちの仲間を手術していただいている事もわかり米田先生にお願いするしかないという思いで、7月23日に先生の診断を受けました。

7月2日に他の病院で弁膜症と診断されたときから比べると、一段と急激に調子が悪くなり歩くのもやっとという感じになっていて、先生に診ていただくのが数日遅かったら、命を落としていたのではないかと思うほどでした。

先生に始めに診ていただいた日に無輸血で手術していただきたいとお願いすればよかったのですが、その日は米田先生のお話を伺っているだけで精一杯で話しをできずにきてしまったので、先生たちをびっくりさせてしまい、申し訳なかったと思っています。

私の実母も弁膜症で手術した際に、大量に輸血をしていましたので、無輸血で手術する事がどれだけ先生方の手を煩わせ、大変かと言うことも母を見ておりましたので、よくわかっているつもりです。その上私は肺が悪いということもわかり、貧血もあり、体重も落とさなければいけないこともありと、二重三重に、お手間を取らせてしまいました。

そのような中で手術していただき、止血に十分時間をさいていただき、手術を成功させていただいたこと、生涯忘れません。

 FFPに関しても米田先生が私の信仰の自由を最後まで守ってくださり先生の懐の深さにただただ感謝しております。

 入院中はローカーボ食にしていただき体重を約10キロ落とす事もできました。

家ではなかなか痩せることもできませんでしたが、体重を落とすこともでき、今後元気でいるためにも頑張って体重管理をしていこうと思っています。

 米田先生と一緒に頑張ってくださった北村先生、深谷先生、木村先生にも改めて御礼申し上げます。

北村先生には、忙しく大変な中でも笑顔で励ましていただきました。私のつまらない質問にも応答していただき、色々な不安を取り除いていただきありがたかったです。

米田先生の良き理解者でまじめな深谷先生。始めは先生の事が怖かったけど、今は先生の回診が懐かしいぐらいです。深谷先生に一言もお礼を言えず退院してしまったので、今度お会いしてお礼を言わせてくださいね。

とても細やかで洞察力のある木村先生。CCUでは家族に丁寧に状況を説明くださり感謝しています。患者は先生に癒されていると思います。もちろん私もその一人です。

 看護士さん達にも大変お世話になりました。

特に手術室の下島看護士さんには、私の話しを忙しい中よく聞いてくださり理解を示してくださり大変助かりました。

病棟の大橋看護士さん、私の事情に本当によくご配慮くださって助けていただきました。ありがとうございます。

草野看護士さんは病室に入っていらっしゃるだけでを和ませていただき支えていただきました。ステキな笑顔に救われました。

大谷看護士さんは本当にお若いのに高いプロ意識をもってお仕事されていて、感動しました。

CCUを出た時から数日間男性の看護士さん(お名前を忘れてしまいごめんなさい)にも大変お世話になりました。お仕事大変な中でもとても爽やかでやさしい看護士さんでした。ありがとうございました。

他にも、検査してくださった先生方、栄養士さん、清掃や食事の際にお世話になったスタッフの皆さん、多くの皆さんにお世話になり、心よりお礼申し上げます。

 最後になりましたが、毎日お忙しい日々をお過ごしの米田先生。どうぞお体を大切にしていただいていつまでもお元気でいてください。先生に助けていただきたい患者さんはまだまだたくさんいるのですから。

 これからもどうぞよろしくお願い致します。

 平成24年10月3日

***********

 

あれから2年が経ちました。

私も名古屋での5年間の生活に別れを告げ、郷里にかんさいハートセンターを立ち上げました。

(註:現在は大阪市の医誠会病院と大東市の仁泉会病院にて勤務しております)

全国から多数の患者さんが心臓手術をもとめてお越し下さり、にぎやかにやらせて頂いております。

上記の患者さんからまたお便りを頂きました。

また外来でお元気なお顔を拝見したく存じます。

********患者さんからのお便り******

米田先生へ


2012年8月に手術していただいた愛知県の○○です。

おかげさまで元気に過ごさせていただいております。

先生に普通以上のご迷惑をかけ、たいへんお世話になり心臓を治していただけた今、米田先生に手術してもらえて “本当によかった”と改めて感じる今日このごろです。

奈良に1年に1度は米田先生の心臓チェックを受けに行きたいと思っていますのに、なかなか実行出来ないことを残念に思っています。

でも、健康第一でお元気でいて下さい。

先生を必要としている人間はますます多くなっています。

その人たちも助けてあげてほしいです。

この健康に日々感謝しています。

ありがとうございます。


2014.8.29

 

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執筆:米田 正始
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元・京都大学医学部教授
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【第三十六号】 第10回患者さんの会のご報告と御礼

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【第三十六号】
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発行:心臓血管外科情報WEB
http://www.masashikomeda.com
編集・執筆:米田正始
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紅葉が美しい季節になりました。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今年は近年稀に見る紅葉の当たり年、美しい年ということで、楽しまれてい

るでしょうか。

そうして観光シーズンの最中に第10回患者さんの会を開催して戴きました

できればタイミングを少しずらしたかったのですが、会場その他の事情によ

りこの日になってしまいました。

しかし60名を超える熱心な患者さんたちがご参加くださり、楽しいひと時

をもつことができました。

会の内容はこちらをごらんください

御礼とご報告:患者さんの会

患者さんたちと笑顔で元気に再会できること、心からうれしく思いました。

来春またお会いできることを楽しみにいたしております。

なお何か健康のことでお困りの際は、私までご連絡頂ければ幸いです。

敬具

平成24年11月20日

米田正始 拝

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第10回患者さんの会のご報告と御礼

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この11月18日(日曜日)に京都駅前のキャンパスプラザにて第10回、患者さんの会を開催して戴きました。


Ilm09_ak02019-s行楽シーズンの日曜日にもかかわらず、60数名の方々にご参加いただき懐かしい皆さんと旧交を温めたり、新しい方々との交流が持てました

厚く御礼申し上げます

キャンパスプラザは比較的最近できた、京都のさまざまな大学の勉強や交流を支援する施設ですが、患者さんの会のように、まじめな勉強会にも場を提供してくれる、良心的な施設です

今回はたまたま大きめのホールしか空いてなく、あまりがらがらになったらさみしい雰囲気で申し訳ないと心配していたのですが、多数の患者さんたちがご来場くださり、賑やかでした。

これまでのおなじみの方々だけでなく、他病院で手術を受けられた方々までお越し下さいました。

この会を開放的でより多くの方々のお役に立つ会にしたいとかねがね希望しておりましたので、新しい方々のお越しを大歓迎いたします。

 

会は世話人の松岡さんの司会で、まず私の近況報告を簡単にさせて頂きました。

おかげ様で名古屋ハートセンターは名古屋屈指の心臓病院に成長し、全国から患者さんが来られ、かつ地域でも救急をはじめさまざまな形でお役に立てるようになりました。御礼かたがたそうした現況をご報告いたしました。

それから有名人に学ぶ心臓手術というテーマで、テレビなどでおなじみの方々の手術と、そこから学ぶ、お役立ち情報をお話ししました。

まず何と言っても誰もがご存じの天皇陛下冠動脈バイパス手術をめぐって、つぎに三笠宮殿下の僧帽弁形成術から始まる弁膜症のお話し、ついで武田鉄矢さんの大動脈二尖弁の手術のお話し、さらに加藤茶さんの急性大動脈解離の手術、最後に徳光和夫さんの心筋こうそくとヘビースモーカーの問題などをお話しさせていただきました。

たとえばカテーテルによるステント治療の良さと外科によるバイパス手術の良さをそれぞれお話しし、その患者さんにベストの選択あるいは組み合わせを行う、ハートチームがこれからは患者さんのお役に立つこともお話ししました。

あるいは弁形成術の素晴らしさ、そして生体弁などで将来は再手術を回避できるタビつまり折りたたんでカテーテルで入れる、手術の要らない人工弁などもご紹介しました。

いろいろとご質問頂き、多少でもお役にたったなら大変うれしいことです。

 

休憩時間には皆さん、世話人の全さんの手作りケーキなどを召し上がっていただきましたが、その間、私は患者さんたちと旧交を温めていました。

心臓手術からすでに10年以上たった方々もおられ、お互い元気に笑顔で話できること、まさに同志の集まりといいますか、あるいは同窓会のような気持ちになり、うれしいひと時でした。

休憩のあとは、質問コーナーでいろいろ聞いていただきました。病院では意外にできない質問や、医学的に重要なご質問もあり、聞いていただいてよかったと思います。

たとえばバチスタ手術に代表される左室形成術を受けられた患者さんも複数お越しになり、皆さんお元気でうれしいことでした。左室形成術に使ったパッチの寿命はというご質問を頂戴し、ほとんど無限に持つ旨をお話ししました。永くお元気で楽しく暮らして頂ければとパッチともども期待しています。

そうこうしているうちに時間となり、また来年春ごろに集まりましょうということでめでたく御ひらきとなりました。

世話人の中村さん、全さん、松岡さん、そして今回から世話人をして下さっている山田さん、そしてまもなく二番目の赤ちゃんが誕生する直前にもかかわらず応援に来て下さった石丸さん、ありがとうございました。

そしてお越し下さった患者さんやご家族の皆様、来春にまた元気なお顔を見せて頂ければ幸いですし、元気を失いそうなときにはご連絡頂ければと思います。

皆さん、よいクリスマスと新年をお迎えください。

 

平成24年11月20日

米田正始 拝

 

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お便り76 下行大動脈瘤の患者さん

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下行大動脈瘤の治療にはステントグラフト、略称EVAR(エーバー)をもちいて、なるべく切らずに治すようにしています。

Ilm10_de02011-sその場合、足の付け根の動脈などから折りたたんだ人工血管を入れて、下行大動脈瘤まで進め、そこで瘤に内張りをつける形ですべて内側から直してしまいます。

そのため胸にはまったく創がつきません。

それによって痛みを減らし、より早い社会復帰や仕事復帰を図ることができます。

しかし、足の血管などが動脈硬化で壊れているなど、状況によってはその方法が使えないこともあります。

この患者さんは下行大動脈瘤の治療のため来院されました。

なるべくステントグラフトをと検討しましたが、血管が悪いため、外部の識者の先生にも検討していただき、通常の手術を行うほうが良いという判断となりました。

通常の手術では左胸を切って中へ入り、下行大動脈を人工血管で取り換えます。

その場合、ときおり脊髄神経がやられ、下半身がマヒになることが報告されています。

そこでさまざまな工夫を凝らし、脊髄保護にとくに力を入れて手術を行いました。

その結果、何も問題なく、順調に回復され、まもなくお元気に退院されました。

つぎのお手紙はその患者さんの奥様からのものです。

病院の御意見箱に入れて下さいました。

お役に立てて大変うれしく思います。

 

***********患者さんからのお便り************

 

他院で受診した時、医師から「あなたは手術しても車いすの生活になるよ」と言われ、主人と私はあまりのショックに目の前が真っ暗になりました。

そんな時、貴院を知り親切に対応して頂き藁をもすがる思いでやって参りました。

そして8/30、最善の方法で手術をしていただき、心配していたマヒもなく、今日退院を迎えることができました。

米田先生をはじめ、北村先生、深谷先生、木村先生、手術に携わったすべての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして明るく心が和むお世話をして下さった看護師さん、介護師さん、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。皆さま優秀な方達ばかりです。

名古屋ハートセンターに出会えて本当に良かったです。

 

御意見箱へのご回答: この度は退院、本当におめでとうございます。

そして、このような御意見が頂けて、ハートセンタースタッフにとって

これ以上嬉しいことはございません。お言葉を胸に、今後とも日々の業務に励んで参ります。

この度は、お褒めのお言葉、ありがとうございました。

米田、スタッフ一同

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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お便り75 大動脈弁置換術の複雑な再手術を乗り越えた患者さん

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弁置換手術の際に生体弁が広くつかわれるようになり、その後長年月たってから再手術する機会も増えました。

Ilm10_de01004-s患者さんは三重県在住の80歳男性で、10年まえに他病院で生体弁での大動脈弁置換術を受けられました。

1年前から胸痛や全身のだるさを覚えられ、近くの病院で生体弁が壊れて逆流を発生しているため再手術が必要と言われてから私の外来へ来られました。

手術では前回手術の影響か、周囲組織との癒着が高度で(ようするにがちがちに貼りついて、心臓にすぐ到達できない状態で)、それを剥離するために時間を要しました。

とくに上行大動脈の癒着はきびしく、安全のためにこれを人工血管で置換しました。

通常の再手術ではこれほどの癒着は珍しいのですが、ときおり遭遇する状況ですのでじっくりと対処しました。

新たな生体弁を植え込み、術後8日目に元気に退院されました。

手術はけっこう大変でしたが、患者さんはすっかりお元気になられ、順調な回復ぶりで、チーム一同、やりがいのある大きな仕事だったねとうれしく思っています。

そのあとその患者さんの息子さんも心臓病があることが判明し、その心臓手術までお引き受けしました。

息子さんはまだお若いため、通常の生体弁よりも長持ちしやすい自己心膜による弁再建を行いました。

その患者さんの年齢や体力、ライフスタイルに合わせたきめ細かい治療、つまりオーダーメイド治療が良いと思うからです。

ともあれ、このように大切なご家族まで任せて頂けることを光栄に思います。


以下はその患者さんからの感謝のお便りです。病院のご意見箱に入れられました。

 

*************************

乱筆乱文をお許し下さい。

80才になろうとする私に新しい命をくださったことこの上もない喜びであります。

心から感謝し厚くお礼申し上げます。 ありがとうございました。

おそらく四日市などの他の病院へ行っていたらこの命はなかったのではないか
と思っています。

今までいくつかの病院へ入院しましたが、この名古屋ハートセンターのようなすばらしい病院ははじめてです。

まず米田先生の自信に満ちあふれた言動と説得力にそれまでの不安と迷いはかき消されました。

米田先生を中心に北村先生、深谷先生、木村先生のチームが12時間にわたる手術を成功させ、私の命を救ってくださいました。

次に看護師さんたちの真心のこもった対応が心に残りました。
 

まず、手術日前夜、家族のものも帰り、やや気持ちがふさいでいたところへ、若いめ
がねをかけた看護師さんが(名前を忘れて申し訳ない)来てくれて、「大丈夫けん元気
を出して、わたしのパワーをあげるけん」と言って私の手をぎゅっと握って何度も何度
もはげましてくれたこと、おかげで手術日当日は何の不安もなく、元気に手術室へむ
かえました。

退院の日にもその看護師さんが来てくれて「よかったね」と笑顔で言ってくれたこと、CCUで苦しんでわがままを言う私に、やさしくはげましてくれた玉置さん、
天野さん、5階のチーフの草野さんは、CCUへ何度となく私をはげましに来て下さった
こと、私がナースカウンターの前のいすで休んでいると何人かの看護師さんが「**
さん、元気になってよかったね」とことばをかけてくださったこと、それにしてもどの看
護師さんも私の名前をきちんと覚えてみえることには私の家族もみなおどろき感心し
ていました。
 

私はお世話になった看護師さんの名前をすぐに忘れてしまって恥ずかしい。

次に掃除婦の方が毎朝すみからすみまでていねいにきれいにしてくださって「**さん名前、***と言われるの あたった」と明るく接してくださったこと。

配膳の係の方も、もらいにいかなければ、返しにいかなければ、と思っていると、先をこされてもってきてくださったこと。

おかげで辛いはずの入院生活の10日間は楽しく過ごさせていただきました。

改めて、先生方、看護師のみなさん、職員のみなさんに 心からお礼申し上げます。 ありがとうございました。

一生忘れることのできない名古屋ハートセンターのすばらしいことを。

私の娘も長男もハートセンターでお世話になります。 よろしくお願い申し上げます。

 

 

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執筆:米田 正始
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元・京都大学医学部教授
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お便り74 ポートアクセス法で僧帽弁形成術とメイズ手術を受けた患者さん

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僧帽弁形成術は僧帽弁閉鎖不全症の患者さんを長期にわたって守る、優れた手術法です。

なかでもポートアクセス法による、小さい創で骨も切らずに行うミックス手術(低侵襲手術)は、患者さんの社会復帰が早く、僧帽弁形成術の良さをいっそう引き出す方法と思います。

つぎのお便りは、大阪から来られた50代男性患者さんからのものです。

僧帽弁閉鎖不全症と心房細動のため、ポートアクセスで僧帽弁形成術と左房メイズ手術を行いました。

弁の逆流はきれいに取れ、リズムも正常にもどりました。

経過良好で、遠方のためすこしゆったりとリハビリをしながら入院していただき、術後10日目に元気に退院されました。

 以下はその患者さんからのお便りです。

 

 *******患者さんからのお便り*******

6月7日に手術を受け経過も良く本日6月17日退院させていただく事になりました

心臓弁膜症とメイズ手術を同時に受けました。

ポートアクセス法にて(メイズ手術)も同時にして頂き、体への負担も少なく、痛みもそれ程感じませんでした。

経過も良好で本日6月17日退院します。

お世話になった米田ドクター、北村ドクター、深谷ドクター、木村ドクター始め沢山のナース、スタッフの方ありがとうございました。

若い看護師さんも沢山いて皆さん元気で頑張っておられます。

上司の方や、特に若手の医師の方にお願いです。 看護師さんを大事にしてあげて下さい。 また たまには励ましの
一言をかけてあげて下さい。

また、米田先生の外科医としての高い技術を頼りここに来て本当に良かったと思います。

本日6/17 日 退院します。

ここに来て思った事の1つに一流の方はどこまで行っても謙虚であられるという事です。

また米田先生はもちろんのこと北村先生を始め全スタッフの方に感謝いたします。

ありがとうございました。

 

************************

その後、この患者さんはたまたまお腹の急病を発生し、危篤状態となられ近くの病院でお腹の緊急手術を受けられました。

大きな手術でしたが、心臓はびくともせず、患者さんももちまえの頑張りで見事に回復され、私の外来へ健診と報告にお越しになりました。

こうした不慮の場合も考えますと、僧帽弁置換術に比べた僧帽弁形成術の良さは一段とひかると思います。

それだけばい菌にも強く、出血もしにくく、他手術も安全に行いやすいわけです。

患者さんがこれから健康を完全に取戻し、楽しい生活を送られることを信じ、また祈っています。

 

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お便り73 リウマチ性連合弁膜症と心房細動をミックス法手術で克服

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リウマチ性弁膜症は通常の年齢性の弁膜症と比べて弁の変化・変形が強く起こります。そのため弁形成にもそれ相応の経験と戦略が必要となります。

Suzuran患者さんは69歳の女性で、的確な心臓手術をもとめて千葉県から来られました。

リウマチによる僧帽弁膜症のため弁が石のように硬くなり僧帽弁狭窄症と閉鎖不全症の両方をもつタイプでした。こうした硬い弁は形成に適さないのですが、私たちはパッチなどを駆使して形成することが近年増えました。

ただこうした複雑な僧帽弁形成術は時間がかかり、重症患者さんの体への負担が少なくありません。70歳近いご年齢からは、むしろ確実に短時間で完了する生体弁による弁置換が安全で、しかも生体弁の耐久性もこのご年齢なら20年近いため、この点でも生体弁が選択肢と考えられました。むしろ時間的余裕をつくって心房細動に対するメイズ手術等をしっかり行うメリットが大きいと言える状況でした。

さらに高度の変化をともなう三尖弁閉鎖不全症があり、そして強い肺高血圧つまり肺の動脈圧が高く危険な状態で、てきぱきとポイントを押さえたコンパクトな手術が望まれる状況でした。

こうしたことを考慮し、手術は記録にこだわりなく患者さんにもっとも益する手術を行いました。まず生体弁で僧帽弁置換術(MVR)を行い、ついで三尖弁には弁の異常が強く通常の弁輪形成だけでは逆流が残るタイプでしたので、確実に生体弁で弁置換(TVR)しました。せっかく生体弁を使うのですから、何とかワーファリンの不要な生活をと、両心メイズで徹底的に除細動しました。

これらを皮膚切開10㎝の小さい創で、MICS法(ミックス法、小さい切開で患者さんに優しい手術です)にて行いました。

術後経過は良好で、弁機能、心臓の機能とも良好で、手術前の肺高血圧症も治り、リズムも正常化してまもなくワーファリン不要の状態となられました。

以下はその患者さんからの礼状です。大きな手術をよく決意し頑張って下さったと思います。


***********患者さんからのお便り*******

 

先生、その節はありがとうございました!

これまで他では一度も経験したことのない病院のやさしさとあたたかさにはじめは却って戸惑うほどでしたが、いつしか安心とリラックスの中で病院生活をさせていただきました。

本来なら、今ごろはなかったかもしれないいのち、歩くことお茶わんを洗うこと、すべてがいとおしく大切に過させていただいております。

無言で教えていただきました「愛」を私もこれから出会う人や周りの人達に対して実践できたらと思っております。

只、入院中に一度と、退院した日に強いストレスを受けることがございました。そのために治していただいたばかりの身体に何らかのショックを与えたかもしれません。

脈拍が突然はやくなったり、色が突然変わったようにゆっくりになったりということをときどき経験致しております。

自身を持って焦らず治癒する日を待たなければと思っておりました。

先生に出会わせていただけました幸運とともにいのちのあることをかみしめております。
心よりありがとうございました。ありがとうございました。

****
米田正始先生
三月二十八日


患者さんのお母様からも礼状を頂きました。

*********患者さんのお母様からのお手紙******


突然のお手紙で失礼を申し上げます。

私は****の母親でございます。

この度、私の娘****が元気で私の元へ帰って参りました事に先生にお目にかかって御礼申し上げたいと願っても年を取っていてかないません。

 
尊い先生という事も娘から聞き遠くから手を合わせさせて頂いて居ります。

沢山の御礼を申し上げます。

 

その後外来にてお元気なお姿を拝見し、うれしく思っています。

患者さんの会社で発行している新聞に手記を掲載されました。皆様のご参考になるかもと考え、以下に許可をえて掲載します。

 

************ 新聞の手記 ***********


「50歳になる頃には心臓の手術をすることになるでしょう」と子供の頃から言われつづけていたその50歳を越え、更に20年近い歳月が経ちました。

5・6年前から心房細動という発作が起こり初めていたので、5月(23年)になって「心不全です。だから手術が必要」と言われた時も、さして驚くこともなく、3歳から背負ってきた人生にいよいよ決別するときが来たのだと思いました。

 

「本当に奇跡を起こしていたのね。心臓の寿命を予定より20年近くも延ばしたなんて…」Aさんがそう言いました。

そのあと呼吸法の会を催すことになったのです。

みんなで呼吸法や瞑想、そしてアファメーションなどを行って、お互いに気を送り合いました。

宇宙空間にあずけた魂は超然として心底休息をとりました。

心臓の機能が落ちれば苦しい筈ですが、新鮮な酸素をいっぱいに吸って、アファメーションでは「元気だ」と言い聞かせられている身体は、思うほどの症状はなく、会社の仕事をはじめとして、2ケ月に及ぶ、床暖房の修復工事をしたりして、私はすべきことを着々と果たして行きました。

病気がなくても病気の人もいれば、病気はあるけれど元気に暮らしている人もいる。

病気のあるなしに関わらず、最期のときまで元気で生きられるかどうか、それが重要なことだと思うのです。

昔の人たちは神に与えられた生命を自然に全うしました。

 
オムツで世話になり屍のように生かされつづけてしまう、現代特有の長寿を考えるとき、つくづく執着しない自然な“生”でありたいと願うのです。

仮にもし、私がここで死ぬことになれば、ぎりぎりまで元気に生きて、昔の人たちに近い死に方をすることになるのではないか、これから老いる一方である筈の自分の年齢を考えました。

けれども親がいて、何よりも、私にはしたいことが沢山ありました。この期におよんで、“生きたい”という思いが手術への期待感を募らせました。
手術の宣告を受けた同じ23年の11月初旬、私は自転車で出かけて転倒しました。血液さらさらのお薬のせいか出血をして救急車で運ばれました。

4針ばかりの縫合手術をしました。

「病気になってもお転婆が治らない。それでは怪我でもさせて安静にさせようという、神様の計らいだったんだと思う」とTさんは言いました。

 
懐石料理を作ってくれるという人に出会ったのもその頃のことでした。懐石料理のお店を開いていたけれど、彼女はそのお店を閉じざるを得なくなったのです。

初めの日は、鯛の昆布〆や茶わん蒸しなどを作ってくれました。

私は、若いころからずっと食事を作りつづけてきたので、いよいよ作って貰える番がめぐってきたのだと思いました。

名古屋の病院では、先生や看護師さんばかりでなく、事務の方たちやお掃除の方々にいたるまで明るい愛の気が発信されていました。

病院であるにもかかわらず緊張を必要としない、安定感のあるゆるぎないやさしさに少なからず驚きました。

同じことを感じているらしい、付添のTさんは「もともと人格や人柄に素質のある人か採用されているのでしょう。

ただ教育されたのとは違う、包容力のあるやさしさに、ホッとしますね。」と言いました。

“神の手”と呼ばれるK先生からは、少しでも多くの患者さんを治したいという、やむにやまれぬ思いが大きなオーラとなって伝わってきて、伺った私達4人皆が感動をしました。

検査の結果が出たあと、先生の表情はあきらかに曇っていました。「重症です。安静にして、このまま手術の日まで名古屋にとどまって下さい」
けれども、まだ残っている“すべきもの”を果たすために決心をして、-時、市川に戻りました。

病気は、“憎帽弁閉鎖不全症”の上に、いつの間にか狭窄も起こしていて、逆流で行き場を失った血液が三尖弁にまで流れ込み、そこでも血液の逆流を起こし、あふれた血液が肺を水浸し(血浸し)にしているというのです。

昔の人なら正にこれが生き切った状態といえたでしょう。

大学教員で普段は多忙な妹が春休みになり、入院に付き添ってくれることになりました。

病院のベッドで、彼女から名古屋の街の探検話を聞きながら、私は、随分長い間ショッピングをしていないことに気づきました。

元気になって、再び街を歩けるという新たな励みを貰ったのです。

手術当日の朝、K先生を除く先生方と手術室の看護師さんたちが、ストレッチャーをにぎやかに引っ張って病室に迎えに来てくれました。

青空のように明るくてやさしさに満ちていて、大勢で手術室の扉をくぐった時には、私はすでに安心の境地にありました。

安定剤をまったく必要とせず、ぐっすり眠った心身はとても平和で静かでした。

 

手術が終わって起こされた時、眠りとは違う、“虚”というべきか、私は、麻酔というものの不思議な感覚の中にいました。

眠りには、時間の経過の記憶が身体に残っているけれど、麻酔には時間がなく、肉体が、自分から遮断されていたという強烈な感覚がありました。

起こされた時、一挙に肉体が戻ってきたといった実感に少なからずショックを覚えました。

そして私は「いま何時なの?何日なの?」と、今おかれている自分の位置を確認しなければなりませんでした。

 

「5時間半という時間、待っている身には長くて耐え難い時間だった」そういう従兄弟のK君には、子供の頃、お風呂に入れたり遊んだり可愛い思い出がいっぱいあるのです。幼かったそ彼が今は、私の身元引受人となって、忙しい会社経営の仕事の合間に面倒をみてくれました。

そして手術が終わった時、たちまちその成功が身内に知らされたそうです。知らない間に私はみんなに心配をかけていたのです。

覚醒からしばらくして車椅子まで歩きました。手術直後からリハビリが始まっていたのです。

 

静養室に移ってうとうとしているとき、廊下から、誰かが、私に自分の存在を気づかせようとしていることに気づきました。

それは母の弟の叔父でした。

私は「近くに来て頂戴」と無言で頼みました。けれども彼は温かい表情を残したままそれ切り消えてしまったのです。

短い時間だったけど、私は、叔父の姿をみて安心を覚えました。

叔父は後で「面会は病室の外から5分だけと言われたのだよ。私は、あの時バイキンだったからね」と言いました。

妹は、春休み中にすべき仕事をごまんと抱えていて、そのため、手術後3日目の朝には東京に発たなければなりませんでした。

妹がいなくなった後、身体に沢山の管をつけたまま車椅子でナースステーションに移動し、そこで励まされながら食事をしました。

食べることは戦いでした。

そしてすべての管がとれた元気な姿を再び戻った妹に見せることができたのです。

リハビリに励んでいるとき、ひとりの男性が私の前を歩いていました。そのうしろ姿は肩を落としてうなだれ、力をすっかりなくしているように思われました。

昔、刀で切られた人は力を失くして恐れや不安などの感情に支配されただろうと思います。

「心臓の手術は他の臓器の手術とは違うのよ」と言った人がいました。
 

前を歩く人の背中を見ながら、私も、彼と同じであることに気づきました。そうだ。いつものアレをしよう!いつものアレとはと呼吸法のことです。

呼吸法のときの姿勢は満ち足りていてうつくしい。頭のてっぺんを宇宙から吊り下げて、顎を引き、鼻とお臍をまつすぐに結びます。

そして腰椎を立てました。すると自然に胸が出てきます。

健康な姿が出来あがり、次は、鏡の前で思い切り笑顔を作ってみました。

愉快になって来ました。いつもの自分の姿がそこにはありました。

痛みもつらいことも何もないのだから、畢寛、うなだれる理由もないということなのです。
 

私は、いま作ったばかりの姿勢のまま部屋を出て行き、病棟のロビーの椅子にシャンと腰を下ろしました。

かばう姿勢よりも自由になれて自信がもてて、血液の循環にも良いのです。

 

心のことをハートと言い、心臓のこともハートと言う。

ある看護師さんは、心臓はその人の心そのもの、というよりもその人自身だというのです。

「身体を救うために、そのこころに傷をつけなければならない」その言葉を、手術が終わった直後から、私は実感することになりました。

身体は痛みもなく何ともなかったけれど、心を、そして心臓を切られてしまった叫びなのか、かなしみとも違うハッとするような感情が私を支配していました。

日頃の自分の“根っこ”はどこに行ってしまったのか、不安定すぎる自分の心を支え切れず、胎内のような絶対の愛と安心を求めて誰かにハグしてほしいと思いました。

そんなときに、従姉妹のSちゃんが「お姉様、よく頑張ったわね」と言って、しっかりと抱きしめてくれました。涙があふれました。’

支障が生じる人や用事のある人以外には極秘で入院しましたが、場所か名古屋だったおかげで、友達や従姉妹たちや、普段には決して会えない遠い地の人たちにも逢うことができました。

お見舞いにいただいたお花が、傷ついた心身に思ってもみないほど大きな慰めとなりました。

それに、初めてと言ってよいほど沢山のメールをいただき、それにはどんなに励まされたか分かりません。

こうした体験の後だったからこその力づけでした。

 

退院後のお見舞いでは驚かされることがありました。中でも感動したのは、Kさんが夕方訪れて、音楽室の灯りを消し、天井から壁・床に至るまで部屋中にお星様を散りばめて見せてくれたことです。

いつまでも見ていたいと思うほど幻想的で美しい光のページェントでした。

 

彼女は材料を持参してテーブルの上で釜めしを炊いてくれました。

デザートも用意されていて、温かで素朴ですばらしいパーティでした。

釜めしはアツアツでおいしくて彼女のぬくもりそのものでした。

手術の一連がくれたこうした豊かなものを家族共々一生忘れることはないだろうと思います。

 

退院すると、母は、あずけられていた施設から飛ぶように戻ってきました。

会社では大きな仕事が待っていて、私は手術後2ケ月で復帰することになりました。

壊れていない心臓は、私に生まれて初めてと言ってよいほど幸せな日々をもたらしました。

F先生は「腎臓にしても胃袋にしても、普通、その臓器の一部をなくした状態で“治った”と言うことが多いけど、心臓だけは完璧なかたちで治るんですよ」とおっしゃいました。

 
後半の人生に向かって新たな夢がひろがっています。それでいて、“生きること”それが人生の目的なのだと、単純で、かつ当たり前のことを、初めて悟ったような気もしています。

「手術をおえて、いま、どんな気持ち?」

「新しくなった気持ちよ。何でも素敵に見える。今まで見過ごしていたようなことまでみんな素敵に見えるわ」

「ふ-ん。私もどこか切らなくちゃ」…。

 

お見舞いを直接はいただかない方の心も伝わって来ました。

忙しい日々折々の中、ご心配いただいたことを本当に感謝しています。

本格的な始動は9月からです。宜しくお願い致します。  

    

24年7月  

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