事例: 交連部の僧帽弁形成術 2

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患者さんは40代男性で僧帽弁閉鎖不全症心房細動のため弁形成術不整脈手術を求めて遠方からお越し下さいました。

お仕事の都合でイギリス在住でした。イギリスは心臓外科先進国ですが、その在住エリアの中心的病院で人工弁による僧帽弁置換術しかないと言われてはるばる私の外来へ来られました。

調べますと後交連部を中心とした比較的広い範囲の僧帽弁逸脱と逆流でした。

私にとってはいつもの手術ですので95%以上は形成可能と判断し、あわせて私たちのメイズ手術は単なる肺静脈隔離(PV isolation)より成績が格段に良いためこれも行うことになりました。

図6サマリーPCとA3逸脱術中、まず弁を調べますと、後尖交連部のPCと呼ばれる部分が腱索断裂し瘤化して完全に逸脱していました。

となりの後尖右側のP3と呼ばれるところは低形成かつ逸脱し、

さらに前尖の右側部分であるA3も逸脱し、逆流ジェットが当たっていたためか肥厚していました(写真右)。

前尖も弁輪もかなり大きく、余裕があったため

シンプルで 図10弁輪再建ののち弁尖再建中長期の安定性が証明されている四角切除を行うことにしました。

弁として作動できない部分を四角に切除し弁輪を少し整えたあと前後の弁尖を再建しました(写真左)。

逆流試図16最終逆流試験OK験にて結果良好でしたので

リング30mmを縫着しました。余裕あるサイズでした(写真右)。

インクテストでも十分な弁尖のかみ合わせが確認でき(写真左下)、

図17インクテストもOK長期間安定しやすい形ができていました。

写真の青いところが特殊インクで染まった部分で、白いところが弁尖のかみ合わせ部分となります。

なおこのインクは無害でまもなく消滅します。

リングの糸をくくる前に冷凍凝固法にてメイズ手術を施行しました(写真右下)。図14クライオメイズ

お若いご年齢を考慮し、極力再発しないように冠静脈洞の外側からもブロックラインを造りました。

写真左下がそのときのものです。心臓の外側にも不整脈の原因があるためこれを丁寧に治します。

心拍動下に 右房のメイズも行いました。

図15冠静脈洞にもクライオ術後の経食エコーにて僧帽弁、三尖弁とも良好であることを確認しました。

心房ペーシングが良く効き、心房細動が治ったことをも確認しました。

術後経過は順調で約10日で退院され、しばし郷里で体調を整えてからイギリスへ戻られました。

術後の定期検診でも弁、リズム、心機能とも正常で、仕事にも精出しておられ、うれしい限りです。もちろん利尿剤も不整脈のお薬もワーファリンもなしで行けています。

すでに心臓手術から4年以上が経ちます。この弁はおそらく一生お役に立ち続けるものと考えます。また定期検診でお会いしましょう。

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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事例: 交連部の僧帽弁形成術 1

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患者さんは40代の医師で僧帽弁閉鎖不全症のため北海道からお越し下さいました。仕事熱心な先生でなるべく短期間で健康な生活に戻りたいというご希望で来院されました。

やや複雑な逸脱のため地元では僧帽弁形成術ができるかどうか??ということではるばるハートセンターを選んでくださったようです。図1弁チェックA3PC


お若く体力もあるためか当初、比較的症状は軽かったのですが
、発作性心房細動を外来で起こされ、心臓手術を何年も先ではなく今やろうと決意されました。 

図2弁チェックP3術中、僧帽弁を見ますと術前のエコー予想どおり、後交連部の逸脱でした。(写真右上)

なかでも前尖A3つまり向かって右側の太い腱索が断裂しており、A2つまり前尖中ほども逸脱、PCつまり後交連部も逸脱していました。

A2-3とPCだけでなく後尖P3つまり後尖右側も軽度逸脱(写真左上)していたため、これらをすべて良い形にすることが長期の安定につながると判断しました。図3A3へのGT

そこでA3に4本人工腱索を立て、PCとバランスをとることでこれを守り(写真右)、

 

かつA2にも人工腱索を立てて正常化を図りました(写真左下)。

ここで生理食塩水を左室内へ注入し僧帽弁がきれいにか 図4A2へのGTみ合い、逆流がないことを確認しました。

リングをもちいて弁輪形成し、

念のため逆流試験で良い結果を確認(写真右下)し、

ピオクタニン色素で深いかみ合わせができていることも確認しまし 図5逆流試験OKた。

術前に発作性心房細動を何度か繰り返しておられたため、両心房メイズで心房細動を根治し、

後顧の憂いなく仕事に集中していただけるようにしました(写真左下)。

図7左房メイズ術後経過は順調で10日あまりで元気に退院されました。

その後も外来でお元気なお姿を拝見するにつれうれしさがこみあげてきます。

あれから4年、ますますのご健勝とご活躍をお祈りいたします。

 

健康人と見分けがつかないほどの良い治り方は弁形成術ならではの利点です。複雑弁形成が必要なため人工弁による僧帽弁置換術になるかも、と言われた患者さんはセカンドオピニオンをもらって本当に僧帽弁形成術ができないかどうか、確認されることを勧めます。

それともう一点、現在ではこうした心臓手術ポートアクセス法などのMICSでできるようになっています。多数の経験をもつ専門施設に限られますが、こうしたことを検討するのも大切です。

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執筆:米田 正始
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事例:リウマチ性僧帽弁閉鎖不全症への弁形成術

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弁膜症の中でリウマチ性は今なお少なくない病気です。

ご高齢の患者さんでは若いころにリウマチ熱にかかり、知らない間に治って、その際に弁が軽く壊れて、その後何十年の間に悪化するというパタンもありますし、地方ではまだ健診態勢が不十分なため見逃されることもあり、決して油断してはならない病気です。

患者さんは40代半ばの女性です。沖縄から来て下さいました。

若いころにリウマチ熱の既往があります。

来院時は階段2階までは登れるもののそれ以上では息切れがしました。ときに下肢がむくむとのこと。

夜枕が低いときに息苦しくなり座ると楽になる、いわゆる起座呼吸が見られました。

心エコー図にて高度の僧帽弁閉鎖不全症と中等度の僧帽弁狭窄症がみとめられました。

僧帽弁は拡張期にドーム状の形を呈して開放制限があり、リウマチ性弁膜症の所見でした。

まだお若いご年齢からぜひ僧帽弁置換術ではなく 図1交連切開僧帽弁形成術を受けたいと希望して米田正始の外来へ来られました。

手術ではまず僧帽弁のヒンジの部分が癒合していて開かなくなっていたため、交連切開しました。右写真はその作業中のものです。

図2交連切開後これで少し開きやすくなりました。

しかし後尖が硬くてあまり動きません(左写真)。弁として機能しないため、ここへ自己心膜パッチで十分なサイズになるように形成しました(右下写真)。

さらに後尖を支え 図5自己心膜でPML拡大る腱索という糸のような組織が硬く短くなっていたため、これらを切除しました。

後尖はかなり動くようになりましたので、

ここで弁形成用のリングを縫い付けました(左下写真)。

図⒏仕上がり逆流試験をしますと、後尖の起き上がりがまだ不足しているため、硬い弁下組織をさらに切除し、徹底して弁機能を回復するようにしました。

その結果、後尖がきれいに起きて弁が正常に作動するようになりました。

ピオクタニン 図9インク試験で良い結果色素をもちいたインクテストでも僧帽弁は十分なかみ合わせを持つことが示されました(右写真)。

術後経過は順調で術後10日目に元気に退院されました。

その後沖縄にて仕事を含めて普通に生活をしておられましたが、一度、感染性心内膜炎にかかられ、近くの病院で薬による治療を受け、全快されました。

術後1年経った外来でのエコー結果は良好でした。ごく軽い僧帽弁閉鎖不全症と同じく軽い狭窄症を認めますが、問題ない程度で、心機能も良好で左房の拡張も軽快していました。元気に暮らしておられます。

感染性心内膜炎は虫歯やけがなどでばい菌が体内に入ると起こることがあり、人工弁の場合はかなり治りにくいのですが、弁形成のあとなら人工弁の場合よりはかなり治しやすいことが知られています。

こうした意味でも弁形成ができて良かったと言えましょう。もちろんワーファリンは無しで行けますし。しかし今後のために感染の徹底予防策をさらにお話しし、安全を確保するようにしています。

学生時代に沖縄県立中部病院や沖縄徳洲会病院などで実習させていただき、沖縄好きの私としてはこうした形ででもお役に立ててうれしく思っています。

 

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手術事例: 虚血性心筋症に心室中隔穿孔(VSP)を合併した80代男性

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心筋梗塞後の心室中隔穿孔(略称VSP)は緊急手術を要する、きわめて重い病気です。

多くの場合、心臓手術しなければ、あるいはそのタイミングが遅れれば患者さんは死にいたります。何とかそれを避けねばなりません。

そこで私たちは患者さんが来院されると同時に、心臓と全身を守る治療を開始し、それと並行して素早く確定診断をつけて緊急手術へと進みます。

かつては比較的元気な左室に急性心筋梗塞が起こり、つづいて心室中隔穿孔が合併して緊急手術になった方が多かったのですが、最近はすでにうんと悪化した心臓に合併するというケースがみられるようになりました。まさに絶対絶命の状況です。

こうした患者さんをお助けすることに力をいれています。

患者さんは84歳男性です。

胸痛のため当院へ来院されました。

来院時、心エコーにて駆出率19%(正常は60%台ですから、19%は心移植に近いレベルです)と左室機能の極度の低下を認め、心尖部に瘤つまりこぶのような広がりがあり、以前に心筋梗塞を患われた跡がみられました。

つまり梗塞で左室の一部が死んでしまい、それが圧に負けて次第にこぶのように大きくなってしまったわけです。左室全体のちからも落ちて、いわゆる虚血性心筋症という重症の状態です。

 

血圧が十分にはでないショック状態のため、集中治療室ICUで強心剤の点滴を受けつつ、カテーテル検査に臨みました。

その結果、左冠動脈前下降枝が100%閉塞し、回旋枝も90%狭窄となっていました。そこでこれらの枝にカテーテル治療PCIでステントを留置し、改善を見ました。循環器内科の先生方のご努力に感謝です。

 

ところがその3日後、突然状態が悪化し、心エコーにて心室中隔穿孔が認められました。つまり心室中隔に穴が開いたわけです。

その穴を通って左室の血液が右室へと流れ込み、心不全と肺の強いうっ血が起こり危険な状態でした。

そこでただちにIABPという心臓補助のバルン(ふうせん)で状態を維持しつつ、まもなく緊急手術へと進みました。

 

図1左室切開後体外循環(人工の心肺です)・心拍動下に観察しますと左室前壁は心尖部から左室基部側2/3まで広い範囲にやられて薄くなっていました。

これを切開して左心室の中に入りました。

すでに壊れたところを切るため、心臓や患者さんへの影響はありません。


左室内を観察しますと、心室中隔と左室前壁が広い範囲にわたって薄くなり、その根っこがわ近くに直径6mmの穴が開いており(これが心室中隔穿孔VSPです)、その周辺部組織も死んでいました。

右上図の矢印がVSPです。周囲の心筋が壊死してぐちゃぐちゃになっているため、良く見ないと分かりにくいものです。

そこでまずこのVSPをプレジェット付き糸で直接閉鎖しました。

 

左室の瘤化した図2 4分割Fontan糸部分を形成しないと術後心機能が危険なレベルのため、私たちが考案した一方向性Dor手術を行うことにしました。

この方法では左室の洋ナシ型形態を保ちつつ、必要な左室縮小ができるからです。

神が創られた形に戻す、これがいちばん自然で良い結果が期待できるのです。

左室の中で、心筋梗塞・瘢痕部と正常部の境目に 図3 4分割Fontan糸完成後糸をかけ、おもに横方向にこの糸を引き、縫縮しました。

上図はその糸をかけているところです。

これできれいな形を取り戻すことができました。

右図はその糸をかけてくくった後の姿です。

上図とくらべて左室が細長い、自然な形にもどっているのが見えるでしょうか。

自然な形こそパワーを出しやすくする秘訣なのです。これはその後のいくつもの研究で証明されています。

図4パッチ縫着後そのうえで大きめのパッチを縫着し、パッチが良く膨らむようにしました。

これにより適正な左室容積が保てると判断したためです


左図はパッチをつけた後の姿をしめします。この時点ではまだわずかな圧しかかかっていませんが、すでにきれいに膨らみ、新しい左室の姿の一部を示しています。

体外循環を比較的少ない強心剤で無事離脱しました。

経食エコーでもVSPシャントつまり血液の漏れは消失していました。左室も適正な形と容積になり、動きも改善しました。

薬剤溶出ステントのための抗血小板剤プラビックスが3日前まで入っていたため、入念に止血を行いました。

術後経過は順調で、血行動態は改善し肺動脈圧も術前の50台から30台へ改善し、尿量も十分で術当夜には覚醒されたため抜管し、翌朝、一般病棟へ退室されました。

その後も経過が良く、術後2週間で元気に退院されました。

心臓手術から5年の時間が経ちます。すでに89歳におなりですがお元気に外来に定期健診に来られます。駆出率も38%にまで改善しておられます。

ご高齢だからといって、あるいは重症だからといって、内容を吟味せずに諦めるのは間違いと私は考えています。患者さんを比較的高い確率で救命でき、かつその後は楽しく暮らせる見込みが高ければ、頑張るべきと思います。

 

天皇陛下の冠動脈バイパス手術のあとで執刀医の天野先生が言われたのは、陛下がお元気で公務に復帰された時点で手術成功と言える、でした。このVSP患者さんの場合も同様で、本来の元気で楽しめる生活に戻ったところで成功だったと言えると思います。そしてその成功が5年以上維持できたとなれば、これは患者さんにとって極めて良い心臓手術になりましたと言っても支障ないと思います。

 

患者さんやご家族の頑張りに敬意を表するとともに、今後もお身体を大切に永く楽しく生きて頂きたく思います。

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京都大学ESS

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京都大学ESS(English Speaking Society)は歴史のある、代々の部員の情熱に支えられた手作りの部という印象を持っています。私は大学の1回生の後半から3回生の途中までお世話になりました。ある先輩からこれからは海外で活躍すべき時代だから学生時代に英語を本気で勉強しておきなさい、と言われて、英会話学校よりも深く探求できそうな場を探しているうちに京大ESSに辿りつきました。

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私がお世 京大教養部A号館話になった1976年から1978年までの頃(かなり昔のことで恐縮です)は、まだ素朴な時代でした。教養部(現在の総合人間学部、吉田南構内)で吉田グラウンドの前にA号館という「回」の字型の大きな建物がありました。現在でいう吉田南総合館ですね。その「回」の中央部に木造2階建ての古びた戦前?の建物「中央館」が京大ESSの根拠地でした。

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根拠地と言ってもクラブBOX(部室)が認められていたわけではなく、ジプシー生活のクラブでしたが、それでも毎日昼休みにdaily practiceとしてSpoken American Englishを練習し、夕方にまた集まってはさまざまな活動をしていました。

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当時の活動は大きくわけて Debate(ディベート、テーマを決めてチーム同士で議論しその内容を競うことで問題の理解を深め解決策を図る知的ゲーム)、Drama(ドラマ、英語劇で当時の府立勤労会館でにぎやかに公演しました)、Discussion(テーマを決めて議論する、フォーマルとインフォーマルがある)、Speech(時間内で内容と説得力のあるスピーチをし、そのレベルを競う)などがあり、京大ESSの特徴はやりたい人はどれをどれだけやっても良いという utility playerとして自由参加ができたことです。まだ小規模のクラブであったためもあるのでしょう、やる気のある人はかなり没頭できる体制でした。

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夢中で何でもこなしたように思います。やりすぎてご迷惑をかけたことを今、反省しています。その後、昔の仲間が集まる機会が多少はあり、楽しくうれしいことです。

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この京大ESSで学んだことはその後の人生で大変役立ちました。英語それも考察し、ディスカッションし目的を達成していく英語とは、海外留学でさまざまな課題をクリアーしながら心臓手術の腕を磨き、研究業績を上げていく過程で必要不可欠ともいえるものでした。それを学ばせてくれた京大ESSとその先輩・仲間たちには今なお深く感謝しています。

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それ以上に有意義であったのは他学部に友人が持てたことです。せっかく立派な総合大学に行っても、全学の人たちと交流する機会が持てないというのではあまりに寂しくもったいない、当時からそう思っていましたが、振り返って京大ESSの経験はじつに貴重なものでした。

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最近の京大ESSの雰囲気は詳しくは存じません。しかしあの活気、仲間が集まれば何でもできる、良いものを努力と工夫でどんどん造っていける、そして想いは世界へ、そのような若者ならではの夢のある活気が今も根付いていることを信じています。

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京大ESSの現役諸君とOBの皆様、またお会いできるときを楽しみにしております。

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平成26年8月4日

米田正始 拝

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祝、奈良県総合医療センターのご開設

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以前から県民に親しまれ、頼りにされてきた県立奈良病院がこの4月から改組され、奈良県総合医療センターとして新たなスタートを切られました。奈良県の地域医療に日夜努力しているもののひとりとして、お慶びを申し上げます。

この病院は昭和39年に奈良県立医大の付属奈良病院として開設されました。

その後 Ilm10_de02013-s順調に発展を続けられ、昭和52年に現在の病院の建設を開始、以後も救命救急センター、災害拠点病院、へき地医療拠点病院、地域がん診療連携拠点病院、地域医療支援病院はじめ、幾多の指定を受けてこられました。

そして今回の独立行政法人化で県立病院機構のもと、これまでの県立病院の枠から出た活気ある病院を目指しての奈良県総合医療センター発足となりました。

総長は天理よろづ相談所病院以来、公私ともにお世話になってきた上田裕一先生でうれしく思っています。

私ども高の原中央病院かんさいハートセンターも昨年10月の開設から10か月が過ぎ、肺がんなどのがん治療を始めとしさまざまな形でお世話になっております。緊急時などに小回りの利く民間病院の特長を活かし、かつ全国から患者さんが集まって下さる専門施設として、この奈良県総合医療センターの良きパートナーになれるよう、努力を続ける所存です。同センターにはいずれ心臓外科が開設されるものと拝察いたしますが、連携には支障ないものと考えています。

数年以上まえに、名古屋の地にハートセンターを開設したときにも、周囲の病院と競合しないのと心配を頂きましたが、結果はそうでもなく、周囲の他病院で断られた患者さんたちを受け入れ、救命の実績を上げてまいりました。また得意種目の弁形成やミックス手術、オフポンプバイパス術その他では全国から患者さんが来て下さったため、近隣の病院と競合することも最小限にできました。

私の故郷、奈良の地においてもこうした病院の特長、持ち味を活かして地域医療や専門医療で貢献できればと思っています。この点からも奈良県総合医療センターの新たなスタートは心強く、ありがたいことと考えています。ぜひよろしくお願い申し上げます。

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第4回伊賀塾

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医の心、幅広い医療者の倫理や志を論じる学び舎として高い評価を受けている伊賀塾、その第4回の集まりに行ってまいりました。

私、米田正始は前回の第三回からの出席ですが、専門領域の学会などではそう学べない医学医療全域にわたる重要テーマを学べるため楽しみにしていました。

第4回伊賀塾
この伊賀塾はもともと伊賀上野市民病院の活性化のために始まったとのことで、行政当局から同病院の展開にあまり貢献していないため塾をやめるかもしれないという噂を聞き心配していました。案の上、今回をもって終了することになったようで残念なことです。最後の会ということで無理してでも参加することにしました。

 

塾長の小柳仁先生の開会挨拶ののち、伊賀上野市民病院院長の三木誓雄先生が同病院改革の来し方行く末をご紹介されました。一時寂れていた病院をここまで引っ張って来られた同先生の想いが伝わって来ました。老舗ののれん、中国の病院での軍服ユニフォーム、イギリスのがんセンターの構造、さまざまな実例と考察の中から初速ゼロの病院を立派なスピードがでるところまで造り上げられたご努力には感嘆いたしました。ご意見を求められたため、同じ想いをもつ医師としての努力のあり方をお話させていただきました。


カルビー社長の松本晃先生は熱い会社を育てるまでの考え方、哲学とその実践法をお話されました。日本の医療は医療従事者の犠牲の上に成り立っているということを認識しておられることに感心いたしました。

お話のなかでとくにDiversityつまり多様性は松本先生の真骨頂と思いました。たとえば女性を管理職とくに執行役員に多数取り立て成長のエンジンとするなどですね。大学に女性学長がこれまで少なかったのも如何なものでしょうかと問題提議されていました。講演のあと、私は思わず質問してしまいました。Diversityは欧米では当然のことですが、日本式の村社会つまり自分と違う属性の人間を否定する社会の中では、真逆の考えであり、革命的な発想です。しかし頭がやわらかいこどもたちでさえ、自分と違う属性をもつ仲間を、たとえば体が弱い級友がいればそれだけの理由でいじめる、つまり日本人はこどもの時からすでに村社会に毒されている、これを大人になって突然変えるのは大変なことではないでしょうかとお聞きしてしまいました。松本先生がこれを決意をもって努力して克服しておられるご様子がうかがえました。


聖路加国際大学学長の井部俊子先生はこれまで執筆してこられたエッセイの中からとくに面白いものを選んで朗読されました。看護師としての視点とひとりの人間としての視点の微妙なずれを克服する努力は初心を忘れないこととも共通しなるほどと思いました。最後の引用「Do your best, it must be the first class」は皆で肝に銘じたいところです。

 

名古屋大学の杉浦伸一先生は薬剤師の立場から医療改革への努力を続けてこられた経過をお話されました。医療は資本主義社会では測れない暗黙知の上に成り立っている。その暗黙知を形成知へと進化させねばならないことを強調されました。クリニカルパスや医療安全でのさまざまな努力はこの線の上にのっており、大学病院での臨床試験などの膨大な書類もこの観点から考えると手間はかかるが正当性のあるものとあらためて理解できました。人が職を失うと不安になるのは社会とのきずなが切れるから、というのは言いえて妙でした。最後にネルソン・マンデラの言葉、教育は最強の武器(education is the most powerful weapon)という引用に私は感動いたしました。

質疑応答の時間に、あつかましいとは思いながら次のことを申してしまいました。

教育を軽視し、わずかな出費を嫌ったために大きなものを失ったという実例をひとつご紹介します。それは舞鶴市民病院の一件です。かつてアメリカのプロの家庭医をお招きし、すぐれた総合診療教育を行っていた同病院は、全国から多数の若く熱い医師が集まり、隆盛を極めていました。しかし舞鶴市議会から「なぜ一地方都市の病院が教育にお金をかける必要があるのか」という圧力を受けていました。そしてあるときその教育ができなくなり、若い医師たちは去り、病院は崩壊し老人ホームになっていきました。教育へのわずかな出費を渋った市議会のために優れた病院がつぶれてしまったことを皆さんに、とくに伊賀上野市議会の皆さんに知って頂きたい。

もっとも市会議員の皆さんは次の選挙までに実績を出さねばならないため、5年10年先のビジョンまでつきあっていられない、そういうご事情がおありかと思います。いたし方ないものと思いますが、日本で病院医学教育や伊賀塾のような優れた事業を続けるには別の手立てが必要と感じました。


作家の後藤正治先生はベラ・チャスラフスカのお話をされました。最近話題になっている書籍でもあり、私たちの世代には想い出のシーンも多く、熱中して拝聴いたしました。東京オリンピックでもメキシコオリンピックでも優勝した同選手ですが、メキシコの時は厳しい社会情勢のもとでの優勝でした。まだ冷戦時代の中、プラハの春と言われた民主化改革が旧ソ連軍などのために占領、弾圧されていたのです。2000語宣言という改革派の署名をチャスラフスカは撤回せず、苦しくとも「節義」を貫いたことをお話されました。チャスラフスカは冷遇の日々を送りましたが、ベルリンの壁崩壊、東西雪解けのあとはオリンピック委員長にまでなったと聞き、救われた思いがしました。後藤先生の結語、人生は撤回できない、困難な時代はない、を襟を正して拝聴いたしました。

 

京都大学の光山正雄先生は基礎医学者としての40年から想う医学の将来展望というタイトルでお話されました。京大教授会でも良識派であった先生ですので大変参考になりました。たまたま病院から電話があり、拝聴を中座したため全部は聴けませんでしたが、一見地味でも感染と免疫をセットで深く探求されたお仕事は素晴らしいと感心いたしました。個人的には、その時代のトップトピックス以外にも優れた研究があることを皆さんに知って頂きたく思いました。上記の教育と同様、研究費を倹約するというのは長期的に国益を損なうものと思いました。


最後に小柳仁先生がこの伊賀塾を締める講演をされました。テーマは「渾身の心臓外科ーー医療人が人間であること」で、熱い、ほれぼれする人生をあらためて見せて頂きました。志の高さ、患者への愛、自己犠牲、努力、継続、リスク克服、どれをとっても心臓外科医という人種はもっとも臨床医らしい臨床医であると私は思っています。要するに誇り高い医師群と思います。大学を去って、医局などの属性とは関係なく、全国の若手とひとりの医師としてつきあえる現在、彼らが完全燃焼できるようなお手伝いをと思います。小柳先生の生きざまを拝見するなかでそうしたことが湧き上がって来ました。

平素の学会では学べないことが学べる、貴重な場である伊賀塾はこうして終了しました。小柳先生、関係の皆様、お疲れ様でした。


平成26年7月27日

米田正始

 

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お便り102: ポートアクセスで心房中隔欠損症ASDを

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心臓病のなかでも病脳期間つまり病気で悩む年月が長い病気では患者さんも手術がなかなか決心つかず、悩みつづけることがまれならずあります。生まれた時から病気をもつ先天性心疾患はその一例です。

下記 P1140323cの患者さんは心房中隔欠損症(略称ASD)のため長年の熟慮の末、私の外来へ来られました。はるばる岐阜県からお越し下さいました。

永い間待った甲斐があったねと言っていただけるよう、入魂の心臓手術をさせて戴きました。といってもいつもちからが入っており、手を抜いたことはありませんが、要するに喜んでいただけるよう、しっかり頑張りました。もちろん私だけでなくハートチーム、コメディカルや事務職の諸君を含めた拡大ハートチームの努力でした。

痛みが少なく普段の生活に早くもどれるようポートアクセス法というもっともMICSらしい方法で、心房中隔欠損症をパッチで閉鎖し、三尖弁閉鎖不全症を三尖弁形成術で手直しし、かつメイズ手術で心房細動を直しました。創は乳腺に隠れてほとんど見えないものになりました。副次創もほとんどないためお風呂に入っても心臓手術を受けたとは思われないレベルになりました。

心房中隔欠損症(ASD)は心臓手術のなかでもっとも簡単な手術と言われていますが、なぜか事故や訴訟が起こりやすい疾患とも言われています。やはりどんな病気に対してもちからのこもった入魂の手術が大切と思います。

お元気に、笑顔で退院していかれる患者さんのお姿をみて、理屈抜きでしあわせな気分になれました。私もまだ初心を忘れていないのかもしれません。

以下はその患者さんからのお便り(メール)です。またお会いしましょう。

*********患者さんからのお便り********

 

高の原中央病院 かんさいハートセンター

米田先生

 

今年1月8日に先生に手術をしていただきました岐阜県の**です。

半年が過ぎ、体調もずいぶんよくなっております。

遅くなりましたが先生をはじめ、

手術にかかわって下さった皆様に御礼が申しあげたくお便りしました。

 

手術から入院生活まで本当にお世話になりました。

心より感謝いたしております。

 

心房中隔欠損症で長年不安を抱えておりましたが、

やっと手術を受けることが出来ました。

先生にめぐりあえたこと、本当にうれしく思います。

 

心臓手術となるとやはりとても大ごとで、

なかなか踏ん切りがつかないものですが、

自分でも不思議なくらい安心して手術を迎えることが出来ました。

昨年10月、健康診断で心房細動を指摘され、やっと決断が出来ました。

 

以前から、もしも手術を受けるのなら、距離的にも近い

「名古屋ハートセンターにいらっしゃる先生」と決めていました。

それは1~2年前にTVで先生が取り上げられている番組を拝見したからです。

ネットで調べましたら、昨年10月には先生が奈良でハートセンターを

立ち上げるとのことで、すでに名古屋にいらっしゃらなかったのです。

先生のWEBを拝見しました。

素人の私にもわかりやすくいろいろな情報を知りました。

先生のお考えや、手術のことなどを読み、奈良で手術を受けると決めました。

 

自分で納得して、安心できる先生に手術をしていただくということは、

私の不安を取り除いてくれました。

周りの人には、「よく奈良まで行ったね」

「一人で遠いところは心配じゃなかった?」などと言われましたが、

私としては本当にやっと30年来の不安から解消される。

手術が受けられる。という安心感だけでした。

こんなに穏やかな気持ちで心臓の手術を受けられるなんて思ってもみませんでした。

それはたぶん、先生の手術や患者さんに対する思い、数多くの今までの症例、など

たくさんの情報を拝見させていただいたからです。

どんなに優秀な先生でも、立派な病院でも、

そこで患者さんと向き合う人としての姿が全くわからないのは不安です。

患者ではありますが、一人の人間として尊重されたいと思っています。

 

私に不安がなかったように、これから大きな決断をすることがある患者さんにも

先生のお気持ちが伝わりますようにと願っています。

そしてかんさいハートセンターがより一層充実することをお祈りいたします。

先生お体に気を付けてますますご活躍ください。

また来年には外来に参ります。

 

追伸  奈良が故郷のように感じられます。

 

7月19日

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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市立奈良病院の新病棟内覧会に行ってまいりました

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この7月19日に市立奈良病院の新病棟完成内覧会に行ってまいりました。

この病院はかつては国立奈良病院として奈良市の中心的医療拠点として活躍してこられた歴史をもっていますが、奈良市と地域医療振興協会によって平成15年に現在の市立奈良病院として面目を一新したものです。

新しい体制になってからはこれまで以上に救急医療に力を入れ、がん診療連携拠点病院、周産期医療や災害拠点病院としても高い評価を受けています。

個人的には循環器内科の堀井学先生らの熱い循環器診療にほれ込んでおり、関係の皆さんとの交流を楽しみに出席しました。昔、天理よろづ相談所病院でレジデントの1年先輩の西和田敬先生(平成記念病院副院長)と久しぶりにお会いでき、一緒に見学できました。

市立奈良病院の新病棟は紀寺町の東部、若草山が目の前に見える絶景の地にあり、病棟からも楽しめる構造になっていました。反対側からは生駒山なども遠景として望める癒しの配慮がなされていました。

病棟は全体として明るく広く、とくに廊下やナースステーションの余裕の設計には感嘆いたしました。手術室も一部屋ひと部屋が広く、ICU集中治療室も同様で仕事がしやすい構造になっていました。これからのがん治療で大きな役割を担う外来化学療法部門ではひろびろとしたフロアで患者さんが好みの姿勢で治療を受けられる配慮がされていて感心しました。

私ども高の原中央病院かんさいハートセンターではこうした立派な施設と協力して救急や重症の患者さんを含めた幅広い心臓病、血管病の患者さんの手術でお役に立ちたく思いました。また大きな総合病院でこそできるがんなどの集学的治療では逆に治療をお願いできるのが大変ありがたく思いました。

チーム医療というのは院内チームや医療者と患者さんご家族の協力だけでなく、地域の病院群とお互いの特長を活かした協力も含まれると思います。市立奈良病院のように立派な施設にふさわしいパートナーになれるよう、決意を新たにいたしました。

内覧会のあ IMG_0500bとは近くのホテルで懇親会が開かれました。奈良県知事代理や奈良市長、畏友・津山恭之・奈良副市長、斎藤能彦先生ら奈良医大の教授陣・京都府立医大の教授陣はじめ奈良エリアの主だった方々が出席される大きな会でした。この市立奈良病院が自治医大や京都府立医大・奈良県立医大のコラボレーションでできたことも理解でき立派なことと思いました。市立奈良病院院長の二階堂雄次先生の熱いお話が印象に残りました。

さらに昔天理病院時代にお世話になった先生方や東大寺学園の同窓の先生方とも話ができ懐かしいひとときでした。故郷のありがたさと、そこでお役に立てる立派な仕事をしなければという責任を感じた一日でした。

平成26年7月19日

米田正始

 

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Edwards Heart Valve Front Line 2014

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この7月12日に東京で弁膜症のサミットともいえる研究会が開催されました。

演者として招待されたので行ってまいりました。

メーカー主催とはいえ、内容の充実した、興味深い会でした。出席者は原則部長クラス執刀者レベルで、高水準のディスカッションを目指したものでした。最近は若手向けのセッションが増え、好ましいことと思うのですが、たまにはこうした会も有意義かと拝察していました。

東京ベイ浦安市川医療センター循環器内科の渡辺弘之先生がディレクターを務められ、外科のアドバイザーは神戸大学の大北裕先生、榊原記念病院の高梨秀一郎先生、京都府立医科大学の夜久均先生という充実の顔ぶれでした。

渡辺先生の絶妙かつフレンドリーな司会で和やかに会は進んでいきました。ちょっと珍しいほどのエンターテイナー兼学術モデレーターでした。心エコーの講習会として有名な東京エコーラボが人気を博している理由がわかりました。

まず内科と外科で考える治療戦略というセッションで、岩手医大の岡林均先生と森野禎浩先生がそれぞれ興味深い症例を提示されました。

ついで大北裕先生と田中秀和先生の神戸大学チームから出血性脳梗塞をともなう感染性心内膜炎IEの症例を出されました。同じ脳出血でも危険なものと比較的穏やかなものがあり、皆さんこれまでも悩み苦しみ解決策をなんとか見出す努力をしてきた病態だけに議論が盛り上がりました。MRIによるT2スターは脳出血の検出や評価に有用となる可能性があり、ひとつの解決への方向が見えたのは幸いでした。

さらに羽生道弥先生と有田武史先生の小倉記念病院チーム(註:有田先生は現在九州大学)から低心機能にともなう低圧格差の大動脈弁狭窄症を提示されました。

私の経験ではこうしたケースは術後を乗り切ることができればあとの心機能は格段に改善するため、どのようにして乗り切れるようにするかに焦点を絞り、乗り切れないときに限り内科的に治療するというのが良いと思いました。二尖弁ではカテーテルバルン形成術は危険であるというのはなるほどと納得しました。

さてそこでミックス(MICS)のセッションです。

リスク回避のためのコツを新進気鋭・東京ベイ浦安市川医療センターの田端実先生と老舗慶応大学の岡本一真先生が解説されました。これまでの経験の蓄積を皆で共有できたことは素晴らしいと思いました。

ここでミックスとは低侵襲手術なのか、小切開手術なのかという本質的議論が併せてなされました。皆さん真面目で妥協のない姿勢での議論をされ、感心したのは私だけではないと思います。ただこの領域はまだ一般化できない、一部の先進施設で行う手術という印象が強く、すべては今後の展開次第というところでしょうか。

ついで安全なMICSのための工夫ということで光晴会病院の末永悦郎先生が胸骨部分切開での大動脈弁置換術、そして心臓病センター榊原病院の都津川敏範先生がポートアクセスでのそれを話されました。

そして話はコスメティックなミックスの追及へと進みました。

まず私、米田正始がLSH(Less Satelite Hole)法つまりミックス手術にありがちな副次創を最小限に抑えてきれいな創と少ない出血を達成するオリジナルな方法を解説しました。あとで多くの人たちからきれいな創を褒めて頂きましたが、それを僧帽弁だけでなく大動脈弁なかでも弁形成にまで使えることは驚きであったようです。ここまで国内外の友人たちのお力を借りて、手術を磨いてきた甲斐があったとうれしく、また感謝でいっぱいでした。このLSHに賛同してくれるひとは手術が難しいだろうという先入観からか少なかったのですが、最近シンガポールのグループもSIMICS(単一切開創のMICS)などで本格的に取り組むようになり、他にも同様の動きがでてようやく皆さんの認識が得られたようです。

私は副次創を少なくすることで質の高いミックスを目指していますが、名古屋第一日赤の伊藤敏明先生は内視鏡を活用してメインの創を小さくする方法を発表されました。内視鏡を使うと副次創が増えるため私はやや後ろ向きだったのですが、若手の教育なども加味して考えると今後の方向として、こうした努力も大切と感じました。ともあれこうした高いレベルのMICSにはなかなかついて行けないという空気が感じられ、誰もができる完成度の高い心臓手術と言えるまでにはまだまだ努力が必要と思いました。

次のセッションは複雑症例に対する手術でした。

東京医科歯科大学の荒井裕国先生は昨日までの冠動脈外科学会の会長の大任を立派に果たされた翌日のことで、お疲れかと思いましたが頑張って興味深い症例を提示されました。冠動脈バイパス術後の虚血性僧帽弁閉鎖不全症と大動脈弁狭窄症のケースでした。乳頭筋を前方に吊り上げる方法できれいに治されました。私、米田正始といたしましては、この前方吊り上げ(PHO法など)をこの10年間提唱して来ただけに、仲間が増えたことをうれしく光栄に思いました。荒井先生ありがとう。

葉山ハートセンターの磯村正先生は重症の拡張型心筋症にともなう機能性僧帽弁閉鎖不全症の一例を提示されました。重症なるがゆえに、できるだけ簡略に手術をまとめあげ、見事に救命されたこと、敬意を表したく思いました。なおこうしたケースのために私が開発した大動脈弁越しに両側乳頭筋を吊り上げる方法なら、同じ短時間でもっと心機能が良くなるというデータをもっており、今度同様の患者さんがおられたら是非活用していただければと思いました。

ディスカッションの中で大北先生が、これまでの多くのEBMデータや科学的データをもっと踏まえて手術することを勧められました。まったくその通りで、ぜひ私が提唱する前方吊り上げ(PHO)をと願わずにはおれませんでした。

札幌ハートセンターの道井洋史先生はHOCM(閉塞性肥大型心筋症)の一例を示されました。後尖逸脱による僧帽弁閉鎖不全症を合併していた症例で、普通の僧帽弁形成術ではSAMつまり収縮期の前尖の前方移動が起こってあらたな僧帽弁閉鎖不全症が発生しやすい症例で、道井先生はうまく解決されたと思いました。

ただこれまでこうしたHOCMや僧帽弁形成術を多数こなして来た経験からは、後尖の高さをさらに下げるとSAMは極めて起こりにくいとも思いましたが、こうした治療は高度にケースバイケースなので何にでも対応できる経験と実力が大切と思いました。

この疾患で最近言われている異常筋束についてはなかなか術前診断まではできておらず、今後エコーやCTなどでの一層の研究が待たれます。

宮崎県立宮崎病院の金城玉洋先生は高齢者の大動脈基部拡張大動脈弁閉鎖不全症の一例を示されました。高齢者なるがゆえに、どこまで治すのが最適か、熱いディスカッションがされました。

最後に倉敷中央病院の小宮達彦先生がやや複雑なデービッド手術の一例を提示されました。デービッド手術での大動脈弁形成術は近年進歩がみられますが、弁の付け根を小さくすれば弁は当然余ることになり、余れば下垂するのは理の当然のため、何らかの対策が必要です。そこで弁の縫縮で下垂を治すことがまず考えられますが、やりすぎると弁の他部位や基部とのアンバランスが生じます。これを難症例で示されました。大動脈基部のジオメトリーがかなり実用化して来た印象があり、これからさらにデータ蓄積して僧帽弁レベルになればと思いました。

最後まで熱いディスカッションが続いた充実の一日でした。

この会は渡辺先生のお人柄もあり、ワークショップのように皆で見える成果を造っていくということで、各セッションごとに1センテンスで持ち帰りメッセージを造って行かれたのですが、私が発表させて頂いたミックス部門では「ミックス戦国時代」でした。的を得た表現と思います。HOCMのところでは、高梨先生が上の句「逆流が、止まったあとの」を言われたあとの下の句がなかなか出てこないため、不肖私が「流出路」と発言させて戴きました。なぜか大変受け、会場全体で「オーー」という声とともに拍手頂き、面白いところで評価いただき、不思議な光栄な気分でした。後の懇親会で大北先生が「米田先生が過去20年間発言した中で一番のでき」というご発言でもう一度バカ受けしていました。口の悪い先輩は良いとして、まあ皆さんの酒の肴になれて楽しいひとときでした。

会場のホテルは東京ベイを見渡せる素晴らしいところで、来年もぜひここでという希望が多数出ていました。

渡辺先生、アドバイザーの先生方、エドワーズ社の皆さん、お疲れ様でした。


平成26年7月13日

米田正始 拝

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
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